文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

手から手に渡る喜び

三ヶ月。あれこれ言い訳しようがないくらい時間が経っているので、逆にしれっとブログを更新できる。

ご無沙汰しておりました。お変わりありませんか。

Twitter等で日々更新のとおり、新刊は完成したものの文学フリマ東京へ行くことは叶わなかった。毎回ここで開催数日前に「文学フリマ出店のお知らせ」と共に新刊のサンプルを紹介していたというのに。今回何も更新しなかったのは「お知らせしたくせに行けなかった」というパターンを極度に恐れていたからだ。そして恐れていたとおり上京叶わず。

よりによって文学フリマ東京の開催された日曜を含む週末は「我慢の三連休」と名付けられた。途中からは私だけでも日帰りで上京をと目論んでいたが、開催直前の金曜には子どもの学校より「外出は極力控えてほしい」旨連絡が入った。これが決定打となった。

文フリ出店は決して不要不急ではないはず、だけどゴロゴロ大荷物を引きずり移動する姿を学校関係者や保護者に見られたら…と怯えもしたのだ。私は結構世間の目を気にするタイプなのかもしれない。

「行って新型コロナにかかるかもしれない、逆に既に知らぬ間に罹患してて、行って誰かにうつすかもしれない。帰ってきてからも…」と頭をぐるぐるさせた数日間だったが、行かないと決めたことで悩みから解放されたのは良かった。

しかし当日は、えも言われぬ喪失感でいっぱいになる。せめて文フリ出店者さんで通販されている方の本を買ったりTweetしたりしよう、それで明るく過ごそうと思った。から騒ぎだったかもしれないけど気は紛れた。

今週に入り、その文フリ当日に種まきのように注文した本が、花を咲かせるかのように続々と届き始めた。楽しい。どの本を読んでも「やはり間違いなかった、買ってよかった」と思った。今日以降もまだ届く予定。しばらくときめきは続く。

また、新刊を置いてくださる広島蔦屋書店さん、ホリデイ書店さんにも納品にお邪魔した。実際に本が店内にある、その感動はいつ訪問しても変わらないが、今回は格別だった。手から手に渡る喜びとでも言おうか。

手から手にといえば。文フリ東京に持っていけなかったがBOOTHの通販でもオープンから続けてご注文いただいた。見つけていただきありがとうございました。私の手からあなたのポストへ。嬉しいです。

苦戦した新刊の表紙も、それはそれで「敢えて」の意味を持つようになったと思いたい。

というわけで、悔しさもあったけれど収穫も大きかった今回。まだ私の本作りの旅は終わったわけではない。12月26日から1月11日はテキレボEX2というWEB上の即売会に参加。そして2月14日には文学フリマ広島に参加予定だ。地元こそ絶対に参加したい。

↓新刊の詳細・サンプルはこちらから。購入先のリンクなども。

敢えてここでいただきます【7th BOOK】 | わたのはらさゆ

「させていただく」/自サイト作り

疲れると心が狭くなり他者の欠点が目につく……という自分の欠点は自覚している。ついついテレビに向かって「何それ」「無いじゃろ」などと言ってしまうのをやめたい。育った家でかつて見た老人と同じことをしている自分に腹が立ちつつ、結局やってしまうのをやめたい。山に囲まれた、人間よりも猪の方が多いような町で、自分の政治論や「昔は良かった」を主張する老人を見て心を冷たくしてきたというのに。

でも、思っていたものと違う日本語に出くわすと私は首を傾げざるを得ない。それが過剰な「させていただく」という言葉遣いだ。この言い回し、私も全く使わないわけではない。けれど過剰に、使う必要がない場面や何度もしつこく登場した際、私は激しく拒絶してしまう。

特に散見されるのが有名人による入籍の「ご報告」である。ブログのタイトルを決まって「ご報告」としているのも何なんだろう。敢えて何でもないご報告を期待したくなる。そこで登場する「結婚させていただきます/ました」という言葉遣いが私の納得いかないところである。
結婚というものは、そこまで他者にへりくだる必要性があるのだろうか。そういうわけでストレートに「結婚致しました」「入籍しました」などと書いている有名人には途端に好印象を持ってしまう。

