文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

山岳地帯への旅:その1

この記事「山岳地帯への旅」をまとめた『Hoytard1996 山岳地帯への旅』を一冊の小さな本にしました。

このブログには「その1〜その7」として掲載しました。そのうち「その1」のみ、そのまま残しておきます。試し読みとしてご利用下さい。

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私の「鉄板ネタ」に、高校生の頃のアジア山岳地帯への旅話がある。あまりにも色んなところで話しているので(そういえば教育実習でも生徒に話した)身バレを防いで国名は記載しない。国名などどうでもいいのだ、おそらくあの山岳地帯の民族たちも自らの国名など意識せず暮らしているのだから。

高校生の私が山岳地帯へ行くことになったのは、親族が親子スタディツアーを企画したからだった。親族は仕事で国際交流に関わることが多く、私の住む家にも外国からの農業研究生が何度かやってきたことがある。その流れでツアーに参加することになった。小学六年生のときにこの企画を耳にした瞬間から、卒業文集に書くほど待ちわびた海外への機会。私は冬のスキー関連のアルバイトで資金をため、学校を一週間休み旅立った。

関西国際空港からその国主要の空港へたどり着き、さらに国内便で近くの都市へ。そこからさらに山奥へと入っていく。まだ山岳地帯には到達しない麓のあたりに、現地で日本人が設立した学校寮があった。山岳民族たちは貧しく、学びの機会もない。麓に学校寮を作ることで山岳民族の子どもたちの学ぶチャンスが増えたのだ。初日はこの寮に泊まる。

はいじゃあ交流どうぞ、と言われても現地の言葉はわからず、英語も通じないようだったので共に黙々と調理をする。寮だけど炊事洗濯は自分たちで行わねばならない。キッチンセットのある調理室などなく、土間のような床でインゲンの筋取りをしてボウルに分ける。この国にもインゲンはあるのだな、と何故か感心する。側のかまどに大鍋をセッティングする女子生徒たち。寮だけどキャンプみたいな生活。

作業が終わって外に出ると当番ではない生徒がタクローをしていた。セパタクローの、コートが無いバージョン。つまりは完全なる蹴鞠だ。細長い手足の男子が踊るように軽やかに蹴り上げ、赤茶色の土埃が舞う。私はついに異国に来てしまった。

食事はやはり辛かった。寮のベッドはただの板。明日は更に奥地へと向かうなんて。嫌な予感がしながらも、毛布一枚をガッチリと体に巻きつける。寒い。「高山地って昼は灼熱・夜は真冬だからね」と大人たちは笑った。

(続きは『Hoytard1996 山岳地帯への旅』で!)