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音楽のできる喜び

子どもを音楽のグループレッスンに通わせ数年になる。子どもたち同士だけでなく親同士も仲が良く、先生も指導・人柄ともに良い方だ。レッスンの日は親子してウキウキ出かけている。

ある日、私たちの街に災害が起こった。グループのメンバーや先生の家族はみんな無事で、レッスンは予定通り開催されることになった。先生はレッスン開始前にこう仰った。「こうやって音楽ができることに感謝しましょうね」。それはずっと私の心の中に残っている。

もう一つの意味で、音楽ができることへの感謝について、今日は書きたい。

私自身も小学生の頃にピアノ教室の門をくぐったことがある。祖父の店の従業員さんが、お子さんをその教室に通わせていたからだ。そこは従業員さんの親戚が行う教室で、レッスン料は取っていないという。少し離れた町の教室だったので車の送迎が必須だったが「パチンコで時間でも潰すか」と祖父が同意してくれたので行くこととなった。

ピアノ教室は先生の自宅で開催されていた。先生の奥様が優しい笑顔で出迎えてくれる。「いつもお世話になりまして…」と祖父は深々と頭を下げられ、奥の応接間らしきところへ通されて行く。奥様からしてみれば祖父は親戚の雇い主なのであった。少し嫌な予感がした。

私はピアノの部屋へ。赤い絨毯が一面に敷かれ、アップライトピアノが奥に鎮座していた。先生と思しきおじさんがピアノの横に座り、同じような小学生の生徒を指導している。そして少し離れた場所に待合室のごとく椅子が並べられ、数人が座っていた。従業員さんのお子さんもいて、知った顔に少し安堵する。「待ってる間はここのキーボードを弾いてもいいんだよ」と椅子の近くに置かれたキーボードを指さして教えてくれた。

弾きたかったが、私は習ったこともないから弾けるわけもない。意味もなく「猫踏んじゃった」の出だしを弾く。その瞬間、先生がこちらをジイっと見た。子供心にその目は鋭く感じられた。これは弾いてはいけなかったのだろうか。もしくは入塾試験のようなものなのか。私は試されているのか。怯えた私はすぐさま近くの椅子に戻った。

レッスンはそのまま終わってしまった。従業員さんのお子さんは先生に呼ばれたが、私は一度も呼ばれることはなかった。祖父はパチンコに行くチャンスもなく、お茶とお菓子をひたすらご馳走になったようだった。奥様との会話も疲れたようで「早く帰りたい」という顔をして迎えてくれた。

これを3度繰り返した。そして突然曽祖母が死去し葬儀のドタバタに巻き込まれているうちにピアノの話は無かったことになった。一体あの時間は何だったのだろう。先生は何も私に声をかけてくれなかったし、私から話す勇気もなかった。どうすればレッスンをさせてもらえたんだろう。大人になった今もよくわからない。ただ、一つ言えるのは「見学と間違えられていたのではないか」ということだ。悲しい行き違いだったのではないか。なんせレッスン料は無料だし、祖父も詳しいことは何もわからず送迎しお菓子とお茶をご馳走になっていただけなのだから。

いま子どもに音楽を習わせているのは、その悲しい思い出があったからというわけではない。音楽がやりたいと言ったのも子ども自身だ。しかしそのおかげで、子どもを通して私はやっと音楽と向き合えた。長い年月を経て、音楽ができる喜びを実感している。心から。