誰かを傷つけ続ける(追記二つ)

車椅子の人がLCCで搭乗拒否されてからの一連の流れをニュースやネットの記事で見た。LCCにも障害者の人にもそれぞれ落ち度や「こうすればよかったのに」と思われることが起こっていた。じゃあこれからはお互いそこを直して良くしていこうね、で終わるかと思いきや、障害者の人へのバッシングなどが起こり、なんだか微妙な展開になっている。私はあの障害者の人をかばう気にもかばわない気にもならない。どちらでもない。特に何も思わない。

ただ、障害者という言葉に関して少し敏感ではある。乙武さんが『五体不満足』を出版したことで「障害者=かわいそう、けなげな頑張り屋」というイメージは覆されたものだと思っていた。私の祖母のように、障害者でも性格が悪かったり誰かをいじめたりする人はいる。「24時間テレビ」に出てくるような感動系生き方をしている人ばかりではない。これはまだ世の中に浸透していないのだな、ということがよくわかった。

「『もっと健康な家系の人と結婚しなくていいのかしら』と結婚前に自分の母に言われた」と、かつて夫は言った。結婚した直後のことだっただろうか。私の父が早死・祖母が障害者だから、そう言われたようだ。ちなみに私の父の死因は過労死。祖母は治療を受ける中で障害を負った。それ以前に母や母の兄弟は生まれているので血縁上は障害と関係ない。さらに言うと、夫の父も病気で早くに亡くなっている。

当時も(そして今も)いつも優しく接してくれる夫の母が、本当はそう思っていたのだと知らされたことはショックだった。夫が心の中にとどめていてくれれば、とも思ったが、本当の気持ちがわかってよかった。同時に、人間は気づかないうちに簡単に誰かを傷つける生き物だと再確認した。夫の母はナチュラルに息子の健康が心配なだけで、私を傷つけようとかそんなことは思っていないのだろう。夫も「母親に自分の健康を心配されている」という話をしようとして、私を否定しようと思ったわけではない様子だった。私は充分に傷ついたが。

最近のニュースの、何か間違ったことをした人への必要以上の論破やバッシング・迷惑行為はそれに近いのかもしれない。悪いことやルール違反は罵倒されるに値し、どんな制裁を受けても当然だとされているように(少なくとも私は)感じてしまう。それは「あんなやつ、傷つけてやる!」と思う以上に「正しいことを正しいと言う、悪いことは悪いと言う」という気持ちが強いのだろう。

そういう私も、知らぬ間に誰かを傷つけ続けている可能性は充分にあるのだ。

 

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追記

だから私は相手が多少間違っていて、意見の食い違いがあったとしても、それはそれと思うことが多い。なんというか、みんながみんな同じ意見なわけはないし、違いを認めあうことも大切なのではないかと思う。だから夫や夫の母からそういうことを言われても「それはそれ」と思う。実際、私は夫にあの言葉を言われたとき「遺憾の意」をちゃんと表した。

必要以上の論破やバッシングの中には、人格の徹底的な否定までもある気がする。本当に「この人とは合わない、つきあえない、これ以上一緒にいると生活がおかしくなる」となれば、ひっそりとその関係を終わらせるだけだ。実際、そうやって離れた友人もいる。もし、単にニュースを見ての「論破やバッシング」ならば、普通に批判をして、それなりの適切な行動をすればいいだけだと思う。

また、これは私の個人的な意見であり、他にふさわしい意見があることも考えられる。これが世の中のあるべき姿である、などと断定はしない。

追記2

「もっと健康な家系の人と結婚しなくていいのかしら」と言われたことに関してショックを受けた私だが、そのショックとは「健康な家系」という考え方を肯定するものではない。「血縁上障害者がいたらそのように言われるものだ」などと思っていないし、人道上そうすべきではないという考えを私は持っている。ショックを受けたのは「陰でそのように思われていた、さらにそれを伝えられた」ということと、障害について間違った解釈をされていたことである。

さらに言えば、その後私の親族には障害者が誕生した(我が子のgifted的な話とは別)。これもまた遺伝とは関係ない誰にでも起こりうる障害だ。このことに関してもいろいろあり、文章にまとめる気持ちにはなれない。ひとつわかったのは「このようなことが起こった場合、他人よりも身内が容赦なく酷いことを言う」ということだ。