シンプルな具材

週一回はカレーを作ると決めている。メニューを考える必要がないし、家族もカレーを欲しているからだ。とはいえいつか飽きるだろうと思っているので、取り止めの覚悟をした上で。しかし意外とみんな飽きない。

カレーはいたって普通の、家庭のカレーである。じゃがいも・玉ねぎ・にんじん・肉。時折しめじやブロッコリーが入ることもある。

しかし今週は前日の煮物が残っていた。にんじんも入っている。ちょっと別のものにしようと、具材はほうれん草とイカだけにした。すると少しスパイシーな大人の味になる。なかなかいいじゃないか。確かにカレーのお店に行くと具材はシンプルなものが多い。CoCo壱番屋のようにトッピング目的の場合もあるかと思うが。

そういえば、炒飯やパスタを作ったときも、具材が少ない方が喜ばれる。肉や魚の系統が一種類・野菜の系統が一種類の組み合わせが最強だ(ネギなどの薬味・香草をさらに加える)。そのぶん全体の品数が増えてしまうけれど、それはそれで食卓の豪華さを装えるから良し。

これはあくまで麺や米と合わせるタイプの食事に限られたことだろう。逆に具材がたくさんあるほうが美味しさが増すものもあるから。こんなこと社会の常識なのかもしれないけど、私にとってはちょっとした発見だった。

文学フリマ:備品と見本誌

入稿や製本が済んで、私は文学フリマ当日用のグッズ作りに取り掛かっている。必要そうなものをざっとリストアップしてみた。

ポスター(長机に垂らすように貼るもの)/ブックスタンド(小さなイーゼル)/長机の敷物/チラシ/チラシ用のペーパーウェイトもしくはカゴのようなもの……などなど。名刺が要るならそろそろ発注せねば間に合わない。※追記:釣り銭も大切。

さらにちょっとした筆記用具やテープなどの消耗品も欠かせない。売り上げを記録する表もあったほうがいいだろうか(一冊も売れない場合は必要ないが……涙)。

先ほどA3でポスターをコピーしてきた。セブンイレブンのコピーでも満足な仕上がり。現地に行ったらA2以上が良かった…と思うかもしれないけれど、あまり大きいと持ち運びがつらいので程々に。

ちょうど入稿でドタバタしているころ、11月6日あたりだったか、文学フリマから書類が届いた。ありがたいことに発送前にちゃんと事務局からメールで送付の連絡があったので「他の家族に見られたら困る」という人もポストに注意していられることだろう。封筒にもちゃんと親展と書かれている。

中身は注意事項や宅配便搬入などに関する書類と、出展者の入場券。書類を読んで初めて知ったのは、使用後の見本誌が日本大学藝術学部文芸学科資料室に収蔵されるということ、そして見本誌の共通ラベルが意外と大きいということ。

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私の本(13センチ角)が小さすぎるのもあり、裏面にドンと貼り付けることになってしまった。もう一冊はホテルに直送なので前日に貼るつもりだが、そのデザインもがっつり隠れる予定だ。もしまた文学フリマに出ることができたら、その辺も含めたデザインを考えたいものだ。

そして、手書きってなんだか夏休みの自由研究に添付するコメントみたいで気恥ずかしいですね。。

空き時間に美術館

来週東京で友達に会う予定だったのだが、先方のお子さんの行事の事情でキャンセルとなった。平日なのでやむを得ない。日々いろんなことを語り合う相手ゆえ残念だが、だからこそまたきっと会えると思っている。

というわけで、大学の友人たちと夕方に会うまでポッカリと時間が空いてしまった。早めにホテルにチェックインするか荷物を預けることとして、どこか子どもと二人で出かけよう。そう思い本人に「どこか行きたいところある?」と尋ねると「美術館」と返ってきた。確かにこんなときしか行くことができない場所だ。

そこでいくつかピックアップしてみたのだが、東京の美術館は多すぎてどれも魅力的で選びきれない。なんとかふたつに絞り込んだ。東京に住む人はいつも多くの美術館に囲まれて暮らしているのだな、羨ましい限りだ。

迷子になった日

20日に納品予定だった文学フリマ用一冊め、なんと13日月曜に発送されていた。そしてこの数日、学校行事や夫の代休でなかなか一人で受け取ることができない。文学フリマには子連れで行くけれど、子どもには私が本を販売する話は前日に話そうと思っている。夫に言うのは帰宅後か、まだ様子を見るか、迷い中。そんなわけで隙間時間になんとか受け取り、子どもが眠り夫が風呂の間に開封するというスリリングなことをやっている。

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このような梱包で届けられた。その重さを噛みしめる。完売しようなど思っていない、けど全然売れなかったらどうしよう、不安と期待が交互に襲ってくる。

