筆記体の練習

そのとき通っていた学校は小高い丘の上にあった。登校するのは山登りと同じで、五月あたりから徐々に暑さが増し、朝は汗をぬぐいながら歩く。その横をタクシーが通り過ぎる。「わー、〇〇先生タクシーで来たよ」「ずるいずるい」「私たちも乗せて」山登りで疲れていながらも、若い学生にはそうやって騒ぐ元気がまだ残っていた。

英語を学ぶために入学したその学校は、他の学校に比べ圧倒的に学費が安かった。偏差値や進路実績も悪くなく、それが「一刻も早く自立したい」と考える私にちょうどよかった。四年制大学に通うものと思って生きてきた私はほとんど準備をせぬまま推薦入試で合格。バイト三昧の春休みを過ごし入学したところで、それが失敗だったことに気づく。他の学生はみんな「英語の発音が完璧」だったのだ。私は学年で六つに分かれるクラス編成の中で下から二番目に振り分けられた。

ある日、英作文の授業後にノートを先生に提出することになった。翌週の授業後、担当のおばあさん先生はため息まじりにこう言った。「あなたがた、筆記体というものをご存知でないの?」

ああ、筆記体。中学入学時の「初めての英語」で習いましたねぇ。英語用の罫線のついたノートに一生懸命書いた記憶がありますよ。「あのときだけだよね」「普段使わないよね」と学生たちがざわざわしていると、おばあさん先生は厳しい顔で「英語の道に進んでおいて、筆記体を使わないなんてナンセンスです!さあ、今日はみなさん筆記体の練習ですよ」

まさか今更アルファベットを書き綴る練習をすることになろうとは。小文字と大文字、それぞれをノートに書いていく。席を見回っていたおばあさん先生が、私の横で止まった。「なんですかそのAは!こんなAは正式なものではありません!」

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いや、このAはネイティブスピーカーが書いてたAなんですよ、私はこれで育ったんですよ、これで。「違います!いいから正しいものを書きなさい」

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筆記体は単純に続け字になれば良いというものではないらしい。日本で「行書」があるように、英語も筆記体という文化があるのだろう。カリグラフィーという言葉だって存在する。文化は違えど、追求する部分は共通していて面白い。

小規模な学校だったものだから、おばあさん先生はあらゆる科目を受け持っていた。私はこのおばあさん先生が気に入り、この人のゼミに入ることにした。研究内容よりも人で選んだのだ。私が卒業を半年延期し一人だけの卒業式を行った時も来てくれた。「やっと卒業ですね」とため息をつかれながらも。

学校を卒業してから筆記体を使う機会は無くなった。署名の時だけは使ってみようかな、と思いながらもそんな署名をすることはなかなか無かった。しかし、一度だけあったのだ。それは自分が結婚するとき。「結婚証明書」にサインをする瞬間だった。教会で用意されていたのは英語の証明書。神父様はもう英語でサインをしている。夫はどうするのだろうか?と思い見ていると、緊張からなのか全て大文字でサインしていた。もちろん筆記体ではなくブロック体。しょうがない、証明書にサインするくだりは練習していないし打ち合わせにも無かったのだから。私も緊張しながら筆記体でサインをする。あっ!

大文字のAを正しくないものにしてしまった。きっとあのおばあさん先生が見たら「正しくありません!」と言うだろう。まあしょうがない、私はこれで生きてきたんだ。これからもおそらく直ることはないだろう。