結婚は両者(敢えて両性とは書くまい)の合意のもと、ある程度の覚悟はありつつも基本的に自由であって欲しいという私の思想がそう思わせているのかもしれないけど。

文法的に考えると「動詞」+「する」+「謙譲の表現」をクドく感じているのかもしれない。関西芸人さんがテレビで喋っているとき等に散見される「今度行かさしてもらいますわ」みたいな表現だ。「伺います」ではダメなのか?「行く」に「する」をなぜ足す?もしやどこかの方言が伝播したのだろうか。

そんなブログを書いて、載せていいのかな、傲慢かな、と思っているうちに8月も終わろうとしている。

秋の文学フリマ東京が開催されてもされなくても情勢を鑑みて辞退することになっても、そろそろ次の本作りを本格的に始めなければ。なのに、またしても表紙から手をつけてしまった。『ゴミ処理場の静と動』を作った時、表紙から作ったせいもある。あの時と違って明確に「こんな表紙にしたいのよ!」というのがないので、さっさと本文を書いたほうがいいのに。でも表紙作りは楽しい。

一方で「わたのはらさゆ」としての、ちゃんとしたサイトを作りたいと思って試行錯誤している。「インターネットでホームページを作る」という行為の懐かしさよ。”ジオシティーズ”なあの頃と違って無料サイトでもテンプレが充実しているが、より見た目を美しく…と思うと欲が出る。でもその見た目の美しさが文章作りにやる気を与える気がする。表紙作り然り。

マイラーはどこへ/ブックカバーチャレンジまとめ

気軽に旅に出られなくなった2020年、いわゆるマイラーの皆様におけるマイルの貯め方はどうなっているのだろう。

このブログやリトルプレス本でこれまで触れたように、私もホテル系ポイントが貯まる某クレジットカードを所有している。旅の際にはそのポイントや無料宿泊ポイントを使ってきた。また、ポイントは航空会社のマイルにも交換可能である。

でも今は気軽に旅に出られなくなってしまった。コンスタントに使い続ければポイントに有効期限は無いという点では安心だが(マイルに交換すると有効期限は発生する)、毎年一回発行される無料宿泊ポイントをこれからも使い続けることができるだろうか?今回の新型コロナの件で無料宿泊ポイントの有効期限は延長されるようだが、若干不安である。無料宿泊ポイントを使わないとなると、年会費との釣り合いが取れなくなるのだ。

「新しい生活様式」なんていうけれど、クレジットカードにも関係してくるとは。自分はどこかで「旅行という文化はなくならない」と思い込んでいた。たとえ貧しくてもそれなりに工夫すれば旅はできる。しかしそんな発想は新型コロナで全て打ち砕かれた。提携カードではなくプロパーカードも視野に入れたカード選択をしなければなと思い始めたところだ。

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このコロナ禍においてSNSで流行っていた「〇〇チャレンジ」、mixi全盛期時代のバトン文化を思い出しつつニヤニヤとウォッチングしていた陰湿な私だが、自分のプライベートアカウントにも「7日間ブックカバーチャレンジ」が回ってきた。本となれば話は別である。1日で7冊を紹介するという自分勝手なチャレンジを行った。

さらに6月末には「わたのはらさゆ」名義のインスタでもご指名いただいた。本作りアカウント冥利に尽きる。というわけでここは1日1冊紹介していった。ただし「ジャンルごとに紹介する」というマイルールを勝手に課し、1冊どころか背景に何冊か並べるという展開。自由気ままに楽しませていただいた。

その代わりといってはなんだが、私のチャレンジは誰にもバトンを渡していない。もし「いま敢えてやりたい!」という人がいらしたら、こちらのコメント欄で構いませんのでご連絡くださいませ。バトンお渡しします。

