文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

フレンチプレスの美味しさ

録画していた『ガイアの夜明け』のコーヒー特集を見た。去年コーヒーにハマってサードウェーブというのは知っていたが、今はもうフォースウェーブまで来てしまっているらしい。

そして今私はスタバで、番組で製作の試行錯誤が紹介されていたエスプレッソアフォガードフラペチーノを飲んでいる。f:id:left_right:20180528121031j:image

スターバックスでの写真は、どの店舗か分かりにくいから匿名ブロガーには便利)

先日家族で、新しくできたカフェに行ってみた。夫も珍しく参加した登山の帰り、気持ち高ぶるままに新築の店内へと入る。大人が頼んだのは珈琲とチーズケーキ、子どもはレモンスカッシュとチョコレートケーキ。いつもよりちょっと高級な値段設定だったから、半分ドキドキしながら待つ。

やってきたのはフレンチプレスで淹れた珈琲だった。そういえば最近フレンチプレス飲んでなかったね、と言いながら口にした途端「うま…」と言葉が漏れてしまった。フレンチプレス、美味しすぎる。我々が登山でしっかり運動したから?それにしては味わいが半端なく良い。チーズケーキも丁寧に作られているのがわかる。私だけではなく夫も子どもも好反応で、ただ美味しいと言いながら食べる時間となった。

あのフレンチプレスのことが忘れられず、私は先程スタバのレジでフレンチプレスも同時に購入した。スターバックスにはボダムのフレンチプレスの器具が置いてあるのだ。このあと帰宅したら3時のおやつはフレンチプレス、ワクワクソワソワして帰宅途中にこけたり事故に遭わないように気をつけなければならない。そのくらいの浮き足立ち様である。

『断片的なものの社会学』

先日読むと決めていた岸政彦先生の本、当日の晩、あっという間に読了。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

大学の先生は当たり前だけど賢い人が多いから、大学の先生の書く文章は大抵面白い。特にエッセイは、難しく考えずとも読める題材が多いからとっつきやすいうえ、先生の賢さや構成力が活きているように思う。感覚的に言ってるだけだけど。大学の先生である岸政彦先生の本もやはりそんな印象。

本には先生の研究にまつわる話も、自身の日々の出来事や昔話も出てくる。そのすべてがまさにこの世の中に存在した、この社会の話。その生々しさが妙に胸をえぐる。社会学ってもしかしたら哲学でもあるのではないか……と感じるほど、人の生き様から見えてくるものがある。

本によると、先生は個人のブログウォッチングも趣味のひとつとされているようだ。こんなところにもお仲間がいるとは。人の波や車窓の景色をながめるたびにその街の人や生活を想像するように、ブログに巡り合いその行く末を見守る。あれ楽しいよね。

岸政彦先生の本をチェックしていたのは、以前新潮の日記特集を読んだから。岸政彦先生の日記が面白くて、にがにが日記やツイッターも読んだ。引き続き先生の著作を読むべく図書館でも借りた。流れで雨宮まみさんの本も。こうやって、色んな興味関心が繋がっていくのも良いものだ。

にがにが日記―人生はにがいのだ。― | 岸政彦 | 連載 | Webでも考える人 | 新潮社

無視は最大の……

無視は最大のナントカというけれど、正しい表現と出典はよく分からない。最大の攻撃だとか侮辱だとか。いずれにしても腑に落ちることが多々ある。

会社員時代、週に一度は会うほどの仲の良い友達にいきなり無視されたのは、共通友人の結婚式会場でのことだった。その数日前、私は彼女に「私も結婚することになったのだが、日取り的にどうしても○月○日になってしまう」と謝りの電話をしていた。その○月○日頃、彼女はちょうど出産を予定していたから、恐らく出席してもらうことは難しい。

つわりで苦しかったのもあるかもしれないが、元々気分屋の彼女の怒りは相当だったようだ。共通友人の結婚式当日、会場のトイレで会って、話しかけても一切反応しない。聞こえていないはずはない、周りには誰一人居なかったから。

