文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

柔軟に

今月中に仕上げたいと思っていた新刊、いよいよ下旬となり日々パソコンに向かっている。背後を通り過ぎる夫や我が子が「おっ、書いてるね」などと声をかけてくれる。

ご存知ない方には至極つまんねー話となってしまうが、印刷所に入稿する原稿は通常CMYKというカラーモードが用いられる。しかしこれまで私はずっとRGBを用いてきた。何故ならスマホやデジカメで撮った画像は基本的にRGBだからだ。

私の使っている印刷所はRGBで入稿してもCMYKに変換して印刷してくださるので、それに甘えていた。しかしRGBからCMYKへの変換により、画像は微妙に色が変わってくる。それを私が確認するのは印刷が出来上がってからのことになるのだ。そのため想像と違う色味になることがこれまで何度かあった。

今回はAdobe様に課金しPhotoshop(という画像処理ソフト)も使えるため、自分でCMYKへの変換を済ませた状態で原稿を作成している。一枚一枚ちまちま作業するのは正直なところ面倒だ。

それでも確認の意味を込め作業していたのだが、私よりパソコンに詳しい夫に尋ねてみることにした。するとあっさり「作業を記録して自動処理すれば良い」と、手順を見せてくれた。一瞬で処理されていく何十枚の写真たち。私は心から感動し感謝した。

一年前まで夫には何も言わずに本を作っていたのが、カミングアウトするだけでこんなに世界が広がるとは。長くネットやパソコンを利用し「ググレカス」という言葉の如く自分で限界まで調べることの必要性は重々承知している。自分でコツコツ調べてもこの結果にたどり着いたのかもしれない。しかし「聞くときは素直に聞いた方がなにかとスムーズだ」ということにも気づいた。ここから夫と印刷関係の話も弾んだし、何事も状況次第なんだよな。

作ると弾くの相互関係

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年に一度のペースで我が子は曲を作る。日頃から我が子は曲の断片を鼻歌のように作り、私のスマホ(のボイスメモ)や適当な紙切れにドレミを保存しているのだが、そこから選抜し一つの曲を作り出すのだ。

それを音楽教室の個人レッスンで先生にチェックしてもらう。「ここは上がるより下がって行く方がかっこよくない?上がると『ありがち』な感じになっちゃうから」と先生に言われ、我が子は「じゃあこれはどうですか?」などとその場で修正する。私はそれを部屋の隅で眺めている。

既に存在する誰かの曲を弾くのも楽しいし勉強になるのだが、作曲となると我が子は途端に元気になる。通常と比べそこまで弾き込むレッスンではなく疲労が少ないというのもあるのだが、それ以上にレッスンをエンジョイしている。私も毎回レッスンに立ち会いメモを取るが、作曲過程において記録すべき箇所は少なく若干気楽である。

子が作った右手のメロディに対し、先生は「左手、こんな感じはどう?」とアドバイスしてくださる。それを聴き「はああああ………!最高です!」と感極まったリアクションをする我が子。自分の作った曲がどんどん仕上がっていくのは面白い作業なのだろう。そこから子も何かを思いつきその場で付け足すなどしている。側で見ていても充分面白い。

一方で次のコンクールについてぼんやりと考えている。日々だいたい何かしらのコンクールに向かっており、夏にもひとつの目標をクリアした。次回も同じ曲で挑むのかと思いきや「別の作曲家の曲も勉強してみましょう。さっき先生の弾いた音で『はああああ!』って喜んだみたいに、いろんな人の曲を勉強した方が自分の思いもよらない発見があっていいよ」と先生はおっしゃる。そして現在先生の曲セレクトを待っているところだ。

子どもが作曲好きだから「どんどんやりなさい」とやらせていたけれど、結果的にそれが弾くことにも良い影響を与え、逆に弾くことも作曲に対して良い影響を与えている。その相互の関係、これからどうなっていくか引き続き見守りたい。

小学生、英検5級受験の記録

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このブログには時折我が子の英語学習について記載してきた。英会話スクールに通っている人とは違い、ゆるゆると続けてきた英語学習。8月末頃だったか、英検のサイトをぼーっと見ていたところ、次の英検受験日が比較的暇な時期と判明。子どもに「受けてみる?」と聞くと「受ける〜!」とノリノリの返事が返ってきたため、受験するに至った。

ここで改めて、これまでの英語学習および英検に向けた対策・受験当日を振り返る。

これまでの英語学習

  • 【誕生〜年少】英語の本をそこらへんに置いておく/出来る範囲で読み聞かせ/英語の歌を聴く/NHK ETV「プレキソ英語」のアニメ・SUSHITOWNにハマる。
  • 【年中・年長】上記に加え、夏休みにイングリッシュスクールの短期クラスに通う(数日間)/幼稚園では月1回ネイティブの先生に英語を教わる機会がある程度/小学校に入る直前あたり、英検ジュニアのシルバーかブロンズに合格。
  • 【小学生(現在低学年)】さらに加えて、ここ1年間オンラインレッスンを週1回25分/今年8月から平日1日15分NHKラジオ「基礎英語1」を導入/9月からオンラインレッスンを中止しラジオに一本化。

