文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

本との出会いを逃したくなくて

以前から「夏葉社」の本が気になっていた。「なつはしゃ」と読むのだけど、私は初見で「かようしゃ」と読んでしまったため、どちらだったか忘れてしまう。これを書く前に公式ページで確認した。なつはしゃ。この出版社の名前を知ったのは私の好きなミュージシャン・浜田真理子さんが「冬の本」に文章を寄せていると知ったことから。

この本の執筆陣は非常に豪華。能町みね子さん、キリンジ堀込高樹アニ、山崎ナオコーラさんも書かれているとは!本当は全部のお名前を書きたいけど、書いていたらキリがないので先ほど↑のリンク先をご覧いただきたい。あなたの琴線に触れるお名前がきっとあるのではないかと思う。

夏葉社は島田潤一郎さんという方が一人で立ち上げた小さな出版社だ。詳しい経緯はこちらのインタビューの56回〜58回をどうぞ。夏葉社のスローガン「何度も、読み返される本を。』のとおり、島田さんが本当に読みたい本を刊行しているんだな、というのがわかるラインナップ。装丁も、どれも美しい。

『冬の本』を注文しようと思いながらも随分年月が経ってしまった。刊行されてしばらくしてからその存在を知ったせいもあるが、あまり手に入りにくい本だからつい先延ばしにしてしまう。そうこうしているうちに『冬の本』はhonto*1での扱いもなくなってしまった。またどこかで出会えますように。そう思いながら公式ページを眺めていると、一冊の本が目に入った。それは『美しい街』。

その見た目の美しさ、そしてこれもまた能町みね子さんの書き下ろしエッセイが付いているというのもあるけれど、検索すると中身も自分に合っている気がする。すでにハッとされられる作品があった。さらにどこかでこの作者の名前をみたことがあるな、と思ったら、青空文庫に彼のページがあるのだった。横書きで出だしを読んだときはあまりピンとこなかった。旧仮名遣いや注書きの多さに目が疲れてしまったのを思い出した。検索で出てきた縦書きのページの美しさとだいぶ違う。

これもコーヒーカップと同じように手にとってその重みや材質を確かめながら買いたいのだが、また先延ばしにしていると永遠に手に入らない気がした。そして詩集を買うのは久しぶり。もしも自分に合わなくても、それはそれで運命だ。私は注文ボタンを押した。

*1:近年ネットでの本の購入はAmazonをメインにしていたが、ポイント稼ぎも兼ねてhontoを利用することが増えた。実店舗とのリンク感も好き。

ヴィンテージの魅力

子どもの通う音楽教室は、ひとりひとり鍵盤の前に座りレッスンを受ける。先日のこと、教室内の鍵盤が一部新しい製品に入れ替わっていた。我が子の席の鍵盤はまだ古いもので「なんで自分のは古いの…」と涙をぽろぽろこぼし始めた。

先生や職員さんがしまった!と気づき、周囲のママたちも「じき新しいものが入ってくるからね〜」となだめてくれた。私も「納期とか締日とか在庫数とか、大人の世界にもいろいろあるのだよ」と慰めつつウケを狙う。

すると一人のママが「前のものってことは、ヴィンテージってことだよ!使い慣れて弾きやすいよ」と言ってくれた。そうだよ!ヴァイオリンとか、古いものの方が価値があったりするじゃない!と私も便乗する。ちょうど「ストラディバリウスよりも現代のバイオリンのほうが『良い音』と軍配があがる」というニュース記事を読んだのは絶対に我が子には言えないな、と思いながら。

話は変わって。二週間ぶりにあの珈琲豆専門店に行った。我が家は二百グラムを二週間で消費する、というのがわかった。今日は前回試飲したマンデリンにしよう。香りの鮮度を思えば一週間分=百グラム購入した方が良いのかもしれないが、とりあえず値段表示どおり二百グラムの購入とする。まだ「百グラム単位で買えますか」と言う勇気がなかったのと、他に聞きたいことがあったからだ。先日より探していたコーヒーカップのこと。

今回は正午に店を訪れたせいか他の客はおらず、店主も昼休憩中のようだった。試飲のコーヒーカップとてもいいですよね。あれは売っているものですか?どこかで買えますか?とスタッフの女性に尋ねたら、「あれは中古のヴィンテージものなんですよ」と答えてくれた。だから普通の店には並んでいないのか!探しても探しても似たものがないのに納得した。

