キャンピングカーの夢

幼い頃はずっと「早く大人になって家を飛び出しどこへでも自分の好きなところへ行きたい」と願っていた。そのためには経済力が必要なことも理解していた。ただやみくもに飛び出しても無駄だ。そして住む家や移動の足を確保しなければならない。

同時に「自分の部屋」にも憧れを持っていた。そのときは個人の部屋はなく、母ときょうだいが同じ部屋で生活していたし、子ども時代にはおそらくみんな「理想の部屋」や「理想の家」を夢想したり描いたりしていたのではないかと思う。

それを叶えてくれるのはキャンピングカーだな、と私は考えていた。もういっそのこと、キャンピングカーで暮らせばいいじゃないかとさえ思った。それからもう少し成長して、高校生のときに目撃したミゼットという車にも感銘を受けた。あの後ろ部分に荷物を詰め込んだら一人で生きていけるかも……なんて、コンビニに停まっている車を見つめながら考えた。

話を幼少時に戻す。小学校低学年あたりだっただろうか、友達の家に遊びに行ったときのことだ。リビングでおやつをご馳走になった。その日は平日。シフト勤務のお父さんが家におり、みんなでこたつに入りお菓子やみかんを食べていた。私は父親が死んで居ないぶん、友達のお父さんは不思議な存在だった。家庭でどんな話をしているんだろう、お父さんというのは家でどういうポジションなのかな?なんて疑問に思っていた。

するとお父さんが急に「キャンピングカーに憧れる、キャンピングカーが欲しい」と言い出した。私は「ここに仲間がいた!」と感動し、同意した。「いいですよね、私も憧れます」「そうだろう?でも、高いんだよなあ」「だったら、家を売ってそのお金でキャンピングカーを買って住むというのはどうですか?そうしたらキャンピングカー買えますよね。お風呂や車を置くスペースは別に作っておいて」と私は提案した。お父さんは大爆笑し、身をよじらせながら「ええ?家売っちゃうの!?」と声をあげた。幼い私は「あれ?そういうのはダメなのか?」とキョトンとした顔をしていたのではないかと思う。お父さんは笑いをなんとか鎮めたあと「いやー、家は売れないなあ」と言った。

それから二十年は経過し、大人になって、そのお父さんが亡くなったと聞いた。友達は「お父さんと(私)ちゃんの話になるたび、あのキャンピングカーの話になってたよ。あれはお父さんにとってそうとうインパクトのある話だったみたい」と笑いながら教えてくれた。

キャンピングカーはあくまでも「おまけ」で、クルーザーや車のように家ありきのもの、というのが一般的な考え方のようだ。しかし大人になった今も、私はちょっとだけ憧れている。夫や娘にもこの話をしたところやはりウケがよく、それいいねというリアクションだった。ガレージが大きめの家で、風呂やトイレがあって、あとはキャンピングカーで過ごす。災害時はそこからキャンピングカーで移動すればいいし、キャンプもそのままいける。どうだ、なかなかいいだろう。

でも、現実的かと言われたら……やっぱり非現実的だろうか。エコノミー症候群やベッドの硬さとか、そもそもの狭さとか。そこら辺をクリアした面白い家、多少需要があるんじゃないかと思っているのだがなあ……。