私自身は幼い頃から英語好きだったものの、あくまで文字や文法が好きであり、英語での人とのコミュニケーションがほとんどできない人間であった。大人になり多少改善されたものの今度は逆に文法力が下がっている気がする。子どもには無理のない範囲でなんとなく英語耳を作っておければOKというスタンス。

文法は中学以降で習うので焦らず、と思っていたが、オンラインレッスンで先生に対する甘えが生じてきた。ここできちんと文法をと思い導入した基礎英語が意外と良く、オンラインレッスンはスパッと退会。毎月基礎英語のテキスト代500円で済む、コスパの良い英語学習に落ち着いている。

これまで会話を重視したおかげか、子どもは英語でのコミュニケーションに苦手意識はない様子。英文を声に出して読むのは比較的スラスラと出来る。しかし会話力が高いわけでもないしスペルはめちゃくちゃなので、英検が終わったら改めて書く練習をさせねばとは思っている。

英検に向けた対策

英検ジュニアのシルバーかブロンズを受けた頃は、ドコモのやっている「dキッズ」アプリに英検ジュニア対策があった。あれが非常に便利だったのだが「次にゴールドでも受験するか」なんて話しているところでdキッズの英検ジュニア対策が終了してしまった。そこで我が家の英検への興味は一時停止。

今回はネット検索で調べた結果、普通の参考書兼問題集をすることに。1日1単元やれば半月で完成してしまうので余裕だと思っていたものの、結局ピアノの練習を優先したのもあり半分しかできなかった。ただ、問題の形式に慣れるためにも巻末の模擬テストだけは行なった。筆記で5問間違い、リスニングは1問だけ間違えていた。誤答の部分を復習し、問題集は終了した。

それとは別に英検が出しているアプリ「スタディギア」を継続してプレイした。

英検を申し込むとスタディギアのベーシックプランが無料で使える。さらにプレミアムプランも存在するのだが、ベーシックで充分であった。ゲーム感覚で出来るのもあり、本人もこれが気に入った様子。ピアノレッスンの行き帰りのバスの中でプレイすることが多かった。

受験当日

受験地はざっくりした都市の選択のみで、区や施設単位で選ぶことができない。どこになるかな?と思ったら、とんでもない山奥の大学が指定されていた。それも最寄駅から徒歩20分、なかなかの高低差である。大学とはそんなところにあるもの……そう分かっているけれど、それにしても遠い。なのに車で行くことはできない。夫に車で送ってもらったものの、乗り付けることはできないので徒歩10分くらいの場所で降ろしてもらう。

同じように登山している人がすぐに見つかり、後を追うように我が子と歩く。「こんな坂道に家が!」などと驚きながら進む。振り返ると背後にも登山客、じゃなかった受験者がたくさん居る。大学も広いからどこの建物で開催されるのか不安に思っていたが、正門に指示があり一安心。そして指示を見ずとも目の前の人についていけばOK、ぐらいの人の群れであった。

余裕を持って到着しトイレを済ませようと思っていた。試験会場の玄関真横に保護者控え室となる食堂を発見。トイレを探すも見つからない。やむなく開場後に行くことにする。近くのベンチで最後の「スタディギア」をプレイ。子どもは特に緊張してはいなかったが、一応「落ちたらどうしようとか思わなくていいから。集中する練習だと思って。でも全力でどうぞ」などと話していた。

年少の受験者には試験直前まで親の付き添いが可能である。13時5分に玄関が開き、無事にトイレを済ませ教室に入るとその部屋は子どもと親だらけであった。そこから着席の締め切りが13時20分、試験開始の5分前である13時55分までに親が退室する。着席から55分まで何をしているかというと、配られた用紙に必要事項を記載するのみ。あとは携帯の電源を切るか親に預けましょうだとか、説明がチラリ。なのでほとんど子どもとボーっとしているだけの時間だった。試験時間が約55分なので、待ち時間もほぼ同じ。もう少しゆっくり行っても良かったかもしれないが、20分から55分まで親が居るだけでも小さい子にとっては安心や暇つぶしになる気がする。