ここんとこ「ブログに書こうかどうしようか」悩んでいたけど次回書くことにしよう、次のブログのお題は「結婚は『させていただく』ものなのか」について。

動くお金とお気持ち

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ゆるゆると自粛が明けていくのかと思いきや、一気に社会が通常モードに戻った。そんなに早く大丈夫なのか、すぐに第二波が来てしまうぞと怯える気持ちとホッとする気持ちが入り混じる。家族も職場や学校が通常に戻り、6月14日には約3ヶ月ぶりに外食に出かけた。

6月とはいえ新学期みたいなものなので、子どもは学校生活の疲れで学業面でも精神面でもお疲れ気味。そちらのケアに重点を置いた数週間であった。

同時にやたらと事故や怪我の話を耳にするようにもなった。これも自粛明けの影響なのだろうか。家族もちょっと被害(とまでは行かない軽いものだけど少しでもズレてたら大事故だった)を受け、関連し検査のため病院に同行したりなどドタバタとした日々を送る。幸い無傷で検査も異常がなかった。

というわけでその後神社へ出向いた。非科学的なものを信じ込んでいるわけではないけれど、区切りというか儀式的な意味を込めて。家族分のお守りも購入した。時期的にも夏越大祓の人形の配布が始まっており受け取る。各々人形に記入し、来週また持参する予定。

参拝を終えると、心なしか晴れやかな気持ちになった。日差しは暑いが風が心地よい。

新型コロナの話に並行して、広島の河井議員夫妻が金の問題で逮捕され連日ニュースになっている。ちょうど検査のため病院に向かう少し前に彼らが逮捕され、乗ったタクシーの運転手さんがその話題を持ちかけてきた。

「あの人たちは悪くない、みんなやってる、田中角栄だって。あれで日本はよくなったんだ」……持論を展開し演説するタイプの運転手さんであった。面倒なので「表面化してないだけで多くの議員がそういうことやってるんでしょうね」と運転手さんに言い、すぐに家族との会話を始めることで遮った。

神社へのお金と買収のお金、全く違うものだけど、どちらも「お気持ち」で動くタイプのお金だなとぼんやり考える。

断ることで悪い扱いを受けたら困る、その気持ちを利用してお金を押し付け、自分の良い方向に動くことを望む政治家。受け取らず告発することだって出来たはず、でも結局受け取ってしまった人の気持ちは100%クリーンとはいえない。

神社へのお金はそんなダークなものではないけれど、一歩間違うと怪しい新興宗教の如く依存的なものとなるだろう。神様仏様にお金を差し出しても直接事態を好転させることはできない。その人はきっかけや気持ちの整理にお金を払う。

同じお気持ちでも、買収に関わったお金は相手の心を不正な道へと操作し、神社へのお金は自分の心を操作する。人の心をお金で悪い方へ動かさない、悪い方へと動かされない人間で居たいなと思う。ま、専業主婦を買収してくる人なんて居ないと思うけど。

自粛生活で9年前を思い出す

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画像は「リモート飲み会」に向けカメラの高さ調整をした様子。足もみ整体…

この自粛生活では3.11の震災当時を振り返ることが多かった。私は妊娠後期で*1大きなお腹を抱えてNHK Eテレの高校数学番組を見ていたところに地震発生。TVは緊急ニュースに切り替わる(ちなみに9.11の時は「ジャングルTV タモリの法則」を見ていた)。

私は地震から遠く離れた広島に居たが、出産・育児の準備には災害が大きく関わることとなった。物資が不足しているから基本的にオムツは布を使おうと決めたのもその頃だ。これは単純に「使用後の紙おむつを室内に置いておいたり、ゴミ出しの日に持っていくのが面倒」という自分のズボラな性格もあったのだが。

同様にその頃用意したのが布マスクであった。あくまでも非常事態用で、その後ずっと不織布のマスクを使い続けていたため放置されていたが、今回日の目を見ることとなった。自分でも手縫いやミシンで制作したが、洗い換えで重宝した。さらに最近マスクを洗いすぎて(=使いすぎて)縮んできたため子どものマスクサイズが合わなくなり、その震災時の大人用マスクを使わせるといったことも可能であった。