豆の準備をしてもらっているあいだ、試飲のコスタリカをいただく。スタッフの女性が「〇〇さんのところにあるかもしれない」と声を上げ、レコード棚の下に並べられたダイレクトメールを一枚取り出し渡してくれた。陶器の写真が載せられたポストカード。「このお店にだったらあるかもしれません」…なんだって!絶対行きます。絶対に。「あっ、思い出した」さらにスタッフの女性は続けた。「アラビアのルスカ、です」…あらびあのるすか。私はバッグからボールペンを取り出しそのポストカードに記入する。間違えて「アラビカのルスカ」と書いてしまうほどに興奮していた。

帰宅し「アラビアのルスカ」を検索する。あのアラビアの!やっと状況がわかった。確かに中古でしか無いものだ。ネット通販でも買える。けれどひとつひとつの模様というか、柄というか、表面の具合が違うようだ。これは、目で見て買わないといけない。通販は簡単だけど、これは通販じゃダメなタイプの買い物だ。

ストラディヴァリウスより現代のヴァイオリンの方が良い音ならば、なぜ人は古いものを求めるのだろう。もしかしたらそこに宿る魂や触り心地を求めているのだろうか。コーヒーカップも同じように。ただでさえ深い「コーヒー沼」、ヴィンテージという荒波も追加され、私は全身泥まみれ。果たして紹介されたお店で念願のカップは手に入るのか。今からワクワクしている。

濃い一年を送りたいなら

二十五歳のとき、親しい仲間の一人が結婚した。「一番結婚しなさそうな人があっさりと結婚した」という話はよく聞くが、彼女の場合もそうであった。彼女が結婚したことで仲間たちはみんな「自分にとっての恋愛・結婚」を考えるようになった。もちろん私も。

そこで仲間の一人があるコンパの話を持ってきた。コンパといっても、大人数でやるタイプのものらしい。それってお見合いパーティーなの?と聞くと、そうではないと言う。ライブ会場でやるらしいよ、と聞いてますます謎に思いながら仕事帰りに待ち合わせて向かうことにした。

それまで仲間たちとは仕事後にお茶をしたり休みの日にランチをする程度で、飲みに行くとか、ましてや繁華街に繰り出すということはなかった。私は二十歳から働いているが、仲間たちは大学を卒業してやっと落ち着いてきた頃。まだ学生時代の気分で会うことが多かった。そんな私たちが夜の繁華街にいる。普段取引先との食事で来るような場所に。そんなワイワイガヤガヤとしたネオンの街の一角に、その店はあった。

扉を開けるといきなりバドワイザーのぴったりした服を着た”バドガール”さんがお出迎え。「いらっしゃーい」と柔らかく言われる。中に入ると男女のみなさんが歓談していた。そして奥にはステージがあり、ドラムセットやアンプなどの機材が並んでいる。そうだね、ライブ会場だもんね。

軽い調子のお兄さんが司会を始めた。男女にわけた小さいグループをいくつか作り、時間を決めて交代してトークしていく。最後に紙に気に入った人を書いて投票するという仕組み。なるほど、お見合いパーティーは一対一だけど、これはグループ対グループの形式なのか。早速トークが始まった。仲間で一番の美人がグイグイ引っ張ってくれたので、のんびりとそれを眺める。面白いお兄さんから地味なお兄さんまでいろんな人がやってきた。「俺、きみたちに投票するから、ちゃんと俺にも投票してね!」と言う陽気なお兄さんもいた。

最後に現れたのは謎の集団だった。年齢も性格もバラバラな雰囲気。最初から「いい人をみつけたい」というガツガツした感じが全くなく、表面的な会話を楽しんでいる様子だった。真面目そうなお兄さんがいたので、安心して真面目に話していると仲間に話し相手を奪われた。うっ、こういうとき友情は無情に変わるのだな。

トークが終わり、投票用紙が回収される。「ではライブをお楽しみください」と司会のアナウンス。そこで立ち上がったのは、あの謎の集団のお兄さんたちだった。やる気がなかったのはライブをするために来た人たちだったからなのだ。そういうことか、と私は納得した。謎の集団は洋楽カバーを数曲披露した。ボーカルの声に合った気持ちの良い選曲*1。女子たちみんな、うっとりと聴き惚れている。あれ?もしかしてみんな男女の出会いとかどうでもよくなっちゃってる?

