文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

車窓の桟

何度か書いてきたが、幼少期から高校までを過ごした町は限界地域と呼ばれる田舎町だった。今は日本全国総じて身ぎれいな印象があるけれど、昭和の終わりから平成の初めのあの頃はバブルの気配すらなく、みんなヨレヨレとした服を着てゴチャゴチャと雑多な家に住んでいたように思う。

私の住んでいた家は比較的恵まれていたが、母が若い頃に祖父の事業が立ち行かなくなった時期があり、家という箱自体は近所でも大きな方で伝統を受け継ぐ美しさがあったけれど、人に見えないところは雑然としていた。納屋にはよくわからないダンボール箱がたくさんあり、そこに野良猫が住み着いて子猫を産むこともあった。

そんな田舎の小学校で。「またあの六年生に首しめられたよー」と友達がワイワイ話しているのを聞いた。私たちは当時一年生。体格がよい六年生女子に時折そんなことをされているという。その言葉からは戯れと恐怖が半々の印象を受けたので、あまり気に留めていなかった。本当にしっかりと首を絞められてはいないだろうし、私はその六年生に特に何もされたことがない。

ある日実際にその現場を目撃したこともあった。ヘッドロックされてワーワー言う同級生たち。プロレスごっこみたいな感じだろうか。少し離れた場所で私はそれを見る。ふと、その六年生と目が合った。六年生は私に少し笑いかけていたような気がした。

小学校の秋遠足はバスで遠出。こ汚いジャージを着てほんの少し都会へ遠出をする私たち。親子遠足だったけれど、親が仕事の私は祖父と一緒。こういうとき「親が居なくて恥ずかしい」と思う子もいるかもしれないが私は純粋に嬉しかった。

バスが出発し、児童たちはワイワイと語り合ったりお菓子交換をしている様子だ。しかし私は車酔いしやすいのもあり静かに窓の外を眺め続ける。

そのとき、窓の桟を伝って後ろの席から何かがやってきた。よく見るとグリコのアーモンドチョコレート。誰だろう、と思って窓と座席の隙間から後ろを見ると、あの体格が良い六年生女子だった。やっぱりちょっと笑っている。隣の席に座っている彼女のおばあさんらしき人も笑っている。

私は急いで自分のリュックからおやつを探し出す。「どうした?」と尋ねる祖父に、これ後ろから貰ったの、とアーモンドチョコレートを見せる。「それはよかったなあ」と言い祖父は後ろのおばあさんに会釈をした。そして私も同じように窓の桟を伝って六年生にお菓子を渡したのだった。

六年生のことを考える。詳しい事情は知らないけれど彼女も日頃から親の気配が感じられない人で、いつもおばあさんと暮らしているイメージだった。おばあさんも下校中の子どもたちに「なんだお前ら早よ帰れよ」などとワイルドに言い放つ人。そんな彼女たちが私に笑いかけている。狭い町だから、私の事情を知っていたのは間違いない。彼女も私に何か自分自身と同じものを感じていたのかもしれない。

あまり暴力的なのは良いことではないけれど、下級生と遊びたい気持ちが屈折して現れたのだろうか。下級生も本気の暴力ではないと分かって彼女に食らいついていく。彼女の笑った顔……きっと不器用な人なのだろう。

その六年生とはそれきり交流はない。狭い田舎だけど、帰省時に噂をきくこともなかった。けれど、アーモンドチョコレートを見かけるたびにその日のことが蘇る。貧しさとあたたかさを感じるあの頃の思い出。

誰も知らないところで

音楽教室で「大人の受講生のコンサートがあります」とチラシを貰った。そこで、昔からの友達がこの音楽教室系列で大人のレッスンを受けていることを思い出した。「もしかして○月○日に出るの?」と久しぶりに連絡を入れてみる。

残念ながら友達の出るコンサートでは無かったようだ。以後近況報告のようなメッセージのラリーが続く。

「ウチの子もレッスンやってるよ。今は自作曲ばかり」「ミュージシャン目指してるの?」「どうだろう?気づいたら小さい頃からずっと作曲してるから。この間初めてA-B-Aの曲を完成させたとき、泣いて喜んでた」

「いいね子どもは夢があって。小さい子は可能性があるから羨ましいよ」「大人もそこそこ夢があっていいじゃん?また発表会あるとき教えてよ、子と見に行くからさ」

「いや、絶対教えないっ!人に聞かせるものじゃないし、こういうのは人知れずコッソリやるのがいいんだよ」「えー残念。でもコッソリやるの判る気がする。私も今の趣味?はコッソリやってる」

