聴こえていなかった音が聴こえた

買い物をするまでにかなりの下調べをして、調べ尽くして疲れ果てることはないだろうか。私はときどきそれをやらかして、すこし寝かせてみたり、もういいやと実店舗に駆け込んだりして、なんとか決定している。今日もそんな下調べをして疲れ果てたのだが、そこで思い出した話を書きたい。

我が家に電子ピアノを導入する際も大いに悩んだ。子どもの音楽教室通いを考えるとどうしても購入の必要がある。二歳の頃に買い与えた小さなキーボードでは鍵盤の数が圧倒的に足りなかった。ネットで同じ音楽教室の情報を検索すると「あの機種はだめだ」だの「そもそも電子ピアノではピアノの練習にはならない」「最終的にピアノをさせるならグランドピアノを買う気で」とまで書かれている。人によって価値観はこうも違うのだな。

教室では「絶対にこの機種を買いなさい」などと強制されることはなかった。ただ、少しでもいいから毎日練習すること、正しい姿勢で弾くこと、それだけ言われた。同じ教室の親御さんたちも同様に悩んでいるはず、と思いそれとなく聞くと、これまた三者三様の返答だった。すでに自分がピアノ経験者でアップライトを持ってる家庭、自分が好きで電子ピアノを購入した家庭、上のきょうだいのエレクトーンがある家庭、そしてこれから買おうとしている家庭。

子どもを連れて電器屋に試弾に行ってみる。置いてあるけれど、コンセントが繋がっていなくて音がわからない。がっくり。「ネットで買ったほうが安いと思いつつ、結局教室に相談しちゃったわ」という人がいたのを思い出し、その足で音楽教室に駆け込んだ。教室の社員さんたちにねぎらわれつつ、大きな楽器店での試弾を予約した。「私も同行しますから」と社員さんは言ってくれる。「いや、そんなものすごく高い電子ピアノはウチ買えませんから……ご足労いただいて無駄足になったら申し訳ないですから」と慌てたが「いいからいいから」と明るく答えられ、甘えることにした。

「この電子ピアノにはベーゼンドルファー(というピアノ)の音が入っていまして」と説明を受ける。普段この楽器店の前は通るけど、中に入るのは二度目だ。一度目はそう、忘れもしないあのLindaのCDを買いに来たとき。当時はこの楽器店に入るといきなりCDコーナーがあったのだ。今はそこに電子ピアノがずらりと並べられている。この電子ピアノのベーシックな音とベーゼンドルファーの音を交互に弾いてみる。うーん、違いがよくわからない。なんとなくベーゼンドルファーのほうが小さい音のように感じる。

試弾を経て、我が家に導入する電子ピアノが決定した。あのベーゼンドルファーの音が入っている電子ピアノ……の一番ランクが下のもの。それでも、その下を買うべきか悩んでいたほどだ。「いつかアップライトに買い換える日がくるかもしれないし来ないかもしれない」という問題があったからだ。それは子どもの将来の選択次第。悩みに悩んでため息をつきながら電卓を叩く私に、夫が「もうそんなに悩むなら高いの買えばいいじゃん…」と許可してくれたのであった。

ベーゼンドルファーの音の違いもわからない人間の家に電子ピアノがきていいのだろうか。でも子どもはわかっているかもしれないし。そう思いながらも電子ピアノに向かう毎日。すると、ある日突然気づいた。ベーゼンドルファーの音の「音質」に。ああ、これベーゼンドルファーの音だよね、とはっきり分かる。これか!毎日ピアノに向き合うことで、自然と耳に栄養を与えていたのだ。私は今までこの音を知らずに生きてきたんだな。聴いていたけど聴こえていなかった音。まだまだそんなことが世の中にはたくさんありそうだ。実際、本当のベーゼンドルファーの音は聴いたことがないのだから。