ライブが終わり、会はお開きとなった。投票結果は?と思ったが「ベストカップルの発表でーす」といったシーンは見られなかった。なんだそれ。そのまま私は帰宅した。

後日、あの謎の集団の一人が経営するバーに行くことになった。仲間のうち二人が、あの謎の集団の人々とお付き合いすることになったからである。私が帰宅した後でそんなことになっていたとは。あの場にいた人々もほとんどライブや店の常連だったと知った。バドガールもお客さんで、その日はOLの事務服を着て現れた。なんだよ、知らなかったのは私たちだけだったのか。「俺、きみたちに投票したんだからね?」とあの陽気なお兄さんもやってきた。投票結果は常連の酒の肴にしかならなかったようだ。

バーでもソフトドリンクを飲む私に、ある人が「きみたちは最初ものすごく陰気で暗い感じだったよ。もっと明るく過ごしなよ」と言ってきた。非常に腹が立った。”うまいこと利用してきた人々”に”真実を突きつけられる”という二重の出来事に。

「どうせ私は暗いんだから」とその環境に壁をしてもいいところではあったが、それは負けのような気がした。それから私はちょくちょくその界隈を訪れるようになった。そのバーだけでなくいろんな繋がりが増えていった。主にお笑い担当として盛り上げ役に徹しながら、仲間だけでなく様々な人々の恋愛や友情のあれこれを眺めた。人との会話に慣れることが人間関係を構築する一歩であること、こういうところでみんなが思いを吐露したり発散していく場合があることを知った。

繁華街で外国人に声をかけられ、面倒だなと思いつつも「この人を連れて行ったらどうなるだろうか?」と思いあの界隈へ連れていき、たのしい一日を過ごしたこともあった。ライブにも積極的に行くようになった。前に書いた田辺マモルさんのライブも、このような繋がりがなければ見ることはなかっただろう。

そんな生活は一年で終わった。仲間が謎の集団の人々とお別れすることになったからである。「私が別れるからって、行くのをやめなくていいんだよ?」と彼女らは言ったが、もう私には充分だった。ちゃんと私には繋がりを広げる力が身についたから。あのバーの界隈だけが私の世界ではないから。きっと最初の頃の「陰気で暗い」感じは、なくなっているはずだ。

もしあなたが濃い一年を送りたいなら、繁華街のバーに飛び込んでみることをおすすめする。ソフトドリンクでも刺激的な時間があなたを待っている。出会いがないというのなら、知らないバーに行って会話をするのは良い訓練になる。恐れることなく飛び込め!一年後、陸にあがったときの爽快感、保証しますから。

*1:どんな曲かここに書きたいけど身バレを防ぐため書けない…悔しい…

sing,sing,寝具

表題はダジャレである。そういえばあの山下達郎氏はよくラジオで「シャレです、シャレ」ということが多い気がする。ライブのMCでも言っていたような。

というわけで寝具の話である。この度、掛布団のシーツを新調した。これは我が家にしてみれば革新的な出来事だ。我々は結婚以来ずっと同じニトリのシーツを使用してきたからだ。ニトリ…決してニトリを否定するわけではない。ニトリの中でも一番格安なものを選んでしまったうえ十年近く経過し毛玉だらけのボロボロな状態だったのである。まさかニトリも、十年近くも使用される前提で格安なものを作ってはいないだろう。子どもの布団は私の独身時代のシングル掛布団を使用、これもまた格安のシーツであり、特に夏は肌触りが悪かった。

夫も子どももよく汗をかく。これまで敷き布団や敷きパッドに関してはこだわってきたが、誰も掛布団の文句を言う人間がいなかった。前にも書いたように近頃夫の睡眠の充実について考えるようになり、掛布団の心地よさに注目したのだ。だいたい、ベッドの場合一番目に入るのは掛布団の柄である。そしてベッドにダイブするときは掛布団の上。ああ、もう掛布団シーツを変えるっきゃない!