試験の間は保護者控え室で本を読んで待っていた。家で読むより、カフェで読むより、こういうところで読むほうが集中できる。他に気を散らすものがないというだけなのだが。

時間ちょうどに子どもたちがゾロゾロと玄関を出てきた。我が子も元気そうである。問題用紙は持ち帰ることができ、答えを転記すれば後日答え合わせができる。「出来そうなら答えを問題用紙の方にも書いておいて」と事前に伝えてはいたが、やはり転記は難しかった様子。本人に聞き出して確認したところ、おそらく筆記は4問間違い、つまり8割は出来たようだ。リスニングは確認しようがないのだが、1問確実に間違えた様子。本人はリスニングの方が得意なので、合格しているといいねえと話しながら会場を後にした。往路に比べ下山は楽であった。

まとめ

先ほど少し書いたが、同じ5級であっても中学生の5級と小学生の5級は違う気がする。仮に今回受かったとしても、我が子に文法の知識はない。自分が5級を受けたのは中1の時だったが、その時すでに動詞だの形容詞だのという知識はあった。その人たちと同列とするのは間違っているような気がするのだ。

しかしリスニングの力は強く、小学生の英検受験の魅力や勝算は結局そこなのだろうから、これから文法をコツコツ学ばせつつ耳も鍛えていきたいものだ。

こんだけ偉そうに子どもに教えたり対策を練っておきながら、私は英検4級までしか持っていない。あとはTOEICにシフトした。子どもがいつか準2級か2級を受けるくらいになったら自分も同時受験してみたいものだ。恥ずかしくないように共に学んでいかねば。

引退試合の季節に

プロ野球シーズンもほぼ終わり。引退を発表する選手もみられ、地元チーム・広島東洋カープでも引退試合が行われた。野球選手には色んな形の引退があるけれど、ベテラン選手の場合は自分と同じくらいの年齢になってきた。選手のひとりは入団時から比較的贔屓目に動向を確認してきた人だったので、寂しさと感慨が同時に襲ってくる。

私は野球に詳しいわけでもないし、以前は別の球団のファンであった。しかしこの街で過ごすようになり、いつの間にか洗脳された次第である。テレビも街の中も地元球団の情報に溢れすぎているのだ。誰が入団したとか活躍したとか、自然と耳に入ってくる。野球見たさにプライベートで、また職場の任務として球場に行くうちに、気づいたらカープのタオルを購入していた。「レディースナイター」というテレビ局主催の女性向け無料入場企画に応募し、友達と観戦することも多かった。ノリでメガホンやユニフォームも買ってしまった。ユニフォームの背中には「!」、カープのキャラ・スラィリーの背番号である。

さらに私は球場で1シーズンだけアルバイトした経験もある。その年は小林幹英という新人ピッチャーが活躍した年であり、アルバイトの中でも「今日は幹英が出るから勝つね」なんて話をしたものだった。その年以降彼に目立った活躍はなかったが、いまだにコーチ姿を見かけると「おっ、頑張れよ」と思う。さらにその年は大野豊引退の年でもあった。引退セレモニーの名言はファンにも語り継がれているが、私はそれを働きながら聴いていた。

カープ女子の出現・新球場の建設・チームの躍進*1……それに伴い観客が増加し気軽なチケットの購入が出来なくなったこと、さらに自分の出産・育児といった環境の変化もあり、球場で観戦することは減っている。テレビでの観戦が主になるが、生活のそばに球団のある暮らしはこれからも変わらないだろう。

2007年に現地観戦した、佐々岡真司引退試合の写真を発掘した。

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前の席の少年が小さな小さな佐々岡へのメッセージを掲げていたのだが、

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前田智徳のうちわに装着しており、リバーシブルで応援できる仕様になっていた。

先日もテレビ放映されているのをチラッと見たが、佐々岡の引退試合はなかなか印象的な試合であった。ネット検索してもすぐに出てくるのだが、色んなところで語り草となっている。あの瞬間を目撃できたというのも、ある種貴重な現場に居合わせたものだと思う。

旧広島市民球場新広島市民球場マツダスタジアム)の写真は結構撮りためてきた方だと自認している。これらもいつか、世に出したい。

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*1:今シーズンのことは聞かないでくださいw

リアルな本屋さん

用事の合い間に本屋へ行った。子どもの「基礎英語1」10月号のテキストを買う。ついでに何か良いものはないかとあたりを見回す。久々に文庫本のコーナーへ。足取りと同じくぶらぶらと目線を送っていると平松洋子さんの本を見つけた。私は彼女の『おもたせ暦』が好きだ。最初に読んだのがそれだから、というだけなのだが。しかし平松さんの本のことを最近忘れていた。何の気なしにふと再会できたのはリアルな店舗ならではだと思う。

おもたせ暦 (新潮文庫)

おもたせ暦 (新潮文庫)

 

ネット書店の方が便利なのはわかっている。「あなたへのおすすめ」の表示の良さもわかる。けれどリアルな書店のよさとは、ひょいと歩いて多ジャンルを踏み越えられること。パッと見て視界に入るものの多さ。ネット以上に容易に、思いがけぬ本に出会える。そして何より、本物の紙の質感を確かめ、その重みでその本そのものを思い知る。