私が「趣味?」と書いたのは、このブログを書いたり文学フリマで本を売ったりすること。書きながら、これは趣味なんだろうか?と考えてしまった。趣味というほどワクワクキャピキャピしていない。

書くのは、もはや私の習慣に近い。しかし習慣と言い切れるほど事務的なものでもない。そんなにコンスタントにネタも発生しない。心の内をさらけ出すような、人に見せたいけれど見せたくないもの。きっと友達にとっての音楽も同じものなのだろう。

その友達が遊びでサラっと楽器を弾くのを何度か見たことがある。とても上手だった。でも渾身の演奏、みたいなものは見たことがないな。私が本気の文章を友達に見せたことがないのと同じように。だから私たちは長いあいだ友達なのかもしれない。

カノン ピアノ ジョージ・ウィンストンVer. [Kanon piano ( George Winston Ver. ) ] - YouTube

クロモジの葉の香り

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豪雨災害の夏は登山と無縁であった。5月に初めて登った山も、箇所によっては土砂崩れが起こっている。天気が良くても地盤はまだゆるく、また天気が良すぎて脱水などの危険性もあり涼しくなるまでは登らないことにしていた。

9月になり、夫も災害関連の変則的な仕事は少なくなった。しかしこの連休も休みはない。子どもをどこかへ連れて行ってやりたいなと思ったら、そろそろ山に行ってもよいのではと考えた。朝に夫を送り出したあと、我々も身支度を整え出発する。

登るのは5月と同じ山。土砂崩れの起こっていないルートを通る。涼しくなったと思っていたが、妙に汗が止まらず呼吸も乱れがちだ。こまめに休息を取りながら登る。前回よりも傾斜がきつく感じられ、いざとなったら引き返すことも念頭に置いた。

ある程度の傾斜をクリアするとなだらかな稜線に沿った箇所に出る。そこからはペースを取り戻す。登山道脇の植物に目をやる余裕も生まれた。栗やどんぐりが落ちていたり、そこかしこに「明らかに毒入り、食べたら危険」なきのこが生えている。

↑実はインスタもやっていますよ的なアピールと共にきのこ写真を貼る。

無事に山頂にたどり着く。お父さんと幼稚園児のファミリー登山にも出くわし親近感が湧く。年配女性のグループやカップル、単独男性など、様々な人々が山頂で思い思いの時間を過ごしている。我々もレジャーシートに簡易テーブルを出し、弁当をひろげランチタイム。今回初導入したテーブルは軽いうえに便利だ。無ければ無くて問題ないのだが、食事時にちょっとした余裕が生まれる。火を使う調理をする人には特に便利だろう。そしてやはり今日も山頂の珈琲は美味しい。

年配女性たちは隣の峰にも向かうようだ。大人の足で15分もあれば辿り着く場所。我々は前回行かなかったが、今回は体力的に可能なら向かおうと思っていた。子どもも同意したので向かうことにする。

山の天気は変わりやすいというが、その日もそうだった。先程昼食をとったときには眩しいほど晴れていたのに、峰を移動するうちに曇ってゆく。頭上を枝に覆われた登山道はどことなく暗さが増している。じき雨がぽつぽつと降りはじめ、我々は雨がっぱやリュックのカバーを装着。晴れた日もこれを持ち運ぶべしと聞いてはいたが、こういうことだったのだな。

そんなとき、先に居た年配男性が子どもに一枚の葉を渡した。「葉を揉んで、嗅いでごらん」と言う。子は嗅いで「わあ」と驚きの声を上げた。「いい匂い!」「ほんとに?ママも匂わせて」すると、なんともアロマティックな落ち着く香りがした。これはいい。「クロモジの葉だよ」とその男性は言った。

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クロモジの葉(揉んだあとなので葉がボロボロ)。

帰宅して調べるとクロモジはあの「和菓子を食べるときに使う太い楊枝のようなもの」でお馴染みのクロモジであった。普段からあの楊枝をクロモジと呼んでいたが、まさかそれが木の名前そのものだとは。クロモジをアロマ的に利用している例も見つかった。あの香り、もっと一般的に流通するといいなと思う。

無事にもうひとつの峰にもたどり着き下山した我々。多めに持っていったはずの水筒もギリギリの運用となり、非常用に持っていっていた干し梅が大活躍。水分と塩分の管理は今後の課題だと身にしみた。命と健康あっての登山である。

