あの家の子ども

電車に乗っていると親から電話がかかってきた。iPhoneに表示される「現在電話に出られません」のボタンを押し、さらに親の携帯メールアドレス宛に「電車に乗っていますので用事があればメールでお願いします」と送る。すぐに返事が返ってきた。「おばあさんの認知症が進んでいます。また連絡します」どうやら暇つぶしと愚痴の電話だったようだ。

子どもが学校から戻っておやつを食べているタイミングで再度親から電話がかかってきた。挨拶も早々に、待ちきれないとばかりに話し始めた。

「おばあさんが昨日の夜中、使用前の紙おむつを食べて喉がつまりそうになってた」
「それはだいぶ進んだね。早く施設に入れればいいのに」
しかし親は祖母の介護をすることで収入を得ている。祖母の介護のために仕事を辞めて十年が経過していた。施設に入れば収入もなくなるし頑張って介護する、というのが親の一応の介護理由だった。

「施設に入りたくても申し込んで一年以上待たないといけないのよ」
「だからもっと前から、早く申し込めって言ってたじゃん。昔から『私は施設に入ろうか悩んでいる。身体障害者だからいつでも入れるのにお前たちのために入らずにいる』って私を脅していたのにね、本当は自分が寂しくて入りたくないだけだったのにね」
「もうそんなこといいじゃない、あの人は若い頃から病気でかわいそうな人なんだから……」
親は「ダメ男をかばう女」のような口ぶりをした。実際ダメ男ポジションである祖母が私をいじめても、親はそれを祖母の背後で見ていた。止めもせずに。

 

「家にずっと子どもがいるというだけで体がしんどい」という祖母の主張で、幼い頃の長期休暇はずっと父の実家に住んでいた。夏休み中にある水泳大会の練習で登校しなければならない時期も、親が手続きし許可証が発行され、父実家の校区にある小学校のプールで泳いでいた。

父実家には父方の祖父母が住んでいた。農業で細々と暮らす夫婦の家。昼は農作業で出かけているので、私ときょうだいは普段味わえない自由な日々を謳歌していた。いつもなら朝から掃除洗濯草取り、と労働の日々なのだ。お茶の時間に祖父母が帰ってくる。縁側に折りたたみテーブルを持って行きお菓子とお茶を並べるのが楽しみだった。

ある日、会話の中で「そういえばうちの家にあるあの〇〇がさ…」と私が話した。「うちの家」とは、父の実家ではなく普段住んでいる家のことを指していた。祖父がしみじみと「あの家の子になってしまったのう」と言った。私はそんなことないよ、と慌てた。ずっと父実家の名字のままで過ごしていたし、あの家の子どもだと思ったことはない。たまたま「うち」があの家だっただけ。

だけど祖父母の家に永住はできなかった。祖父母の収入だけで私を養えるとは思えなかった。そして祖父母たちも三日位で徐々に私たちに飽きてくる。家族というのは、多少縛られ離れられなくなっている方が成立するのかもしれない。血縁はその縛りのひとつだろうか。振り返りながらそんなことを考えた。