文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

壇の上と下

※完成して投稿したら、下書き保存したときの古いものが投稿されてしまうというハプニングがあり、新規に書き直して投稿しています。また別に保存し忘れた。。もうはてなアプリで書かないようにしなきゃ。と思いながら書いてしまうのです。いつも。

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このブログを始めて二投稿目から毎日休まず続けてきて約二ヶ月、初めて一日休んでみた。もともと無理しないつもりでブログを始めて、あっさり500文字前後で終わる日などありながら(そしてそういう短文の方がアクセス数が多い)続けてきた。発熱した日も書いたというのに、何だか昨日は書く気持ちにならなかったのだ。一人になるタイミングが少なかったのもある。

昨日は学校関連の行事で講演会のようなものに参加した。講演会は当たり外れがあるが、この日は外れ。内容がありふれたものであっても話し方次第で楽しめるものだが、昨日は話もあまり上手でない人だった。どんなに実績があっても、講演の構成や話し方の技術が伴わないと面白みがない(この場合の「面白み」はもちろんfunじゃなくinterestingの方)。

実際人の前で何かをするとなると、いま自分が受け身で感じている以上に気を配ることがたくさんあるのだろう。それは教育実習をしたときにも感じたし、運動会のアナウンスをしたり友達の結婚式の司会をしたときにも感じた。

そういえば昔、学校の先生が授業中に余談を始めた。「このあいだ学校に講演に来た人、自分が話し方教室に通ったときに同じく生徒だった人なんだよ」と言い始めた先生。講演をする人も学校の先生も、みんなの前で話すにあたってお教室に通うのだな、と思うと微笑ましかった。

講演に登壇するときの「壇」と教壇の「壇」はおそらく同じ意味だろう。あの壇ひとつで感じ方が違いストレスがかかる。聴衆からの視線と期待。「壇」の意味を詳しく調べたら、神事を行う祭壇としての「壇」が出て来た。ただ一段違うだけではない、神がかった何かがあるような気がした。