山を降り最初に見つけた自動販売機のドリンクで乾杯。腰に片手を当てリアルゴールドを飲み「沁みるう〜」と叫ぶ我が子。この一杯があるから登山が楽しい。

そこそこ普通の人間が今月観た2本の映画

学校にも職場にも「無類の映画好き」と呼ばれる人がだいたい居るものだ。彼らはひと昔ふた昔前ならば雑誌『ロードショー』を読んでいたり、単館上映の映画を好んでいたりの通な映画マニアだ。

私はそんなに映画が好きというわけではない。けれど観ないとも言い切れない、ごく普通の人間だ。ただ、映画好きや映画館・映画情報を扱う業務に関わる人が何故か周りに数名居た。

意外にもその数名は、映画に近ければ近いほど映画のことを知らない傾向にあった。これは私の周囲だけかもしれないが。映画館勤務の人にリチャード・ギアの話をふったとき、返ってきた言葉は「リチャード・ギアって誰」であった。いやいや君もう数年は映画館で働いてるでしょ!と突っ込んだ次第。だってさすがの私もリチャード・ギアは知っている。『プリティーウーマン』が何度か地上波で流れてた時代の話だし、リチャード・ギアの主演作もいくつかあった。ハチ公のとかさ……。

そこで本人に教わったのだが、少なくともその映画館は「映画に興味がありすぎる人は採用しない」という方針だったようだ。たしかに、娯楽ゆえ好きすぎると業務に差し支えがありそうだ。思い入れがありすぎる作品ばかり上映したがるとか。映画ばかり観て仕事しないとか。あくまでも仕事は仕事と割り切れる人材が求められているのかもしれない。でもリチャード・ギアは知っておいた方が何かと便利なのではないかと思う。今はそうでも無いのかもしれないが。

そんな普通程度に映画を好む私が、珍しく今月は2本も映画を観た。しかもどちらも映画館で。まだ半月しか経っていないのに!ちょっと調子に乗ってしまったかもしれないが、我が人生でどうしても見なければならぬ映画だったのだ。

その映画は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・アディオス』という。キューバの年配のミュージシャンをとりあげたドキュメンタリー音楽映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の続編である。以前もこの記事→『ジャズ大名』との遭遇 - 文化的生活の記録で少し触れたが、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は私にとってのナンバーワン洋画なのだ。このキューバのミュージシャンたちにレコードショップのCD試聴機(試聴器?)で出会って18年、続編が出たとなればそれを見届けに行かねばならない。

内容は少し前作と重なる部分もあるが、キューバの歴史と貧困の事情、それに伴うミュージシャンの不遇など、前作で描かれるべき事柄も含まれている。これを知ることができて良かった。年齢を重ね老人となってから、ライ・クーダーやファン・デ・マルコスにより集められた彼らだが、辛い時代に共演した過去もあった(そのあたりは映画のお楽しみ)。

また、あれから20年近く経てば当然亡くなったメンバーも多く、彼らとの別れ・それを乗り越えアディオス・ツアーに出る面々の姿は、判っていても胸にくるものがあった。気迫や執念、魂を感じる音楽。

そしてもう一作が、もう話題中の話題であるゾンビ映画『カメラを止めるな』。これは詳細を書けない辛さがハンパない。「予告編見たら楽しみが無くなっちゃうから見ないで、すぐに映画館で観てきて」と、お決まりのことしか言えない。事前情報は少なければ少ないほどいい。あ、ゾンビ映画なんで、食事は前後で摂った方がいいかも。

原作騒動もあったが、この作品の類似としてよく挙げられる日本のあの監督作品、たしかにそうだなと思う。と同時に、『カメラを止めるな』の監督がツイッターで「無意識オマージュかも」と同意していたある外国監督の作品にも似ていると思った。私はその外国監督の作品をその一つしか見ていないのだけど、全体の構成や観る側の気持ちの持っていき方がよく似ている。外国監督の作品はゾンビ映画ではないのだが、ちょっとグロテスクな描写があるところも類似性がある。もちろん、類似性があれども充分に楽しめるし、どちらの監督も「お前ら映画好きすぎるだろ」と小突いてやりたくなるような愛らしさがある。

そうそう、その外国監督の作品も、私は珍しく映画館で観たのだった。その作品も『カメラを止めるな』も、映画館で観るのが断然オススメ。ネタバレを恐れるあまり、外国監督名や作品名を出せないのが悔しいほどだ。

 

追記

このブログを更新した当初、思いっきり「リチャード・ギア」と「ハリソン・フォード」を間違えていたことをお詫び申し上げます!あれ、もしかして私普通の人間どころか、かなり映画知らない部類に入っているのではないか?