この調子なら二作目も自宅に送ってもらって良かったかもしれないが、重くなるしそのままホテルに送ってもらうこととする。

というわけで子どもの学校行事で他校に行ったのだが、私は校内で迷子になってしまった。昔は動物的直感で動けたのに、年々衰えてゆく。持たされた校内案内図も何だか分かりにくいのだ。一階を一番下に描いて欲しいのに、何故か一番上に描かれている。階段をあがるように指示があるのに案内図では下がるようになっている。次第に訳が分からなくなる。

困った時は人に聞くのが一番、ということで学校関係者の方に聞き進むがそれらしい部屋はない。さらに他の人に聞くと、最初の人の指示が間違っていたことが判明した。なんなんだ、普段からここにいる人もわからない場所って。

目的の場所にたどり着き、着いた……と安堵の声をもらしたとき、まるで巨大迷路のスタンプラリーをしている気持ちになった。バブル期に日本各地で流行った巨大迷路、現存するところはあるのかな。そんな探索も本のネタになりそうだ。

※追記。「巨大迷路 バブル」で検索すると色々出てきました。やはりみんな考えていることは同じか。

アカウントの人格

「leftright/わたのはらさゆ」名義で文学フリマ東京の進捗・宣伝を書いていたけど、先日自分がひっそりと続けているTwitterの鍵付きアカウントで「これ私です」と今回の告知を引用リツイートした。旧知の人々に自分の筆名を晒すのは本当に恥ずかしいけど、これを乗り越えないといけない。

Twitterを始めたのはベータ版として日本で公開されたころ、たしか2007年春のことだ。古参ぶって申し訳ないけれど、それだけ長くやっているので愛着がある。独身の頃で、まだ「@」で会話する概念も無かった。私の最初の友達は「酢鶏」だった。一人旅をするときも、結婚したときも、出産のときもTwitterは近くにあった。育児に疲労困憊したとき、タイムラインに流れる何気ない笑いに助けられた。いつもというわけではなく時折、人々とやりとりする。その程よく傍に・程よく離れた交流に、心が暖かくなる日々。

leftright名義でTwitterをやったほうがいいな、と思って始めたけれど、ずっと書いていたアカウントを消すことは考えられなかった。かといって鍵付きアカウントの鍵を開きleftright名義に変更することも違うと思った。「鍵付きアカウントの自分」と「leftright/わたのはらさゆの自分」はべつべつに存在して、どれも自分自身なのだった。それぞれのアカウントがそれぞれの人格を持っている感じ。そしてそれらを持つ私。だったら二重人格なのか?いや、決してそういうわけではない。この感覚はデジタルでしか味わえないことかもしれない。

ココアが美味しくなる条件

1. 冬であること。これは普通に考えてもわかることだろう。アイスココアの美味しさもあるけれど、ホットココアは断然さむくなってから。秋よりもさらに風が冷たい冬。2月がベスト。

2. 晴れた日の屋外であること。風の冷たさを感じながらも、雨だと美味しさがまた違ったものになる。美味しいというよりは体をあたためるため、この身を守るためになってしまう。程々に日が射しているのがよい。眩しさがあるくらいで。

3. 植物があること。公園でも森でも構わない。冬だし枯れ木でもよい。針葉樹林でもよし。自然を感じる何かがあること。

4. 程々にうるさいこと。子どもたちの笑い声でよい。

以上の条件を満たした、極上のココア。私は今のところ二度体験した。そのひとつが三鷹ジブリ美術館。ホットココアとホットドッグ?ホットサンド?で、中庭のようなテラスでひと息ついたとき。あんなに美味しいココア、今までなかった。もうひとつが地元の遊園地で。ここでジブリ美術館の味を思い出した。また冬が来てこの条件のココアに巡り合うのを楽しみにしている。

人生は冒険だ

今この瞬間をもって、文学フリマ東京関連、脱稿!!!昨日深夜まで作業したおかげで、二作目は22日の宿泊地到着に間に合った。ちなみに一作目は20日の自宅到着に変更。やはり一つでも自分の作品をこの目でちゃんと見てから持って行きたい。

というわけで当日のチラシ(暫定版)をご覧ください。

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二作目のタイトルは『あなたの知らない宮島』となった。これでいいのかな、でもこれしか思いつかないから多分コレでよし。両作品とも価格は300円とした。400円でも…なんて欲も出たんだけど、自分ならやっぱり「300円なら買おうかな。400円は高いな」と思う。300円でも買わねーよ、と言われたらそれまでなのだが。サイズはA6横綴じで決着。巻末にカラーを押し込むことにより、バラバラにカラーページが入るよりもお得になった。横綴じなのでその分追加料金はかかるのだが。なんだかんだで一作目と二作目は同じくらいの印刷代となった。

「人生は冒険だ」などと仰々しいキャッチフレーズを付けたが、私はどうやらこういうテーマで本を作りたいようである。作りながらそれに気づいた。本づくりも言わば冒険、これからも作りたいと更なる欲が出てきた。そのためには取材に行かなくちゃね。通信制大学の課題が終わっても、そんな調査はずっと続きそうだ。