日常すぎる風景

帰省は一泊と決めていた。夜に他者の気配がすると眠れないと祖母が不満を言うからである。帰省すれば自宅以上に家事労働が待っているし(サマーウォーズばりに人間が居る家なのだ)、夫が盆休みもなく働いている時に妻子が不在なのも気が引けた。

幸いなことに、翌日は祖母がデイサービスに行く予定になっていた。いざその時が来ると、祖母は行きたくないとゴネた。デイサービス老人が居る家庭ではもはや風物詩、日常の風景だ。病気と老化が進んでいるのに意外と力は強く、車内に乗り込む際も頑なに車椅子の肘掛を握りしめている。中学生のころ、私が熱で37度あったときも「かつて自分は38度でも働いていた、だから37度は熱ではない」と祖母に言われ無理やり登校し、倒れて早退したことを思い出す。いいなぁ、ボケたらそんなこと忘れて自分の欲求に忠実で。

なんとか車に乗り込んだ祖母をみんなで見送り、私は掃除機をかける。近所の友人が子どもを連れて立ち寄ることになっていたのだ。掃除機をかけながら、私は友人に「きょうだいの子の障害」を事前に言うべきか悩んでいた。私のきょうだいの子どもは見るからにわかりやすい障害がある。もしかしたら友人の子どもたちは驚いてしまうかもしれない。普段家族でしか会うことがなく、なにも事情を知らない人と共に過ごすことがなかったから、どうすべきかよくわからなかった。

結局「まぁ事前に言うのも何だか面倒だし、見ればわかるからもういいや」と、そのままにして友人たちを出迎えた。きょうだいにも親にも友人たちが来ることは伝えたが、障害の話はしなかった。そのことを言ってくる人もいなかった。

友人がやってきて、我が子と友人の子どもたちは一瞬にしてワイワイ遊び始める。何度か会っているので慣れたものだ。私はお茶の用意などでドタバタと行ったり来たりしていた。その間に友人と私の親、きょうだい、きょうだいの子、みんなで楽しく話をしていたようだ。あまりにも普通に過ごしてしまった。でも、そんなものなのかもしれない。これが我々の「普通」で、それを友人たちも判ってくれたのではないかと思う。

思いがけず昼食も一緒にとり(夏は素麺があってよかった、すぐ出せた!)、夕方私たちが帰る直前まで共に時間を過ごした。別れを惜しみ子どもたちは泣き、我々親たちは「また会えるから」となだめて田舎を後にした。帰宅し落ち着いてから友人にこの日の写真をLINEで送る。と同時に「きょうだいの子のこと、何も説明してなくて、もし驚かせたらごめん」と書いた。友人は「驚かなかったわけじゃないけど、〇〇さん(私)たちにとって日常なのがよくわかった、伝わった」と返事をくれた。