文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

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「お母さん、普段あなたは子どもを構いすぎなのではないですか。最近の子どもは甘やかされて、何でも親に助けてもらって、だから自分で歩こうとしないんです。子どもに手をかけすぎなんです」かかりつけの小児科でそう言われたのは、子どもが九ヶ月のときだった。

人見知りが早くに始まり、さらに頑なにハイハイをしようとしない我が子。眠ることもあまり好きではない様子。でも私はそんなに手をかけすぎだろうか。何を試してもハイハイせず、うつ伏せで泣き叫ぶ子どもを放っておくなんてできるだろうか。そんな子を「最近の子ども」と括られたことに違和感を持っていた。相手は大きな病院で小児科長の経験もある医師だ、だけど……。

とにかくインターネットで検索しまくって、出てきたのは「シャフリングベビー」という言葉、そして「療育センター」の存在だった。シャフリングベビーというのは日本語で言えば「いざりっ子」。ハイハイや立つこと・歩くことをしようとしない子どものこと。そして療育センターはそのような子どもにも開かれた場所であることを知った。母子手帳を見ると療育センターに関する記述は簡素で、てっきり知的障害向けの場所だと勘違いしていた。私はすぐに地域の療育センターに電話した。

「よく電話してきてくださいましたね。ご自分で調べられたんですか?すごいですね。ぜひ一度いらしてください。なかなか予約が空いていなくて…〇〇日の〇時だったら大丈夫ですよ」療育センターの明るい対応に安堵した。一ヶ月も先ではあったが受診が決定。最初は相談員さんと面談、その後療育小児科の先生に見てもらう流れである。私はこれまでの経緯を相談員さんに説明した。かかりつけ小児科の医師に言われたことも、そして自分がこれまで調べて実践してきたことを。

「療育センターに来れば、もう”治してもらえる”と思っている人もいるんです。けれど、お子さんたちの生活のほとんどは、療育センターじゃなくて家です。結局帰ってからの生活が重要なんです」相談員さんはそう回答した。私はそれをしっかり受け止める。続いて療育小児科の先生のもとへ。

療育小児科の先生をさすがだなあ、と思ったのは、子どもが入室するなり「ちょっと緊張してるかな?」とか、何かするたびに「うんうん、今同意を求めてたのね?」などと言っていたところだ。 診断する人は当たり前なのかもしれないが「こんな風に見てくれてるんだな」と思えたので私としても嬉しかった。

そして、子どもの状況を見るためにボールを入れる機械みたいなおもちゃで遊ばせることになった。子どもは先生の遊ぶ様子をじっと見ている。けれどなかなか手をだそうとしない。 家ではそういうの、ガンガン触ってくるんだけどなあ。

「家だとお母さんが出してくれるから安心してるけど、知らない人からのおもちゃだと不安だよね」 スタッフさんが寄ってきて子どもを手伝おうとしたけど、先生が止める。「この子は緊張しやすいから、まずは私とお母さんだけにして。じゃあお母さん、〇〇ちゃんと一緒にボールを入れてみてください」

というわけで子どもの手を取りボールをキャッチ、さあ入れるよー。子どもが全然違うところを見てたので「見て見てここ!入れるからね!」などと声を掛ける。

「今のお母さんのやり方、いいです!ちゃんと〇〇ちゃんの目線が来るのを待ったでしょ。そういうのを(親御さんに)教えてあげなきゃいけない場合もあるんですよ」と先生はおっしゃった。 私はさっきの相談員さんの言葉を思い出す。

ひととおりのチェックを終え、先生はこうおっしゃった。

・歩けるようになる
・とっても慎重な子で、じっくり行くタイプ。他の人とは違う成長の過程になる
・他の子にとっては手をかけすぎであっても、この子には合っている。今のやり方でOK

「かかりつけ小児科の先生も、他の子にとっては手をかけ過ぎだからそのように仰ったんでしょうね。でもさっきの遊び方でお母さんがしたように、〇〇ちゃんの場合は手をかけることが必要なんですよ」「遊びながら、理学療法を加えていくような感じで、やってみましょう!

それからリハビリの日々が始まった。リハビリといっても子どもにとっては楽しい遊びの時間の延長。理学療法士の方も明るく優しい方で、母子ともに喜んで通った。立って歩けるようになったのは一歳七ヶ月頃だったと思う。それからは一年に一度受診し、経過を診てもらっている。不安を感じる場面が多く相変わらず手はかかるのだが、確実に成長している。

先日もその一年ぶりの受診の日。センターに着くと知った顔とばったり会ってしまった。それは同じ学校のママさんだった。お互い驚いて声が出ない。当日は受診もあったのでドタバタと「またねー!」みたいな感じで別れたが、後日ゆっくり話した。重度の障害がある人に比べればごく普通の生活をしているけれど、社会の「普通」とは少し違う生き方をしている我々。子どもたちがその個性をつぶすことなく、社会とうまくやっていけるコツを、ゆっくりでいいから身につけることができますように。