文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

ルーズソックスを履いた日

高校生の頃はちょうどコギャルブームのさなかで、世の中にはアムラーだのシノラーだのキティラーだのが存在し、私の制服のポケットの中には「たまごっち」の類似ゲームとポケベルがあった。
けれどルーズソックスを履いたことは一度もなかった。厳しい学校だったのもあるけれど、わざわざ校則を破ってまであのモッサリ重たげな靴下を履きたいとは思わなかった。

 

高校三年生の秋、私は自己推薦で二年制の学校を受験することに決めた。就職率98パーセント、学費も比較的安い。奨学金を貰いながら一人暮らしをしても極力親の金を使わずに済む。
四年制大学に行くつもりで過ごしてきたけれど、夏に家を出てからは自分の気持ちの負担なく生きていけることだけを考えていた。志望校を決めたら、なんだか受験というものが遠足みたいにワクワクしたものに感じられた。

試験は朝早い。住んでいる場所から受験する学校まではかなり距離がある。そのため受験する学校付近の親族宅に前泊させてもらう。父のきょうだいとその家族だ。おじは分かりやすい場所まで迎えにきてくれるという。

明日試験だからこのあと高速バスで〇〇の街行ってくるわ、と校則違反を突っ走るギャル寄りのクラスメイトに言うと、彼女は「じゃあルーズ履きなよ、貸したげるよ?」と言いながら予備のルーズソックスをスクールバッグからビヨーーンと取り出した。ハイビスカスがポスカで手描きされたスクールバッグはドラえもんの四次元ポケットのようだ。

渡されたルーズソックスを試しに普段の靴下の上から履いてみたが、スカート丈が優等生なのでバランスが悪い。ウエスト部分を折り重ねて、それらしくする。なんだか変な感じ。

ルーズソックスは極寒の冬にもあたたかい。意外にも女の子にふさわしい装備だった。私はそのままの格好で学校を出て高速バスで移動した。おじとの待ち合わせ場所はショッピング街の中にあるタケノコみたいなクリスマスツリーの下。いろんな方向に歩く人々を眺めながらおじを待つ。
都会ではルーズソックス女子高生姿が自然と街に馴染んで、私は知らない人間に変身し街に潜入したような気持ちになった。コスプレをする人もこんな気持ちだろうか。

おじの家で「試験前だから」とカツ丼をご馳走になる。食後は小学生の従兄弟たちとトランプで遊ぶ。試験前なのにこんなことでいいのかな、まぁいいか、と笑いながら。

 

翌朝も同じルーズソックスを履いた(汚い…)。おじの出勤途中の車に同乗させてもらったので随分と早く着いてしまった。まだ学校に人の気配がない。すると、頬被をし作業着を着た年配の女性がやってきた。掃除のおばちゃんだろうか。挨拶をし、推薦入試を受けに来た話をする。
おばちゃんは玄関に案内してくれた。歩きながら「ここに来るの初めてなの?」と聞かれる。「そうなんです、オープンキャンパスには行かなくて、ギリギリで受けることを決めたもので」「そうなのね。あ、 ここが学生玄関よ。じゃあね」おばちゃんは学生玄関の鍵を開けて近隣の建物に去っていった。

テストは小論文と英語面接だった。一斉に小論文のテストを受けて引き続き面接となる。受験番号が一番だった私はすぐに出番がやってきた。
失礼します、と面接の部屋に入ると目の前に居たのはさっきの掃除のおばちゃんだった。頬被はしていなかったけど、たしかにおばちゃんだった。今は紺のスーツを着ている。どういうことだ。向こうも私に気づいた顔をした。
面接では山岳地帯に行った話も存分に利用させてもらった。おばちゃんともう一人の先生はうんうんと頷いてくれる。ひとしきり英語で話したあとは日本語の時間となった。
「さっき、会いましたね?」とおばちゃん、いや先生はニコニコしながら話しかけてくれた。私も笑って「はい、驚きました」と話す。おばちゃんは学長代理だった。以前このブログで書いた「一日違いの誕生日」のうちの一人。学長代理とはこの受験のときと、卒業式の二回しか話したことがない。