ネット注文したのは肌触りの評判が高く、デザインもスタイリッシュでスッキリとしたもの。さらにシーツの乾きが良いというではないか。各布団にシーツを1枚ずつしか用意しない(つまり洗い換えを用意するという概念がない)我が家にぴったりである。連休を挟んで昨日到着、その日のうちに洗って干して、あっという間に乾いて掛布団に装着完了。夫や子どもが帰宅したら、さぞ喜ぶに違いない…とニヤニヤ待っていた。

しかし帰宅時の彼らの反応は「あー、変えたんだ、ふーん」という程度であった。若干それはショックではあったが、実際の就寝時、夫も子どもも夜中に起きている様子がない。夫は朝早くに一度目が覚めたようだったが、またすぐ睡眠に戻っていた。おお、いいではないか。まだ一日しか経っていないのでなんとも言えないが、私自身も気持ち良く眠れたので僅かながらでも効果はあったのだろう。

朝みんなが出かけたあと、もう一度シーツの肌触りを確認してみる。ツルツルしすぎることなく、かといってゴワゴワしていないちょうど良さ。素肌にあたる部分のつめたさが心地よい。冬は冬で程よいぬくもりと通気性を味わうことができそうだ。私はだんだんと夢の中へ誘われていった(平日の午前に昼寝をする怠慢な主婦がここに完成、午後から巻き返しをはかる所存)。

『For Sentimental Reasons』

先日少し触れた、Linda Ronstadtのことについて書いておきたい。

私がLindaを知ったのは中学一年の春だった。私が『When You Wish Upon a Star(星に願いを)』のオルゴールを持っているのを見かけた叔母が「その歌が入ってるCDがあるよ」と貸してくれたアルバムが『For Sentimental Reasons』だった。

それまで私はクラシックのCDばかり聴く小学生時代を送った。ヒットソングは友達が歌っているものしか知らなかったしあまり興味がなかった。自分が音楽を習っていないという引け目もあった。さらに、悲しいことに私は小学校の担任にいじめられていた時期があり、その担任に「あなたはリズム感がない」と指摘されていたため、音楽には近づかないようにしていたのだ。それでもクラシックのCDだけ聴いていたのは、親が取引先からクラシックのコンピレーションアルバムを貰い、それを譲り受けたためである。

『For Sentimental Reasons』はLindaがジャズのスタンダードを歌った三部作のなかのひとつだ。音楽に疎い中学生がいきなりジャズ、というのは普通ではないだろう。しかしLindaの優しく可愛らしい、ときに強い歌声の素晴らしさは中学生でも充分理解できた。そしてスタンダードナンバーであるからこそ楽曲は間違いないものばかり。すぐにカセットテープを買いに走りダビングさせてもらった。

どの曲も魅力的であるため「この一曲」というのを挙げづらい。だが、アルバム最後を飾る『Round Midnight』は特に私の心をえぐった。この暗さが私にはちょうど良かった。この頃、車のCMでこの曲が流れていたのもあり印象に残っている。ネット検索したが、どのメーカーのどんな車だったか、誰が歌っていたかは判らない。ただ、声は限りなくLindaに似た女性だった。

月日は流れ、大人になってからはついにCDを手に入れた(さようならカセットテープ…)。するめのように何度も聴いた。さらには自分の結婚式でも使用した。これはさすがに『Round Midnight』は使用しなかったが、『Straghten Up and Fly right』のような明るい曲調のものをピックアップした(『Straghten Up and Fly right』で結婚式、というのも、大人のふざけた感じ・陽気な感じがしていいのではないかと思ったのだ…)。子どもを寝かしつけるときに歌うこともある。

そういうわけで、Lindaはいつも身近にいる。時代の変化と共にCDからiTunesiPhoneにデータを移しながらも、ずっと側に。

For Sentimental Reasons

For Sentimental Reasons

 

 

野球顔とサッカー顔

世の中の男性には野球顔とサッカー顔がある、というのが長期的観測に基づく私の持論だった。あまり知らない人でも顔を見て「この人は野球顔だな」と判る。そして外れたことは無かった。