式はつつがなく進行した。他の友人とは機嫌よく話をしていた彼女をなるべく視界に入れないように過ごす。しあわせな式の最中に申し訳なかったけど、感情は殺されていたので記憶もあまり無い。楽しんでいるふりを頑張っただけ。

二次会にはその無視し始めた友人の夫も来ていた。私も知っている人だ。ついでに言うと私の婚約者(つまり現在夫である人)の知人でもあった。この人は普通に私に話しかけてきた。よって私も普通に話す。遠くに無視し始めた友人の横顔が確認できた。彼女の右半身は私を察知しているに違いない。彼女は何を思っているのだろうか。

彼女の夫は最後に「そういうわけだから、俺もお前らの結婚式行かないから」と言った。そのとき、私の結婚式の話は話題にしていなかった。もちろん事前に彼女が事の流れを彼女の夫に伝えているのは想定の範囲内だが、話題が随分切り替わったものだ。私は「出産の時期ですもんね、難しいですよね」と答えた。彼女の夫は「じゃ」と言って立ち去った。

毎日のように連絡を取っていた友達、まるで恋人同士みたいだねと周りに笑われていたほどなのに、プツリと途絶えてしまった。私が最初から日取りを彼女優先にすべきだったのか?しかし私には私の人生が、我が家の事情があった。友人にそこまで気は遣えない。

それとも伝える時期や伝え方が悪かったのだろうか。しかしどんなに先延ばしにしても、無視されるのは同じだろう。私は出来るだけのことをしたはずだ、と自らに言い聞かせた。

それから数ヶ月が過ぎた。彼女のつわりも落ち着いた頃かもしれない。「(一緒に通っていた)エステから何か連絡きた?」と彼女からメールが来た。通っていたエステは定期的に勧誘の連絡が来るタイプの店だ。回数券を購入していたので、期限内に行かないと損である。よって、彼女から連絡が来る前に何回か私一人で通っていた。

その旨伝えると「一人で行くなんてひどいね」と返事が来た。ひどいのはどっちだよ。私は「無視までされたのに『一緒に行こう』と誘うほど、空気読めないわけではないよ」という内容を返事した。

次に連絡が来たのは私が新婚旅行に旅立つ日だった。他の友人から私の結婚式に出た話を聞いた、あのときは無視してごめんなさい、といった内容のメールだった。その謝罪を私は受け止め返事を書いたけど、以前と同じように彼女と交流するのは無理だった。それは私の心の中の問題でもあり、彼女の心の中の問題でもある。さらに、私も結婚することで以前と同じように密にやりとりしたり会うのは難しい。ある意味、よいタイミングだったのかもしれない。

彼女とは以後会わざるを得ない機会が何度かあった。さらなる別の友人の結婚式や同窓会的なパーティーで。会えば楽しく話すけれど、少し私は演技している。共通の友人たちがハラハラしているのがわかる。ごめん、みんな。共通の友人たちには、私からは要点のみしか伝えていない。彼女が私のことをどう言っているのかは分からない。みんなの中で私はひどい人間かもしれない。もしそうだったら……そう思われて当然なのかもしれない。でも、私にはもうどうすることも出来ないし、しない。

私がこの話を今日書いたのは、私が今度は無視をする立場になったからである。対象は実母。原因は少し前にこのブログにも書いた。

実母のLINEを既読スルーしている状態だから、完全な無視とはいえないかもしれない。しかし普通の人間関係なら失礼極まりない。

だが、もう私には限界だ。これまで、つらくて何度も反論したり注意してきたことさえも、実母にとっては「構ってもらえている」「反抗期の延長」という感覚のようだ。違うんだ、もうあなたは迷惑なんだ、そう言いたいけど、今まで何度も言ったけど、言えば言うほどしがみつく別れ際の面倒な女のようになるのだ。実際面倒な女なのだが。

そんな人には無視をするしかない。本当は未読にしたいけど「娘に何かあったのかも」などと一人で盛り上がって私の姑や夫に相談されたら面倒である。また、祖母が死んだなどの連絡が入るようなケースが考えられるので完全にブロックできない。

それもまだまだ甘やかしていることになるだろうか。私もなんだかんだで世の中に体裁よく見せたいのか。親を裏切るひどい娘になりきれない。毒親という言葉はとっくに知ってるよ、親に対してじゃなく世間に対して体裁よく見せたいんだよ。