午前10時すぎにテストが終わってしまった。「終わったら連絡しろよ」とおじから言われていたけど、電話したらさすがに「早すぎるだろ」と笑われた。学長代理の話をしたら「それ受かるやつじゃねーか」と再び笑われた。私も何だかそんな気がしている。これで落ちたら恥ずかしいけど、でもそんな気がした。
昨日待ち合わせたタケノコのクリスマスツリーまで再び送ってもらった。帰りの高速バスの中でルーズソックスを脱いだ。

 

試験にはやはり合格していた。そして私はその学校に通い始めてからずっとこの街に住んでいる。留年したり、就職率98%のうちの2%になりかけたりしながら、もう人生の半分以上をここで過ごしている。タケノコのクリスマスツリーは今年も健在だ。ルーズソックスの女子高生はもうこの街にもどこにも居ないけど。安室ちゃんは引退するけれど。

行き詰まったらスープ/次の活動に向けて

東日本の人からすれば、西日本は温暖な土地というイメージがあるのだろう。たいてい「冬はこんなに寒いんですね」と驚かれる。山奥はもちろん、海沿いの賑わう街でも寒いものは寒い。今日も私は自宅のキッチンで、自分が持っている中でいちばんあたたかい上着を着ている。暖房器具も朝から稼働中。加湿器も絶好調。しかし寒い。

底冷えの原因は鉄筋コンクリート造りのマンションが原因かと思っていたが、木造平屋一戸建てでも寒いものは寒い。日本の夏の蒸し暑さを考えれば、風通しの良い建物は必須。風通しが良くて寒さにも耐えうる建物なんて、この世にあるのだろうか。よく「ビフォー・アフター」に出てくるような、壁の中に仕込む断熱材を貼り付ければいいのか?家じゅうをフッカフカの絨毯で埋め尽くしても、きっと寒いものは寒い。

そう思いつつ昼食を摂る。残り物の牛すじと白菜の煮込みスープ、お弁当のおかずの切れ端、白米。あたたかいスープを飲むと少しホカホカと温もってきた。空腹や寒さは人の思考を停止させるのだな。冬に行き詰まったらスープを飲もう。

***

年内はドタバタ、なんて言いつつ、息抜きに次の計画をぼんやりと考えています。もし可能なら夏に母校(大学)のイベントのフリマのようなものに出られたらな、と考えていまして。まだ募集もかかっていないので、それを待っている状況。ただ、大学はちょっと不便なところにあるからなあ。でも芸術系大学のイベントに来る人に、どのようなリアクションをされるのか非常に興味あるところです。

次(三作目)の本のテーマは文学フリマ東京に出た日から決めていました。琴平・兵庫・直島をめぐった十年以上前の旅の話。特に「兵庫県立先端科学技術支援センター」に泊まった話は本にしておきたい。なんだそのセンター、って思うでしょ?私も当時「なんじゃこりゃ」と思いました。そんな話です。

 

【写真】国立新美術館

前回↓に引き続き、11月22日(水)の写真を貼ります。

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青山墓地のあたりを通り抜けて国立新美術館へ。途中で「ほぼ日」のTOBICHIを見かけた。記念撮影している人を眺めつつ歩く。

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政策研究大学院大学、というものを初めて知る。

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平日15時台に訪れた「安藤忠雄展」、人がいっぱい。原寸大で作られた「光の教会」も大人気。知らないお姉さんの腕が入ってしまったがこれが限界。

子どもは「安藤忠雄はミニチュアの建物を作る人」と勘違いしていたので、慌てて訂正した。いつか本物を見せなければならない。

「裁判室みたい」と子どもは笑った

子どもを模試のようなものに連れて行った。教育ママでも何でもないはずなのだが、いまの子どもの状況を客観的に見る必要があり「一度だけだから」と飛び込みで塾のような場所へ。

保護者控え室は戦々恐々とした雰囲気。足を踏み入れるなり、他の保護者たちの頭の上から爪先まで移動する目線を感じる。ああ、品定めされているんだな…。すぐに廊下に出た。この時期風邪もうつりやすいし、と思いながら。

