即決派と慎重派

子どもに風邪をうつされていたようでクリニックに行き帰宅すると、予約していた来年の星ダイアリー(石井ゆかりさんの占いが載った手帳)がポストに届いていた。もうあと数ヶ月で来年なんだ。大掃除に子どもの進級準備、進めなければならないことを頭に思い浮かべる。

家に入り、午後から出勤の夫と昼食をとる。日曜に行きたいところがあるという夫。いいじゃん行きなよ、土曜前乗りしたっていいよ、私たち十一月に東京行くし行っておいでよ、とすすめるも、なかなか行動に移さない。土曜の仕事の進み具合や、前後の疲労を考えているのはよくわかる。

やりたいことがあれば即調整してさっさと実行に移す私と、じっくり考えて失敗しまいとする夫。世の中には色んな人間がいる。どちらが良いとか悪いとかはない。実際、私は今日風邪をひいている。明日には熱が出るかもしれない。そんなとき既にホテルや交通機関のチケット予約をしてしまっていたら?そう思うと夫のように慎重な意見が活きてくる。

もしかしたらこの「即決派と慎重派」が組み合わさるのが最強なのではないか。そう思いながら今日は早めに眠る。

頭の中が宇宙

グランドピアノを弾く機会を貰ったので子どもを連れて行くことにした。ただ、与えられた一時間は長すぎる。子どもの集中力がそこまで持つとは思えない。というわけでシェアする人を募集したところ高校の同級生が立候補してくれた。彼女は音楽のプロで今は育児休業中。お子さんを連れて参加してくれるという。

ただのグランドピアノではなく大きなホールの舞台にあるピアノ。係の人に案内されてホールに足を踏み入れた。客席の後ろにいても聴こえる音なんだろう。素人ながら気持ちも高まる。

まずは我が子から。いつもの練習の曲を…と言いながら、他の人も居る手前照れてなかなか普通どおりに弾かない。楽譜にないフレーズを勝手に弾いたりとやりたい放題である。しょうがないので私がいくつか音を弾き、音当てタイム。絶対音感ぶりを発揮する。

子どもの集中力の途切れたところで交代。同級生は歌も上手いため弾きながら歌う。カッチーニアヴェ・マリア。うっとりするくらい素敵。さらに牡丹と薔薇のテーマ曲も。

そこで交代して我が子が弾き始めたのは以前このブログにも書いたエンヤのonly time。驚く同級生に「ああ、これ前に先生に弾いてもらってね…」と話していたら「いや、これは牡丹と薔薇の流れからのエンヤだわ。牡丹と薔薇でエンヤを思い出したんだね。これ、たぶん曲のベースの部分が同じだと思うから…」と同級生は言った。

素人の私では気づけなかったそういうこと、これまでにもかなり取りこぼしているかもしれない。もともと我が子の頭の中にある壮大な宇宙的ななにかを面白がってきたけれど、音楽に関しては特に謎だ。それを話すと同級生は「芸術家ってみんな頭の中が宇宙よ!」と言う。私たちは笑った。

その後も数曲弾くごとに交代していった。子どもは同級生が弾くのを聴き喜んでいる。しまいには後ろで踊り始める。グランドピアノの音の響きや弦の動きを凝視する我が子に、同級生はペダルを操作してピアノの仕組みを教えてくれた。いつものレッスンとは違う音楽の体験。きっと子どもの心の中にはしばらく、あの音が反響しているはずだ。

眠れない夜

祭で大騒ぎの夜は地元テレビ番組もそのことばかりで、レポーターは「今夜の〇〇市は眠れない夜になりそうです!」と声を張り上げている。それを見た我が子が「えっ今日眠れないの?」と言い出した。いや、君には早めに床に入ってほしい。

と言いつつ今日は少し夜更かしになってしまった。私たちは夕食にハロウィン用パッケージのシャンメリーを開けて祭を祝う。夫は三連休も仕事だが、ようやく落ち着いたようで先ほど帰る旨連絡があった。この祭はもう少し続くはずだけど、いったん一息つける。

残っていた洗い物を片付けて珈琲を淹れよう。今日はどうせ眠れないからカフェインを摂っても平気。おまつりおめでとう。良い夜を。

 

