山岳地帯への旅:その2

前回(その1)の記事はこちら↓から。

翌朝目がさめると、学校寮は朝靄に包まれていた。それは過疎地で暮らす私にとってよくある光景だ。水墨画のような景色は東南アジア地域にもあるのか。しかし靄に隠れていない部分、つまり地面に目をやるとしっかり赤茶色の土があった。

寮で朝食を摂ったかどうかは忘れたが、朝靄に包まれながら出発したのは覚えている。数台のダットサン風トラックに分かれて乗り込む。もちろん荷台の部分だ。車体の後ろには大きく「TOYOTA」の文字。

いよいよ山岳民族の住む地域へ向かう、その前に買い出しをした。水だ。この国に来てから、とにかく「買った水以外は飲まないように」と忠告された。学校寮に来るまでも購入していたのだが、山岳地帯での3日間分の水を追加で確保する必要があった。それ以外にも買い物はしたと思うが、水のことしか覚えていない。

学校寮の付近も家はまばらであったが、ある程度進むと何も建物はなくなった。山道をひたすら走る。覆われた木々が突如なくなり、パッと視界が開けた瞬間「着いたよ」という大人たちの声がした。いつのまにか朝靄は消え、太陽がギラギラと照りつけ始めた。やはり赤茶色の土が一面に広がる。その真ん中の窪んだ谷のような部分が、今私たちが車で走っている道だった。そして前方から、銀色の集団がやってくる。誰が何も言わずとも、現地の民族たちが迎えに来てくれたんだとわかった。

銀色に見えたのは彼らの民族衣装。一瞬「ツタンカーメンの銀色版」と思ってしまうほど、顔の周囲を覆った銀色の玉の数々。首につけられた何重もの首輪。黒をベースに刺繍が施された衣服。コーディネーターの男性が車を降りざっと挨拶を交わし、みんなも車を降りた。ここから数分ばかり赤茶色の山を登り、村へと入る。

山ではあったが、人々の住む場所の木はほとんど伐採されていた。広場を中心に、高床式のログハウスのようなものが点在している。その広場で正式に挨拶をした。日本人は2人ずつに分かれて各家に「ホームステイ」することになっている。私は単独で参加していた大人の女性Kさんと一緒になった。そして我々がお邪魔するのはティソさんという女性の家。ここではこの国の公用語が通じない。「地球の歩き方」で事前にチェックした言葉は意味をなさなかった。私はただペコペコと頭を下げ、ティソさんとKさんについていった。

ティソさんには夫がいるのか・いないのか、どうだったか覚えていない。いたとしてもこのときは出稼ぎをしていたのではないか、というくらい存在は皆無だった。他にロカという小学生ぐらいの男の子と、アボイという3歳ぐらいの男の子と暮らしており、彼らも迎えに来てくれていた。

家にたどり着くと高床の下に鶏がいた。近くには豚を飼育する小屋もある。入って、というアクションで、ペコペコしながらお邪魔する。高床式の家はウッドデッキのように外にさらされたスペースがあり、そこに立てかけられた木の板をよじ登った。屋根と壁に囲まれた内部に入ると、電気がないので真っ暗だ。ドアをあけたことでなんとなく囲炉裏のようなスペースがあるのがわかる。

お宅にお邪魔したらお土産を渡す、このマナーを思い出し私はバッグの中から袋を取り出す。「日本らしいものを持っていくといいよ」と聞いていた高校生の私は、なぜか醤油やざらめの煎餅を持参していた。よりによってこんな、外国の人が見たらなんのことか訳が判らないお土産をもってくるとは。当時の私も薄々「まだ扇子などの方がよかったのでは」と気づき始めたがもう遅い。ティソさんに手渡し「どうぞ、どうぞ」とジェスチャーをすると、ティソさんも土産だと気づいたようだ。細く骨ばった手で受け取ってくれた。年齢が30歳ぐらいと推測されたティソさんだったが、まるで日本の80歳ぐらいのおばあちゃんのようなゆっくりとした恭しい所作だった。

ティソさんは私から受け取った得体の知れないものを神棚のような棚に置いた。そこには短冊のように細長い、小さなタペストリーのようなものが飾られていた。よく見ると、女性。マリア様だ、と私は気づいた。(またも次回へ続く!)

 

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追記。「赤茶色の土が一面に広がる」と本文中では書いたけれど、写真を見返すと草はありますね。記憶と違う…。まあそんなことは大目に見ていただいて、あの瞬間をおさえた写真。もうこんな写真は二度と撮れないと思います。

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赤い頭巾の子がアボイ。

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