テストを終えた子どもが心配だった。先生の高圧的な声も廊下に聞こえてくる。傷ついていませんように。ドアが開きドッと溢れ出てくる子どもたち。我が子はニコニコしながら走ってきた。ああ良かった。どうだった?と訊く前に、子どもは沸き上がる笑いを抑えられないといった様子。「ママ、テストの部屋、裁判室みたいだったんだけど!すっごいシーンとしてて!」とゲラゲラ笑っている。

どう考えても異質な空間を、逆に笑い飛ばせたのならそれで良かった。世の中ではこれからもこんな空間にたくさん遭遇するだろう。どうかこれからも楽しんでくれ。子どもは帰宅するなりその裁判室のような部屋を絵に描きはじめた。

 

【写真】空港から岡本太郎記念館

2017年11月22日(水)の写真を、ただただ貼り付けます。

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着陸直前

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岡本太郎記念館 http://www.taro-okamoto.or.jp

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岡本太郎記念館から国立新美術館に向かう途中で見た、気になるマンション。こういう建物好きだ。2階に入る店の感じも素敵。

追記(2017年12月13日):このマンションは「パレス青山」という有名なマンションだったようです。

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聞いてもらって構わない

日本で起こった災害のことを、たまに忘れることがある。

私が独身の頃に親族とルームシェアしていた家があった場所も、数年前災害に見舞われた。朝テレビをつけて「ああ、私の家があったところもう終わってしまったわ」と呆然としたこと、いまは時々忘れてしまってる。

幸い私の家があったところは早々に復興したけど、被害が大きかった他の場所は今も完全に復旧したとは言い難い。だけど時々忘れてしまう。日々の生活にかまけて忘れてしまう。

関西人の友達と話をしているとき、流れで地震の話になって、「こういう話、するの嫌?」と聞いたことがある。いや全然構わんで、と返ってきた。この感じ、どこかで経験あるなと思ったら、私が父親のことを聞かれたときと同じだと気づいた。「お父さんどんな人なの?」「ああ、早くに死んだから覚えてないのよね」「ご、ごめん!」「いや、別に大丈夫だから!」というやり取り。

別に聞いてもらって構わない、謝る必要など何もない。私はきっと言うだろう、「保護者の名前を書く欄にどっちの親の名前書いたらいいか悩んだことがない」「記憶になくても夜中にふと鏡を見たら、写真で見る父親そっくりの顔があらわれてショックだったわ」などのネタの数々を。

まだ復旧しない場所があるという点でも、災害などがこれからもいろんな場所で起こり得るという点でも、やはり時々思い出すほうがいい。災害も辛い出来事も、その人を構成するもののひとつだから、触れていい。

躊躇する人は「もし相手の傷がまだ癒えてなかったら?」と怯える気持ちもあるのだろう。まだ現在進行形の人はたくさんいる。もし相手のそんな様子に気づいたら、黙って側にいたり、して欲しいことを尋ねたり、状況に応じて相手の話を聞いてあげたらいいだけのことさ。

冬到来

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習い事の帰りに寄り道をしてすっかり遅くなってしまった。十二月、陽が沈むのがとことん早くなったから、暗いなか帰宅すると夜遊びしてしまったような罪悪感がある。まだ十八時にもなっていないのに。

子どもと交通機関の窓の外を眺めていると、白くチラチラしたものが降ってきた。雪だ!と子どもが声を上げる。今年初めての雪。西日本のこの街は春と秋が短いけど、やはり今年も紅葉をほとんど楽しまない秋だった。

「冬って何月何日からなの」というように、季節の訪れに日付があるのかどうか、何度か子どもに訊ねられた。明確な日付などなく、だんだんと季節が巡っていくことを伝えてはいるけれど、多少の目安があったほうがいいだろうから「だいたい十二月から二月が冬とされることが多いかな」とは言っている。そのぼんやりした部分をだんだん理解してくれたらいい。

そこに雪が降ってきた。私は子どもに「冬来たよ、いま来たよ」と説明する。もう冬でいい。十二月だし、雪だし。頭の中に槇原敬之の「冬がはじまるよ」が流れる。今日はシチューにしよう。

 

 

写真は少し前に撮ったもの。秋に撮ったけど冬っぽい。