コンビニの帰り道

台風の前の静けさ。朝七時台、しとしと降る雨のなか私は一人でコンビニに向かう。今日子どもの学校行事で必要な軍手を準備し忘れていたからだ。今までの人生で幾度もコンビニに入ったが、見かけたような見かけなかったような、なんとも不確かな存在、軍手。

ひと通り自分で探しても見つからず店員さんに尋ねる。店員さんも不安そうな顔をしながら陳列棚へ。あった、私が見ていた棚の別の位置に。店員さんにお礼を言いレジへ向かう。軍手はちゃんとある。急な掃除当番、急な墓掃除、急な証拠隠滅に軍手が必要なときはコンビニへ。

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普段絶対に家族と過ごしている時間に一人で過ごすのは何ともそわそわする。以前もこんなことがあった。子どもが泊まりがけの学校行事に出かけ、夫は仕事からまだ戻らなかった夜八時。食器洗剤を切らし在庫も買い忘れ急遽コンビニへ。夜中に一人で歩くなんて不良少女みたいだなと少しワクワクするアラフォー。誘蛾灯に群がる虫のようにコンビニのあかりに吸い寄せられる気分。つい必要のないシュークリームまで買ってしまった。

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私が家族を形成する以前のこと。一人暮らしの自由を謳歌する私は夜中のコンビニが好きだった。テレビで深夜番組を見終えた頃にコンビニで『MASTERキートン』のペーパーバックとヨーグルトを買う喜び。

しかし夏のある日痴漢に遭った。背後から私に気配を感じさせず、急に走り出し追い抜きざまに私の体を触って逃げて行く長身の男。私はとっさにその男を追いかけた。しかし逃げ足が速くあっという間に逃げられた。とっさに私は近所の交際相手の家に逃げ込んだ(徒歩五分のところに住んでいたのだ)。

交際相手は家に居なかったが、鍵をもらっていたのでそのまま入った。部屋に入って安心してやっと体が震えてきた。落ち着くために交際相手に電話をしたが、あまりピンときていないようだった。

その日以来、夜道に気をつけるようになった。一度この話を誰かにしたとき「なんで追いかけたの!追いかけちゃダメだよ、あぶないよ」と言われた。自分でも何で追いかけたのかよく分からない。捕まえてやろうと思ったのだろうか。

何にしても自分の認識の甘さを悔いた。それまで「自分が山岳地帯でのサバイバルな状況を経験しているから多少のことは平気」と思っていたが、それは間違いだった。山岳地帯で私は人々に守られていたから過ごせていたのだ。この日の私はそこそこの都会に出てきて、たった一人。誰からも守られていない。それにようやく気づいた。

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いまは家族との生活があり、私はほとんど夜道を歩かない。早朝や夜中に歩くときは、時折背後を振り返りながらあの帰り道のことを思い出す。手に入れた軍手や、シュークリームの美味しさを特別に思う。

祭の日/縦書きと横書き

子どもが熱を出し学校を休んだ。とはいえ微熱なので元気にTVを見たりのんびりと過ごしている。今日はプールに行くチャンスだったけれど、こういうときはしょうがない。

私の住んでいる地域では今日あたりから祭になるようで(詳細は記載しないけれど、わかる人にはわかると思う)、なんとなく街の人々もそわそわと落ち着かない。スーパーや商店街ではセールになるようだ。

朝一番のクリニックに子どもを連れて行く。待合では子どもは児童向けの本を喜んで読む。私は小澤征爾の本の読みかけを。すると受付の人が「あら今日行くの?」と患者さんに声をかける。やってきたご婦人は既に祭の衣装を着ていた。「落ち着かないから、このあと早めに行こうと思って」……ちなみに祭は夜からである。

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昨日は文学フリマ東京の準備をした。「一度書いたものを修正するだけだから」と呑気にしていたが、横書きで書いたものを縦書きにすると印象がガラリと変わる。自分の書いた文章だからかもしれないが、陳腐にさえ見える。句読点の数も邪魔に思えてカットすると、一文の中に「、」が一度も登場しないことがある。今こうやって横書きの文章を書いてみると、今度は読点がないと落ち着かない。不思議だ。