育児の大変さで世の中のことを追い切れていない/記憶していない部分も多々あるけれど、今回は極力書けているのではなかろうか。それだけ子どもが大きくなったのだと実感する。

週末に友人たちといわゆるリモート飲み会?オンラインミーティングのようなものを実施した。私は1時間だけ参加したが楽しい時間であった。あんまり長く、義務的なものであると参加も負担となるが、「来れる人はきてね、出たい時に出てね」と決めておけばハードルは低くなる。

こういうオンラインでの交流に抵抗がないのは、自分がこれまでインターネットどっぷりな生活を送っていたり、通信制大学に在籍しネットで学生生活を過ごしたからかもしれない。「いつも文字だったのに加え、画面と音声も入ったのだな」という感覚。zoomに至っては子どものオンラインイングリッシュで導入していた。自分でも気づかぬ間にリモート対応の下準備ができていたと今更気づいてみたりした。

今日は子どもの学校が再開。久々にキッチンタイマー30分かけてブログを書くことに成功。第二波以降が来ることなく日常を徐々に取り戻せますように。

*1:と書くことで我が子の学年をうまく誤魔化せるのではないかと思っている。3月〜4月1日生まれか、それ以降の生まれかで学年が変わるから。

緩まないような緩み方/自粛生活で買った本リスト

緩まないような緩み方

徐々に自粛していくよりも、徐々に自粛を解いていくほうが難しいと思うのは私だけだろうか。どこをどう緩めたらいいんだっけ。もちろん緩めすぎて再度の緊急事態になってもいけないし。難しいところだ。

緊急事態解除からの土日。休日はまだ警戒したほうが良かろう、しかしテイクアウトを楽しむのはありだよねという話になり、久々に家族三人で車に乗る。事前に店舗に電話注文しておいたので、私だけが降車して支払と受取を行う。某レストランには何組かお客さんが居た。

近隣にある夫の実家にも立ち寄ったが(レストランの品もお裾分けする作戦)、これも夫のみが降車。窓越しに孫との再会を果たしてもらうスタイルをとった。全くお目にかかれない日々であったが、窓越しに我が子と手を重ね合う様子を見るに、喜んでもらえたのではないかと思う。

そして帰宅しみんなで食事をとる。テイクアウト品は少し冷め始めていたが、再び温めればそこまでクオリティは変わらない。ほぼ車の中にしか居なかったが良い気分転換になった。

引き続き「広島で宅配・テイクアウトといえばお好み焼きだよね」という文章を書いていたのだが、ありがちで終わりのない「私の好きなお好み焼きとは」という話になったのでカット。

自粛生活で買った本リスト

この自粛生活において、予想通り書籍をたくさん購入することとなった。あまりにも書いすぎたためにここで3月から5月中旬までに購入したものをリスト化しておく。

3月X日 Amazon
赤ちゃん本部長(1) (モーニングコミックス)
全3巻購入。第3巻はペアレンタルコントロールによりまだ子どもには見せていない。成長をみて判断。
地図帳の深読み
新詳高等地図 (Teikoku's Atlas)
地図の本が欲しいと調べていたところ発見した教科書のような本、そして今更だが購入した高校向け地図帳。私は高校時代に地理を選択しなかったので中学ぶりに手にした。スルメのようにじっくり楽しんでいる。

この頃は休校直後。まだ流通に関しては気にしていなかった。

3月X日 AmazonKindle
夫のちんぽが入らない(4) (ヤングマガジンコミックス)
単行本も文庫も持っているが漫画も。漫画は電子書籍にした。

3月1X日(Amazon
NHKラジオ基礎英語(1) 2020年 04 月号 [雑誌]
NHKラジオ基礎英語(2) 2020年 04 月号 [雑誌]
NHKラジオ基礎英語(3) 2020年 04 月号 [雑誌]
毎度おなじみ基礎英語、今回は年度始めだったので1から3全て購入。

