文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

つめたく鋭い美しさ

日曜午前、家族全員揃ってのんびりと朝食を摂る。ひと段落し珈琲を飲みながらテレビのチャンネルを変えると、原田龍二が立山黒部アルペンルートをたどる路線バスの旅をしていた。すでに番組は終盤に入っていたが、以前より「富山に行きたい」と話していた我々はその旅を見守ることにした。

比較的海沿いの平地に住む我々にとって、あのような美しい雪山は身近に存在しない。私の育った田舎は相当な山の中だが、山頂までびっしりと木に覆われている。つめたく鋭い美しさをもつあの雪と岩だけの山頂は遠い憧れの存在だ。

一度青森県に行ったことがある。青森駅から弘前駅に電車で向かうとき、電車はだだっ広い盆地を走り抜けた。そしてそこに大きくそびえる岩木山。このあたりでも「富士山信仰」のように岩木山を拝むという話を聞き納得した。美しさと、圧倒的な大きさ。

日本アルプスと呼ばれるあたりもそうなのだろうか?と思いながら番組を見ていた。いよいよ原田龍二トロリーバス立山に降り立つ。眩しい日差しの中で悠然と輝く白い山。「春の暖かいときに見る白い山、って最高じゃない?」「半袖で雪山なんて素敵すぎる」「ライチョウの羽根が冬バージョンから夏バージョンに変わりかけている!」我が家は全員盛り上がる。原田龍二の背中を追いかけたい。みくりが池温泉に入りたい。

それにしてもなぜあのような有名で大きな山には雪と岩しかないのだろう。そう思い調べたところ、その謎を解明している記事を発見した。

山の上に森はあるのか? | 森+LABO

山の上では高い木が生長することができない厳しい環境があり、高度が高くなるほど厳しいものとなります。

そうなると高木が森林としてまとまって生長することのできない限界が山の中に発生します。

この限界高度を「森林限界(しんりんげんかい)」または「高木限界(こうぼくげんかい)」と言います。

 

高木限界を過ぎると背の低い木しかなくなり、さらに高度を上げると低い木も成長できなくなり、

高山植物と呼ばれる背丈の低い植物だけになり、山頂には何も生えていない、岩だけがゴロゴロしている環境になっていきます。

なるほど、植物の生育に限界が生じるから起こる現象だったのか。言われてみればあらゆる植物に「生息地」があるものだ。それは単純に「関東地方」とか「日本列島」という場所だけでなく、標高や温度も影響する。それゆえの美しさだったのか。

そういえば、私の田舎の「森のような山」が拝まれているという話を聞いたことがない。それはもう山が生活の中に組み込まれた、いわゆる里山というものだからかもしれない(私は里山という言葉の定義を読んでも里山が何であるか理解できていないので、予想でしかないのだが)。里のレベルをはるかに超えた神々しい存在であるあの美しい山。いつかかならず、拝みに行く。