そもそも文化的って何かね

今更ブログを始めようと思った理由について書いておこうと思う。もともと2000年ごろからなんだかんだでウェブ上に日記を書いていた。新しい日記サービスが出れば試し、書く場所をコロコロと変えているような状態。日記にコメントをくれる見知らぬ人と匿名で交流していた。

やがてSNSが出てきて、リアルな友達とウェブ上で交流する機会が増えた。mixiにも日記を書いていたが「リアルな友達に向けて自分の日記を見せる」というのはなかなか不思議な経験だった。mixiが下火になりかけたころに出産したため「陣痛なう」という日記を書くことにも成功する(夫には「あんなに苦しんでいたのにいつのまに書いたんだ」と呆れられた)。Facebookも招待されアカウントは作っていたが、周りは誰もやっていない状態だったため個人的な非公開写真置き場となっていた。

Twitterが始まったのは2007年ごろだったと思う。当初は公開していたが妊娠を機に非公開とした。同じころ何度目かの(!)はてなダイアリーを作成しTwitterと同名義にしていたが、今は非公開・停止状態にしている。これは夫もこのアカウントを知っているというのが大きい。私の日々=家族の日々でもあるので、家族のプライベートを守りたいというのがある。

そうこうしているうちにFacebookの世の中になった。Facebook創業者の映画と震災の影響かな、と勝手に思っている。今はむしろFacebook飽きたという人も多いのだろう。更新する人が以前より少なくなった印象だ。Facebookは「リアル知人への公的に近い近況報告」の場であろうから、あまり「思いを長々と書き綴る」という行為は向いてないように思う(これもまた私の勝手な見解なので、あしからず)。

でもときどき「書きとめておきたい、この感情!」と思うことがあり、そのやり場に困っていた。Twitterは短文なのでメモ的な扱いであり、一瞬の感情を書くのはいいのだが「きちんと書きとめる・まとめる」には不向きだと思ったのだ。

文章としてきちんとまとめようとする……これは「文化的」ではないのか。私にはしばらくその要素が欠落していたのではないか。それが今回ブログを始めようと思った理由だ。

「文化的生活」を検索すると、「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉にひっかかる。柏木ハルコさんの同名漫画、そしてそのタイトルのもとになった日本国憲法第25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文が出てくる。漫画を読んだことはないけれど「文化的」という言葉と「生きること」に私は反応した。

「文化」という言葉の意味は辞書で見ても広義で、一言では説明できない。ブログに書くことで、私は「文化」の意味をさらに追求していきたい。