3月2X日(Amazon
「地図感覚」から都市を読み解く: 新しい地図の読み方
2月に蔦屋書店のフェアで「空想地図キット」を購入したが、その作者さんの著書。最初は基礎的な話なので初心者も安心。徐々にハッとするような箇所が増え、引き込まれる。地図好きのくせに方向音痴な私、この本をきっかけに治ると良いのだが。実践しようにも自粛の日々である。

3月2X日(Amazon中古)
日本の醜さについて 都市とエゴイズム (幻冬舎新書)
大学の学友が教えてくれた本。ちょうど2月の文学フリマ広島のころに教わったので、それを懐かしみながら注文した。まだ読んでいないので読まねば。

4月10日(広島蔦屋書店)
名探偵コナンの10才までに覚えたい難しいことば1000 | 小学館
『棚から一掴み 第12号』kza2企画

広島蔦屋書店さんには本のことでお邪魔したので「これは不要不急ではない!」と判断。週末外出自粛のお供を急いで選ぶ。 やはりリトルプレス 、それも山下達郎ラジオリスナーにはお馴染みの言葉「棚から一掴み」が気になって。同人誌の同人誌というアイデアよ。子への土産はコナン。 https://t.co/CED4xHiPKa

4月1X日(紀伊國屋書店
動物のお医者さん 1 / 佐々木倫子 - 紀伊國屋書店ウェブストア
自粛生活の潤いに、子どもも大人も楽しめる漫画をと思い購入。愛蔵版の1巻から6巻まで大人買いAmazonに全巻なかったことと、できるだけ日本の書店や個人書店での購入に意識が向き始めた。注文して少し時間がかかった記憶がある。この頃から徐々に物流倉庫内の勤務人数or出庫数が制限されていたのでは、とぼんやり推測。

4月1X日(Amazon
NHKラジオ基礎英語(1) 2020年 05 月号 [雑誌]
NHKラジオ基礎英語(2) 2020年 05 月号 [雑誌]
NHKラジオ基礎英語(3) 2020年 05 月号 [雑誌]
Amazonで買うのは控えていたが、基礎英語に関しては予約注文していたため。引き続き3冊様子見。

4月2X日(ホリデイ書店)

みぎわに立って | ホリデイ書店
ホリデイ通信バックナンバーセット | ホリデイ書店
こちらに関してはブログに記載済み。

4月2X日(紀伊國屋書店
兄の終い / 村井 理子【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
子どものドリル類とともに購入。さらっと読める量だが、毒親族に苦しんだ人には辛いかもしれない。しかし登場人物が明るいのが救い。特に、お兄さんのお子さんの幸せを心から祈る。

5月X日(ほんのみせマドカラ)
山とそば | ほんのみせ マドカラ
非常時のことば 震災の後で | ほんのみせ マドカラ
SOLD OUTですが、マドカラさんの紹介文を読んでいただきたいのでリンクはそのまま。
いずれもまだ読みかけ。『山とそば』には宮島だけでなく岩国も載っているのがポイント。岩国には友人も数人居て、私も何度も訪れてきた。白蛇〜!
『非常時のことば』は、今まさにこのタイミングで読むべきかと思って購入。数日前に買った『みぎわに立って』にも登場する石牟礼道子さんの名前がここにも。驚いた。

5月X日(紀伊國屋書店
2020年6月30日にまたここで会おう / 瀧本 哲史【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
CREA(クレア) 2020年5月号 - 紀伊國屋書店ウェブストア
前回の紀伊國屋書店の注文からまだそんなに日が経っていないのにダメじゃないか、と思ったが、子どもの日に何もしてやれていない関係もあり諸々注文と同時に自分の本もちゃっかり注文。
ランキングに載っていて知った『2020年6月30日にまたここで会おう』、非常に良い買い物だった。このような講義をまとめた本は、大学テキストと同様にマーカーを入れたくなる。現在読書2周目、書き込み開始。
いつもは「贈り物バイブル」特集の時に買うCREA、今回は旅気分を味わいたかったのと、するめ基金の報告が載っていたため購入。