二次被害

数日前、簡潔に言うならばセクハラを目撃しそのことをずっと考えている。この件は「する側もされる側も問題視していない」ところがポイントで、私はずっと「本来どうすべきだったのか?」とモヤモヤとした心持ちでいた。

当事者間にトラブルが発生していないのであれば放置する案件だったのかもしれない。しかしビジネスに近いような公の場で行われていたため、私はセクハラした人に対し「ちょっと違うんじゃないですか」と意思表示した。それが正しかったのか余計なお世話だったのかはわからない。それにより場を乱しただろうか。

後日、セクハラした側の人がされた側の人に謝ったと聞いた。その際セクハラされた人はきっと「問題ないですよ、気にしないで」と言ったのではないかと推測する。その後SNSにその件(=セクハラされたこと)を容認したような投稿がなされていた。気にしているのは私だけだろうか。いや、セクハラに関して私以外にも違和感を唱える人はいた。しかしセクハラされた側のSNS投稿は、そのような考えに意を唱えるかのようだった(された側の本人にそんな意志はなかったかもしれないけど)。

セクハラされた側の気持ちについて考えてみる。「あまり外野にこの件をつついてほしくない」「本当に気にしていない」「(多少性的にとはいえ)自分に注目してくれて嬉しい」といったところだろうか。セクハラされた人は自己顕示欲が強い人だからセクハラにも耐性があるのかもしれない。

それは本当にセクハラだったのか、今一度自分に問いかける。ネットで同様の事例がないか調べてみる。これまた公の機関が出している例に似たものがあった。体に触ったり、猥雑な言葉や質問を投げかけることだけがセクハラではない。

そこでふと「消費」という言葉が頭に浮かんだ。他者に自分の性を消費されること。例えばグラビアアイドルの人なら、他者に自分の体型を鑑賞されたり露出の多い写真(集)を買われたりすることは問題ないだろう。むしろそれを目的とした活動をしている。活動もちゃんとそれにふさわしい場所(書店のイベントとか、撮影スタジオとか)で行われている。

もしそれが一般人によって行われていたら。これも本人たちさえ良ければいいのだろう。しかしそれが無関係の人もいるような公の場で行われていたらどうだろう。やっぱりそれは嫌だ。例えばカフェでお茶を飲みながらまったりと過ごしているときに、いきなり横でグラビア撮影会が始まったら「なんだこれは」と思う。ただの写真撮影なら判るけど、露出が激しかったら周囲はつらすぎる。今回のセクハラはそれに似た衝撃があった。

セクハラは当事者間の問題ばかりが浮き彫りになるけれど、目撃させられる側も十分にセクハラ二次被害を受けているのだろう。ここで問われるのが「公序良俗」というやつか。今回は「相手が傷ついていなくても、それはセクハラなのでは?」と指摘するのではなく「公の場でそういうのを目撃するのは非常に不快なのでやめてください」と言うべきだったかもしれない。

gifted.5

今年の夏休みも、年に一度の療育センター受診。今回はいつもと勝手が違う。受診数ヶ月前に予約の電話を入れると「担当医が病気療養中につき別の医師が診る可能性がある」とのことだった。お医者さんもハードな生活だろうからなあ。担当医の先生は柔らかな雰囲気で、最初の受診からずっと我が子を見てくださっていた。お元気でお目にかかりたいと思いながら診察当日を迎える。

先生はやはり療養中のままだった。受付を済ませ子は待合の遊び場へ向かう。私はその近くの壁に貼られたスタッフ一覧に目をやった。シャフリングベビーだった我が子のリハビリを担当してくださった理学療法士の先生のお名前が無い。転勤されてしまったのか。公的施設だから転勤はつきものだけど、なんだか寂しいものだ。

そして我々は初めてお目にかかる代理の先生に呼ばれ診察室に入る。真面目で繊細・清潔そうな大学教授風の医師だ。我が子に「学校楽しい?」「なんの教科が好き?」などの軽い質問をし、子は母親(つまり私)とバトンタッチ。その間子どもは室内の遊具で遊んで待つ。

先生はカルテにざっと目を通しながら私に近況報告を促す。今年度に入り随分落ち着いたこと、クラスの子ともすぐに馴染んだこと、時折不安は見られるが随分解消されたことを伝える。そして、低い山に何度か登っていることも。