そのために私は、既読スルーで親を利用する。無視しながら、無視された時のことを思い出す。「おばあさん、施設への完全入所が決まりました」という実母のLINEを読んでいると、我が子が「なにかあったの」と心配そうに言った。「なんでもないよ、またあの『ばぁば』がやらかしてるだけだよ」と言うと「またかぁ」と子どもは笑う。

「もしママが間違っていることをしていたら、そのときはちゃんと間違ってると言っていいんだよ。そういう力をつけるんだよ。ママはなるべく正しいことを君に教えるけど、それでも人間間違えることがあるかもしれないから」

もし私が酷い親だと思ったら、突き放してくれて構わない、出来るだけそうならないように生きる。我が子に伝わっただろうか。いや、伝わってもそれをどう判断するかは我が子の自由だ。

無視は最大の防御でもある。

雨の日

Amazonで注文する用事が発生したところで、ふと「最近本を読んでないな」と気づいてしまった。近所の小さな図書室を利用したり、スキマ時間に本を読むことはあるけれど、全て手元にずっとある本。新しく購入したものがない。日々スマホを通して新しい情報には触れているけど、何となく脳みそが停滞していく感覚。このままでは生活にハリが出ないぞ!と、以前作成していた欲しい本のリストから一番気になるものをカートに入れた。岸政彦『断片的なものの社会学』。それとは別に登山関係や子供の本を図書館で予約。これでしばらく生きていける……。

じとじとする雨の金曜日、代休の夫が珈琲豆を買ってきてくれるという。私を珈琲沼に引きずり込んだあの店、そういえば夫はまだ入ったことがなかったのだ。帰宅した夫は玄関で傘を広げ乾燥の準備をしながら「店主と雑談したよ」と言った。なんだって!私が行っても必要事項しか話さないあの男性店主が!?「雨強いですね、とか話したよ」と夫は言う。信じられない!夫はそんなに積極的に話すタイプでもないのに。同じ男性同士だと話しやすいのだろうか。それともお互い通じ合うものがあったのだろうか。

本も珈琲も揃った、あとは子供が眠るのを待つばかり。BGMは雨の音。

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スマホからAmazonのリンクがうまく貼れなかったのでとりあえず画像にて。

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友達にプレゼントしてもらったこの珈琲も美味しかった!フルーティーな風味もあって。ずっと珈琲の苦味ばかり探っていたけど、フルーティーな部分も気にしていきたい。

100mにも満たぬ低い山

我々が事あるごとに「山頂で食べるおにぎり最高…」と呟いていたためか、休日の昼前に夫が「よし、今から山へ行こう」と重い腰をあげた。アウトドア大嫌い派の夫が山へ!このチャンスを逃すわけにはいかない。

「でも行くのは標高50数メートルの山だよ。登山というかハイキング、ふらりと公園に行くようなものだよ」と念押しされた。もちろん、そのような低山のなかの低山でなければ、ふらりと行くことなど出来ない。登山に大切なのは事前の準備だから。ふらりと行くときこそ丘レベルの山である。

そこは市民にとって花見スポットのひとつでもあり、夫が幼き頃に行ったことのある山であった。それゆえ久々に見ておきたいというのもあったらしい。経験者がいるなら尚更心強い。我々は車に乗り、途中コンビニでおにぎり等を調達し近隣の無料パーキングに駐車した。

低山というだけあり、それは住宅街のなかにあった。かつてこのあたりは海で、その山は島だったという。登山道というよりも少し山奥の公園の階段をのぼっているような感覚。ぶら下がる毛虫にギャッと驚いたりする程度で、あっという間に山頂へ到着した。

全く運動らしい運動をしていないためか、おにぎりに先日の山ほどの美味さがない。しかし低山の山頂は強すぎぬ程よい風が吹き、お弁当にはちょうどよい快適さ。時折ランニングやお散歩の人が頂上までやってきて、また帰っていくのを眺める。私たちが知らなかっただけで、山はみんなの生活に組み込まれていたのだな。