5月1X日(Amazon
NHKラジオ基礎英語(1) 2020年 06 月号 [雑誌]
NHKラジオ 基礎英語2 2020年 6月号 [雑誌] (NHKテキスト)
4月と5月はお試しの意味もあり基礎英語1から3まで買っていた。しかし3は私のみ晩ご飯を作りながらシャドーイングしているような状況だったので、6月号からは1と2のみにした。必要なら電子書籍で追って購入すれば良い。聴取は引き続き1〜3で。

5月1X日(tababooks)
仕事文脈 vol.16 | タバブックス
仕事文脈 vol.14 | タバブックス
本と□ Books & something vol.2
いざリンクを貼ろうとしたら、tababooksさんの通販サイトにアクセスできなかったので関係ある箇所へ。文フリ東京きっかけに『仕事文脈 vol.13』『仕事文脈 vol.15』は手に入れていたのだけど、今回は最新号vol.16と抜けていたvol.14を。
関連して「本屋さんの書いた文章」が読める『Books & something』も。「四角」の部分はどう表記すべきか迷ったがそれもまた作者の皆さんの意図なのかもと思ってみたり。

3月から5月(某ネットショップ)
大あたりアイスクリ-ムの国へごしょうたい / 立原 えりか【作】/北田 卓史【絵】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
英語のひみつ (学研まんがひみつシリーズ)
買った時期と場所は敢えて書かないが(上のリンク先サイトではない)、この時期に購入した古本。古本屋での偶然の出会いではなく、ずっと探していた2冊を見つけ買い求めた。いずれも私が幼い頃に読んでいたものである。

注文中(テキレボEX)

文学系即売会は文学フリマしか行ったことがないけれど、他にもいくつかあるようす。時折TwitterのTLなどで見かけ名前だけは知っていたテキレボ(Text Revolutions)、この新型コロナの状況を踏まえ全通販型即売会として開催されることを知った。

テキレボEX 早速注文&入金完了!来月の到着が楽しみ!文フリで知った本も。#テキレボで楽しみな本 『モンゴル 命の草原よ永遠に』『岩手と私』『旅の恥切り貼り帖 時効ですよ! vol.1』『自費出版体験記〜夢・現実・次の夢〜』『松風を食す。』『掘削日和』著者名略。また到着後改めて! https://t.co/pjtRlFKWw2

5月31日(日)まで開催とのこと。詳しくはこちらを→Text-Revolutions Extra | Text-Revolutions

追記

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先日取材いただいた記者さんより掲載紙を頂戴した(ありがとうございました!)。取材の日を懐かしく思い出す。3月が随分昔のように感じるのは、きっと私だけではないだろう。

季節に置いていかれても

トイレットペーパー、ハンドソープ、除菌スプレー、珈琲、おやつ、米、本、ノート。これらは自粛生活で消費ペースが速くなったもの。ハンドソープは売り場の棚がガラガラ。いつも使っていた泡ハンドソープの詰め替えも当然無く、固形石鹸でやり過ごしている。

耐え忍んでいるように見えて、時間もあっという間に過ぎていく。やるべきことが案外多いのだ。暇な時間もつい、子どもの学習法や新型コロナ関連の情報を追ってしまう。ついこの間まではマスク職人状態だったが、ある程度作り終えた。すると脳は次のことを探し始めるのだろう。それは自粛の日々に限ったことではなく性格的なものもあるだろうが。

朝食後に子どもの布団シーツを洗うべく作業していると、ラジオから山崎まさよしの曲が流れてきた。昔流行ったような気がするこの曲、久しぶりに耳にしたら何だかゆっくり聴きたくなった。布団の上に腰を下ろしてみる。白いレースカーテンを通して窓から差し込む光、そこに舞う細かい塵。洗面台のあたりから夫の身支度の音がする。子どもはキッチンのテーブルで友達に手紙の返事を書き始めた。

外は6月の気温だという。人類が季節に置いていかれたような気持ち。だがそれを憂いても何も始まらない。この曲が終わったら家事の続きをするぞと自分に言い聞かせつつ、しばし頭を休める。