山岳地帯への旅:その3

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ティソさんの家から再び広場に戻ったとき、この民族の村にも宣教師がやってきて、みんなキリスト教を信仰するようになったことをコーディネーターの男性に教えてもらった。ちゃんと教会もある、と指差された先に十字架の刺さった家があった。今回のコーディネーター・Tさんは日本人で、この村の発展に一役買っているらしかった。高校生の私に詳しいことはわからなかったが、畑を耕す・家畜を飼う・子供を就学させる・民族衣装の生地を観光客向けに販売する……一連のことだと思う。

Tさんには日本人の奥さん・子供たちがいた。長女は小学生ぐらい、次女はティソさんの家のアボイと同じか少し上くらい。したがって滞在中、Tさんの子供たちはティソさんの家にもちょくちょく顔を出してくれた。二人とも日本語だけでなく現地民族の言葉も修得済みで、通訳してくれることもあった。次女とアボイがキャッキャと遊ぶ姿は微笑ましかった。

このツアーに参加した日本人のこともざっくり記載しておこう。大人たちはすべて公務員及びそれに準ずる職業の人々であった。ホームステイ仲間のKさんも同様である。中には教員のご夫婦もおり、その奥さんとKさん以外はみんな男性だった。

子どもたちの大半は小学生男子。一人中学生男子がいたが、その子は親と一緒ではなかった。大人男性の中に一人だけ独身男性がいたので、その人が保護者的ポジションだったのかもしれない。女子は教員ご夫婦の小学生の娘さん、そして私のみ。したがって娘さんは私を「おねえちゃん」と呼んでなついてくれた。コーディネイターTさんの長女・次女も含め、一緒に過ごすことが多かった。

しばらく広場で過ごしたのち、トイレに案内してもらうことになった。ティソさんの家にトイレは無かった。いや、どの家にもトイレは無い。屋外の共同トイレを使う。事前にトイレ情報は仕入れていたものの、若干の不安を抱えつつみんなで向かった。

トイレは海の家のように3〜4つ横並びになっていた。茅のような素材で覆われ縦長の個室となっている。ドア(というか茅の壁)を開けると、左奥に水がめと柄杓が置かれていた。そして地面中心がくぼんでいる。このくぼみに用を足し、本来ティッシュペーパーで拭くところは水で流す。えっ、ビショビショじゃん…服着られないじゃん…と思いきや、この暑さなのですぐに乾く。ある意味ティッシュペーパーよりは清潔なのであった。

「小」はともかく「大」はどうするんだろう、と思ったら、くぼみに用を足した後に周辺の土をかけるのだという。かけるだけ?そんなに深くも無いくぼみである。「小」はすぐに蒸発するだろうが、みんなが「大」に行ったらくぼみは山盛りになってしまうのでは無いか?私は不審に思ったが、滞在中にそのくぼみが山盛りになることはなかった。もしかしたら現地の人々は当番制で「くぼみ」を処理していたのかもしれない。我々はお客様であったから、その辺は楽をさせてもらっていたのだろう。

実際のところ滞在中の「小」の回数は通常より少なかったので、トイレを頻繁に利用することは無かった。この暑さでは汗になる量のほうが多いのだろう。日本の夏に比べれば湿度がなくカラッとしているため、思った以上の不快感は無かった。「大」に関しては私の体が拒絶反応をおこしたのか、催すことがなく滞在を終えた。あまり量を食べることが無かったというのもある。

この民族もタクローは好きらしく、広場でみんなで円になってタクローをした。夕方になりホームステイ仲間のKさんとティソさんの家に帰ると、囲炉裏の周りでご飯の準備がされていた。日本でもたまに給食などで見かけるアルミの碗に、野菜の入ったスープを注ぐ。細長い米を手でギュッと握り、スープに浸して食べる。箸やスプーンなどは無い。ほんの少し辛くて苦い、薄味のスープカレーのようなものだった。

食事は美味しいとは言えなかったが、こうやって囲炉裏の火のあかりだけで家族が円になってご飯を食べるというのは神秘的な体験だった。料理の辛さと気温の暑さで食事と交互に水を飲む私を見て、ティソさんやロカはふふふと静かに笑っていた。プラスチックの水入れを指差し「イチュ」と言う。ここの言葉で水はイチュというのか。ここでは他にも言葉をいくつか覚えたけれど、今でも覚えているのはイチュだけだ。水が無いと生きていけないということを、私は身をもって実感していた。(やっぱり次回↓に続く)

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いやー、「山岳地帯への旅」、長引いて申し訳ありません。いまざっくりトピックを並べてみましたらね、「その7」ぐらいまで行ってしまいそうです。連休中はこんな話ばかりであることを、あらかじめお知らせいたします。