「話を聞いてほしい」人たちの行動

そのとき乗った電車は混んでいて、かろうじて空いていた席に子どもを座らせ私はその前に立った。その直後、背後で老人男性が尋常ではない大きな声で話しているのに気づいた。「もしかして変な人かもしれない」と思ったが、こちらには害がなさそうな様子だったのでそのままそこを動かなかった。

電車が走りだす。老人男性の声はより大きくなった。聞きたくもないのに話が耳に入ってきてしまう。どうやら老人は隣に座った人に話しかけているようだったが、その人のリアクションは一切聞こえてこなかった。どことなく車両全体も重い空気である。大声の老人以外はみんなうつむき静かにしている。電車のガタンゴトンと動く音、そして車内アナウンスだけがいつも通りだった。

やがて老人が言ってはいけない一言を口に出した。公共の場所では言うべきでない性交渉を匂わせるワード。子どもに聞かせるのはマズい。「あれ何て意味?」と聞かれても、子どもは説明を理解出来る年齢ではない。私はそのとき図書館帰りで、児童向けの本も借りていたので慌てて一冊取り出して子どもに渡した。子どもは喜んで読み始める。よし、これで子どもは老人の声を気にすることはあるまい。

老人は女性との性交渉を嬉々として語る。何度も繰り返し同じ話をし満足したところで、今度はその相手女性の借金問題について話し始めた。自分が借金をやめさせたんだ、と誇らしげな様子。そうこうしているうちにやっと電車がターミナル駅に着いた。老人が降りないようなら自分たちが一旦降りようか、と思っていたところ、老人は「いやー、話を聞いてくれてありがとう」と隣の人に言い席を立つ。振り返ると、隣の人も老人と同じ世代の男性だった。男性は何もリアクションを示さなかった。

車内は一気に通常の状態に戻った。今乗り込んできた人は、さっきまでここが重苦しい空気に包まれていたことを知ることはないだろう。子どもも本に夢中なままだ。

前にもこんなことがあった。そのときは私一人が電車に乗っていた。着席せずドア横の壁にもたれていた女性が大きな声で電話をしていた。聞きたくもないのに大きすぎて聞こえてくるあの声、ただの非常識な女性だったらいいけれど、よりにもよって「風俗業での相手男性あるある」を笑いながら語り始めたのである。割と他者の下ネタには耐性のある私だったが、あまりの生々しい描写に吐き気を催し次の駅で下車した。まさか話術が体調に影響を及ぼすとは。ある意味彼女のリアリティには完全降伏だ。昔、学校で強制的に見せられた「七三一部隊」の残虐シーンよりも辛かった。下ネタは笑えるものでなければならない。私は『クレヨンしんちゃん』の偉大さを思い知った。

あの老人男性といい電話女性といい、逃げようのない公共交通機関の車両内で公序良俗にふさわしくない発言をするのはどういうことなのだろう。老人が最後にその気配を匂わせていたように、誰にも相手にしてもらえないから・誰かに聞いて欲しくてそうなってしまったのだろうか。公に自分をさらけ出したい、そんな精神的露出狂の人々なのだろうか。そんなに聞いてほしいのならブログでもやったらいかがですか、楽しいですよ。

社会に現れるこんな迷惑行為に及ぶ人々の話や悲しみを、それに遭遇した人がうっかりながらも拾ってしまっている。そしてあの老人や女性がスッキリとしてしまっている。不本意だけど、そうやって社会は回ってる。私たちはただ生きているだけじゃなくて、社会にちょっと貢献してるんじゃないか、とさえ思う。

でもやっぱりああいう行為は良いものではないし、自分がそういう人間になるのは嫌だ。というわけでやっぱりブログはいいものですね、というオチになる。