文章自体も、いざ「本」という形にしてみるとブログのままでは簡素過ぎる。そういうわけで旅立つ日の学校や国内宿泊地での出来事を盛り込み、一旦止めてみた。今度は旅本番の肉付けがうまくいくか心配になってきたが、書いているうちに思い出すこともあるだろう。本全体とその章のボリュームやバランスを考えていかねばならない。

 

消費消耗の長さ、人生の長さ

ここのところ二日に一回の更新だったので、今日は一日に二回更新してみる。

家電が壊れるタイミングは重なる、という話をよく聞く。我が家でも最近、結婚以来使用してきたものが壊れる自体が重なった。プラスチック計量カップの底が割れて漏れが発生・スープ用おたまの本体と柄が外れる・ドライヤーが動かなくなる……。ずっと誤魔化しながら使っているけれど、本当は洗濯機も壊れている。「映らなくなったテレビを叩いて直す」という昭和のお母さんの如く、私も毎朝洗濯機を叩きまくている。それで電源がつくうちは、まだ壊れていないのだと言い聞かせながら。

ほぼ独りで暮らした(ルームシェア的なもの含む)約十年と、結婚してからの約八年を比較する。独りのときはあまり物を消費・消耗している感覚がなかった。食品も洗剤もタオルも、一度買うとなかなか減らない。けれど結婚し子どもが生まれると、とたんに消費・消耗が激しくなる。タオルなんて、独りの十年で同じものを使い通したけれどへたることがなかった。しかし今は、一年も使えばボロボロになってしまう。干し方や柔軟剤で工夫しても同じである。

人生の中で十年といえば結構な幅を占める。私の寿命がどのくらいなのか、それは命尽きるときにしか最終的な長さは解らないけれど(もしかしたらそんなことを考える暇もないくらいあっという間に死んでしまうのかもしれないけど)、死ぬまでにあと何回計量カップを買い換えるだろうか……と、ふと考えた。結婚当初に買った計量カップは100円ショップのものだった。今回買いなおした計量カップは「私の部屋」で買った1,500円。電子レンジでも使用可だという。どうせ長く使うなら、丈夫なものにしようと思ったのだ。そしてあと二十年くらいはこの計量カップを使ってみたい。その頃には子どもが独立して自分の道を歩み、私たち夫婦もほどほどに健康で居られたらいいのだけど。

その頃もまだ洗濯機を叩いていたら、それはそれで面白い人生だ。

寝坊による遅刻

そろそろ寝ようかという頃に雨や雷の音が忍び寄ってきた。嫌な気配だ。また早朝に緊急の仕事が入るのではと、夫が睡眠用の薬を飲むべきか迷っている。「天災が起こってもそれまでにしっかり眠れていなければちゃんと働けないから、とりあえず薬飲んだら?」と言うと、夫は納得しているようだった。そしてすんなり眠れたのを確認し、私も……。おかしいなあ、今日はなんだか眠れない。眠れない人の横にいる人間の方が眠れなくなっている不思議。

眠れないと思いながら、いつのまにか眠ってしまったようだ。通常の起床時間より少し早く、夫が起きた気配がした。「(災害や緊急の呼び出し)大丈夫だったみたいだね」と枕元のスマホを見て安堵した声がした。私もすっかり安心してふたたび……。

寝坊した。目が覚めたら子どもを送り出す時間。夫も私も叫びながら動き出す。慌てて子どもを起こし身支度するように指示、学校に電話を入れる。「すみません今起きました」と寝起きの声で謝ると、事務員さんは「はいはい、大丈夫よ。気をつけていらしてね」と笑ってくれた。

週末にシェラトンでパンを買っておいてよかった。冷凍していたトマト入りのパンを焼き食卓に並べる。急な発熱用に買い置きしているパウチタイプのゼリー飲料もこういうときに使える。みんなが食べている間に、前の日の作り置きおかずとご飯をお弁当に詰める。化粧はアイラインだけ。

子どもの学校は、決まった時間に登校できなかった場合は保護者が学校に連れていく決まりになっている。夫に詫びながら子どもと出発する。マンションのエレベーターで子どもの髪型や身だしなみの最終チェック。遅刻ながらも、ママと一緒に登校できる、と子どもは少し楽しそうにしている。昨夜の気配とうって変わっての青空。もう蝉の時季は終わったと思っていたけれど、ほんの少しだけ声が聞こえる。

寝坊したから気づけたこと。