下山しながら子どもと私は「〇〇家登山部入部おめでとう!」と夫に言うが、夫は「仮入部なんで!見学で充分ですので!」と拒絶する。しかし程よく日光も浴びたし、森林浴をした気分にもなったようだ。帰宅後に夫が「次は△△行きたいね」と、山およびキャンプ場がある土地の名を挙げたのを、私は聞き逃していないぞ。

舐めるように地図を読む

今日は時間があるから山に……と思ったが、すべき事がいくつか舞い込んだので延期とした。すべき事のひとつは「子どものGPSを購入する」。この度新潟で発生した「小学生が下校中事件に巻き込まれ窒息死させられた状態で電車にはねられ発見される」という悲しく辛い出来事から、我が家でも「ウチの子にもGPSを持たせたほうがいいのでは」という話になったのだ。

もともと「mamorio」や「Tile」でも持たせようかという話にはなっていたのだが、あれは「落とし物防止GPS」であり、手元から離れたときに機能を発揮する。我が子の学校は携帯等の持参禁止ゆえにキッズケータイを持たせることも出来ない。ゆえに今回子どもの見守りに特化したものを調査し導入することにした。

山に登れないときは自然と地図を読んでいる。元々地図好きな私は、結婚以来いつも寝る前に居住地の地図を眺めているので、夫にとってもそれはいつもの光景だ。しかし今回は街並みでなく山ばかり見ている。YAMAPのアプリ上の地図と見比べながら、手持ちの地図に書き込みを入れている。普通の道路地図には載っている登山道とそうでないものがある。足りない道を線で描き、所要時間なども記入していく。

小学社会科の授業で地図を学んだとき、等高線についての知識は得たけれど、その地図を頭の中で風景として描くことができなかった。しかし今回登った山のルートを地図に書き加えていくと「このあたりは登りがきつかった、なぜなら登山道が等高線にぶつかっているからだ。等高線と平行であれば同じ高さなので傾斜はきつくない」なとど実感出来てきた。

さらに、山の近くにある建物の裏に、地図にもYAMAPにも載っていない登山道があるのではと思い始めた。道が山の手前で止まっていたりするから余計に怪しい。そこでネット検索してみると案の定きちんとした登山口として看板なども立っている。もしかしたら「国土地理院のちゃんとした地図」も手に入れる必要があるのではないか。国土地理院の地図はネットでも購入できるしYAMAPでもDL出来るようだ。また、国土地理院の地図を扱っている書店もある。一度見に行く必要がありそうだ。

と、意図せずしてGPSが絡む話ばかりになった。他にもお父さんとお子さんが登山で行方不明になるニュースがあったし、山も街もそれぞれの危険にさらされている。できるだけ事前の入念な準備と心構えが必要だ。家でスープ代わりに出し汁を飲みながら(これは『山と食欲と私』の87話に倣ってみた)、予習に予習を重ねる。

またも、秋の文学フリマ東京に向けて

またゴールデンウィークだ。去年もゴールデンウィークに「本を作って文学フリマに出よう」と思ったのだった。

今年も5月6日に東京で文学フリマが開催されて、私は自分の街で自分のスマホツイッターでその情報を眺めていた。そしてまたゴールデンウィークの夜中に11月の文学フリマ東京出店のボタンを押した。

元々「次回はこれを書くぞ」と決めていたものがあったのだけど、もちろんそれも書くとして、もう一冊、私は登山の本を作ろうと思う。そう、このあいだ低い近所の山に登って、これを本にしたいと思ったのだ。

というわけで、2018年11月25日(日)、文学フリマ東京に出店します。新刊と既刊を持って。今度も翌日は平日だけど、去年みたいに2時間弱で帰ったりしません!でも16時くらいに帰る可能性はございます…(さすがに17時ラストまで居ると、帰宅が22時をこえてしまい子連れには厳しいのです)。

今回は2回目ということで売り上げの詳細なレポートとかしませんから(笑)気楽に遊びに来ていただければと思います。そして私ももっと会場を楽しみたい。カレー食べたい。そんな心境です。

明日は時間があるからトータル3時間くらい近所の山に登ってみたい…