文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

「読める写真を撮れ」

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写真を撮ることやカメラを触ることが好きだ。カメラのエピソードはたっぷりある。書きたいことも次々に浮かび、頭の中が情報整理で忙しくなる。

古いものから新しいものまで、フィルムにもデジタルにも手を出してきた。数年前、中古カメラ店めぐりで出会ったOLYMPUS PEN EE-3。ハーフなので36枚撮りフィルムなら倍の72枚撮影することができる。写真自体もレトロに仕上がり、満足度の高いカメラだった。近年はフィルムカメラを使用することが少なくなってしまったが、手放せずに今も押入れの中にしまっている。カメラ好きの人からは「ちゃんとした防湿ケースにしまいなさい!」と怒られてしまいそうだが。

そのOLYMPUS PENを民族学者の宮本常一が愛用していた、というのを最近知った。石川直樹宮本常一と写真』という本を読んだからだ。

宮本常一と写真 (コロナ・ブックス)

宮本常一と写真 (コロナ・ブックス)

 

 同じカメラを使っているというのが恥ずかしくなるほど、宮本常一の写真は見るものを引きつける。映し出される昭和初期の離島や田舎。人々の暮らしに入り込んで、内部から撮影しているのがわかる。本文でも説明されているが、芸術を追い求めた写真ではなくそこにあるものを忠実に撮ろうとする民族学者としての姿勢があるからこそ、写真としての魅力が増す。

この本の中で私が好きなのは、神楽の観客席を写したものだ。神楽の舞手は居らず、ただ観客が肩を寄せ合い狭い空間にぎゅうぎゅうと座り演目を待っている姿を舞台側から全体的に写しただけ。それなのに非常にリアリティがあった。滅多にない田舎の娯楽をワクワク待つ当時の人々の気持ちが伝わってくるようだった。

被写体を、その場の空気を正確に捉えようとする気持ちは技術よりも必要とされることなのだろう。報道写真もそうだけど、真実を追い求めることで躍動感が生まれたり、とんでもない瞬間を切り取ることができる。

宮本常一は「芸術写真は撮るな」「読める写真を撮れ」と言った(55ページ)。時に「レトロな写真を撮りたいわ」などという”ええ格好しい”な私の心を見透かされた気がした。