しかしながら2010年代に入ると急激に当たらなくなった。男性に遭遇する機会の減少、自分の加齢による判断力の低下などが考えられる。さらに、それまで「少年時代は野球かサッカーのどちらか」という環境が、多様性を帯びあらゆるスポーツを選択できるようになったのではなかろうか。

…なんて社会を分析したつもりになってみたが、そもそもそんな科学的根拠のない私の考え自体が間違っているのだとは思うけど。

私自身は野球観戦が好きだ。サッカーのことはよくわからない。しかしあまり熱狂的に野球を語りすぎると、人々とのお付き合いには支障が生じる可能性が高い。日本のネットでのお約束「政治と宗教と野球の話はするな」も正しい気がする。

そういうわけで自ら野球が好きと積極アピールすることはない。しかしひょんなことからママ友に野球好きがバレてしまった。だが、彼女も同様に野球好きだったのである。だからこそ私が隠しきれなかった野球好きの気配にいち早く気づいたのだ。よって、共に野球中継を見ながら試合運びや選手について(LINEで)語り合ったり、高校野球で互いの出身県を応援しあったりと楽しむようになった。

それまでTVに向かって「守りが甘いんだよ!」などと文句を言っては子どもに「ママ、もっと優しく」とたしなめられて来たが、ママ友宅でも同じ光景が繰り広げられているようで、子ども同士も結束を固めているようだ。子どもが大きくなって手がかからなくなったら、二人でグダグダ言いながら野球観戦するのが我々の将来の目標である。

そういえば女性に野球顔とサッカー顔があるかどうかを考えたことがなかった。女子野球や女子サッカーもさかんになった近年、もしかしたら女性も顔が判別出来るかもしれない。これから統計をとっていくのもいいな、と考えている。

山岳地帯への旅:その1

この記事「山岳地帯への旅」をまとめた『Hoytard1996 山岳地帯への旅』を一冊の小さな本にしました。

このブログには「その1〜その7」として掲載しました。そのうち「その1」のみ、そのまま残しておきます。試し読みとしてご利用下さい。

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私の「鉄板ネタ」に、高校生の頃のアジア山岳地帯への旅話がある。あまりにも色んなところで話しているので(そういえば教育実習でも生徒に話した)身バレを防いで国名は記載しない。国名などどうでもいいのだ、おそらくあの山岳地帯の民族たちも自らの国名など意識せず暮らしているのだから。

高校生の私が山岳地帯へ行くことになったのは、親族が親子スタディツアーを企画したからだった。親族は仕事で国際交流に関わることが多く、私の住む家にも外国からの農業研究生が何度かやってきたことがある。その流れでツアーに参加することになった。小学六年生のときにこの企画を耳にした瞬間から、卒業文集に書くほど待ちわびた海外への機会。私は冬のスキー関連のアルバイトで資金をため、学校を一週間休み旅立った。

関西国際空港からその国主要の空港へたどり着き、さらに国内便で近くの都市へ。そこからさらに山奥へと入っていく。まだ山岳地帯には到達しない麓のあたりに、現地で日本人が設立した学校寮があった。山岳民族たちは貧しく、学びの機会もない。麓に学校寮を作ることで山岳民族の子どもたちの学ぶチャンスが増えたのだ。初日はこの寮に泊まる。

はいじゃあ交流どうぞ、と言われても現地の言葉はわからず、英語も通じないようだったので共に黙々と調理をする。寮だけど炊事洗濯は自分たちで行わねばならない。キッチンセットのある調理室などなく、土間のような床でインゲンの筋取りをしてボウルに分ける。この国にもインゲンはあるのだな、と何故か感心する。側のかまどに大鍋をセッティングする女子生徒たち。寮だけどキャンプみたいな生活。

作業が終わって外に出ると当番ではない生徒がタクローをしていた。セパタクローの、コートが無いバージョン。つまりは完全なる蹴鞠だ。細長い手足の男子が踊るように軽やかに蹴り上げ、赤茶色の土埃が舞う。私はついに異国に来てしまった。

食事はやはり辛かった。寮のベッドはただの板。明日は更に奥地へと向かうなんて。嫌な予感がしながらも、毛布一枚をガッチリと体に巻きつける。寒い。「高山地って昼は灼熱・夜は真冬だからね」と大人たちは笑った。

(続きは『Hoytard1996 山岳地帯への旅』で!)