「山登り、いいですね。お子さんのようなタイプの子には自然と触れ合うことをすすめているんです」と先生は言った。「こういう子は、勉強など先が読めることばかりでつまらなく感じています。山登りは単純に頂上を目指すだけではない。たどり着くまでに様々な想像出来ないものに出くわします。それは非常にワクワクする、よい経験になります」……子どもに言われてその気になって始めたプチ登山だったが、思いがけず子どもにとって良い方法だったようだ。

一方で先が見通せないような不測の事態が勃発したとき、一般的な子ども以上に不安が沸き起こり涙が出たりするのが我が子の課題でもあった。それは何度も対処法の例を提示するなどしてきた。頭では分かっているけれど心がついていかないような我が子。先生は言う。「この子たちはコンピュータでエラーが起こったときの状態の同じなんです。エラーが起こったらこうする、というプログラムを書いていくしかない。それは経験で増やしていくしかありません」と。

以後先生のプログラムに関する話を聞きながら、私はこの先生も発達障害に近いものを抱えた性質なのではないかと思い始めていた。確証はないけれど、私が0.5ほど話すと食い気味に10ほど話すようなところ。同じ話を何度も何度も繰り返すところ。コンピュータの話が、先生の経験談のように感じられる。実体験に基づくという説得力。

最後に先生は「定期的な診察はこれで終わりにしましょう。今後何かあればいつでも受診してください」と告げた。私も同じ気持ちだ。今年度の我が子の成長と先生方の異動がまるで「ここでひと区切りだ」と知らせているようだったから。

子どもと最寄駅までの道のりを歩く。最初にここに来た時の不安と少しの期待。抱っこ紐で連れ歩いた日々をこえ、リハビリを経て一緒に歩けるようになったときの喜び。子の睡眠障害で親もほとんど眠れなかったころ。あの頃は登山だなんて考えたこともなかったな。「いつか歩けるようになるよ」「眠らない子どもなんていないよ」「もっと大変な人はいっぱいいるよ」という周囲の声が当てにならないこと、その私の考えは何も間違ってないよと当時の私に伝えたい。

まだ不安の種はわずかに残っているし、これからも何かしら困ったことが起こるだろう。けれど一歩ずつ進むしかない。これまでの数年間頑張れたことを自信にしてもいいよね。これは私にだけじゃなく子ども本人にも、いや、子ども本人にこそ言えることだけれど。

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老人の香り

同じマンションに住んでいる人が珍妙だと思うのは、同じ建物でほんの僅かながらも生活を共にしているからだろうか。住居というのはその人の生活や生き様が出やすいのかもしれない。

私は同じフロアの老女のお宅から漂う香りを感知しながらそのようなことを思う。老女は私たち家族よりも後にこのマンションに越してきた。基本的に独居だが、時おり様子を見にきますと物品持参で挨拶に来た壮年の娘さんの気配を週末に感じる。

老女とはよく廊下やエレベーターで遭遇する。会えば無難な時候の挨拶、そして我が子に向け「大きくなったわねぇ」と言われるなど。この夏は酷暑だったから、時候の挨拶も適当ではなく「いやもう本当に暑いですね、生きるだけで精一杯ですね」などと力強く語った。すると老女は「だからもうウチは玄関を開けっぱなしにしてるのよ。どうせこの階は人の出入りも少ないし」と言い始めた。

その数日前から老女宅の玄関がほんの少し開けたままになっているのに私は気づいていた。同時に、そこから漂う香りにも。あの香り、私はこれまでに何度も嗅いできた。田舎の祖父母の部屋で、友人の祖父母の近くで、地域のご老人のお宅に訪問するような校外活動で、教員免許を取るために行った老人ホームの介護実習で。揃いも揃って老人たちからはみんなあの匂いがする。苦くて古い老いの香り。

そんな老女宅の玄関ドアから見える景色をなるべく見ないようにしようと思うのだが、廊下の構造上やむを得ず視界に入ってしまう。思ったよりもシンプルで片付いている。「お宅もドアを開けたらいいのに」と老女に言われたが、私たちは頑なに開け放さない。だって同じように丸見えだなんて耐えられない。幼い子どもも居て不用心すぎる。

もし我が家が玄関のドアを開けたままにしていたら、廊下にはどんな香りが漂うのだろうか。自分の香りは他者にしかわからないものだ。ドアを開けて夏を過ごす老女には、廊下を通して我が家の音がいつもよりよく聴こえているだろう。「早くしなさーい!」と声を張り上げる私の騒音。老女からしたら、私も珍妙な隣人のひとりかもしれない。