そしてまたひとつリアルな書店が閉店した。

一方でニッチなニーズに対応したリアルな書店の誕生も数多くみられる。先日台風の被害に遭った本屋lighthouseさん然り(これまたツイートしたとおり、水濡れ本を購入。少しでも支援になればと)。でんぱ組.incを卒業した夢眠ねむきゅんの夢眠書店然り。みんな自分の手の届く範囲で、ぽつぽつと本の灯火をともしているのだろう。

復旧支援用・水濡れ汚損本 | 本屋lighthouse

ブログの更新間隔が空いてしまいましたが、その間に新刊の作業を進めておりました。いつもの業者さんに印刷・製本のオーダー完了。入稿期限は11月の頭。現在のところ本文が二段組で60ページ、そのうちカラー20ページ……といったところ(前後の可能性あり)。11月24日の文学フリマ東京直前には関連の投稿も増えてくるかと思いますがよろしくお願いいたします。

今回調子こいて新刊を100部印刷します。2月の文学フリマ広島分やリアル書店さんへの売り込み分も同時に印刷しているから、というのもあるのですが。時にはこんな思い切りも必要なのさ。

ブログには短く、ツイートには長し

人を批判する人、さらにそれを批判する人……などと、批判の連鎖を見かける。批判を大っぴらにする人もいれば、影でこっそりの人もいる。

批判は見ていて疲れることも多いけど、影でこっそりの陰湿さに比べればマシだ。だから私もこんな公の場所に書く。

影でコソコソ言う奴よ、用法容量を守り表へ出ろよ。同意欲しさに仲間の一部だけに語るのはおかしいだろ。

以前本人に直接そう言ったけど相手にされなかった。この点に関しては永久にわかりあえなさそうだな、と今日も思う。

だからといってその人の人格すべてを批判するのは間違っているのだ。すべての意見が合う人などいない。別の話では異常に気が合うかもしれない。

そう思うと、議論は辛いものだがある程度は慣れた方がいいのだろう。それも社会の平和への一歩なのでは、などと壮大なオチにたどり着いてみる。

誰にも読まれていない本

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二ヶ月に一度くらいのペースで、小学校の図書室でボランティアをしている。ボランティアというと奉仕の精神と慈愛に満ち溢れた行為というイメージがあるが、実際は「面白そう」「本に触りたい」「図書室にどんな本があるのかチェックしたい」「参観日以外にも我が子の学校に行ってみたい」という、自分勝手な理由で参加している。それが結果的に人の役に立つなら良いことだ、程度の感覚だ。

図書室のボランティア内容は主に本のクリーニングと整理整頓である。図書室にある本は意外と汚れていること、参加してようやく気づいた。これまで自分が利用してきた図書室や図書館でもこのようなクリーニング作業が知らぬ間に行われていたのだろう。司書実習に行く人はこういう作業をするのだろうか?などと考える。本の破れをテープで補修したり、破損を防止するためにあの透明なテープ(ブックフィルム)を本に貼り付けたりもする。

作業をしつつ蔵書を確認するのが至福の時間。やはり「ゾロリ」シリーズは人気で、蔵書数も多いが破損もひどい。「おしりたんてい」シリーズも勢力拡大しているが、過去のリリース数の多さでゾロリの圧勝だ。私の愛した「ズッコケ三人組」も生き残っている。手塚治虫ブラックジャックなどの漫画モノも人気で、新旧同じように愛されているのがわかる。

一方で、古い割に全く手に取られていない本もある。江戸川乱歩のシリーズは人気なのかと思いきや、全く乱れなし。つまり前の整頓以降ほとんど手に取られていないということ。ただ経年劣化しそこにある、という感じだ。

ボランティアに行く日はなるべく子どもに伝えるようにしている。「明日○時から○時まで図書ボランティア行くよ」と言うと、その時間は母親が学校にいるのだと安心するらしい。いつか「恥ずかしい」と思われる時が来るかもしれないが。ある日、ボランティアに行く報告をした流れで図書室の話になった。「新刊入ってたよ」「あの本あの棚にあったね」などと盛り上がる。子の学年でも、まだゾロリは人気らしい。

「でもみんなゾロリとか、人気の本ばかり借りるから、自分はちょっと違う本が読みたい。誰にも読まれてない本、可哀想だもん」

子どものその言葉に、私は激しく同意した。私も小学生の頃に全く同じように考えていた、その気持ちが一気に蘇る。誰も触らない深緑色の文庫を熱心に読んでいたあの頃。あれがなければパール・バックに出会うこともなかっただろう。さらに頭に浮かぶのは図書ボランティアの時に見かけた江戸川乱歩。もう少し大きくなったら、あのあたりにある古い本を我が子が読むのかもしれない。