文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

私がテレビを買った理由

ダイアナ元妃が亡くなったのを知ったのは、一週間ほど経った頃のことだ。高校三年生の二学期が始まり、クラスメイトが「ダイアナさんのニュースばかりで…」と語り出したことがきっかけだ。「どういうこと?ダイアナさん死んだの?なんで?」慌てる私にポカンとする友人たち。テレビや新聞ではこの一週間ずっとその話題だったのに、なぜこの人はそれを知らないのだろうという顔だ。私は机に顔を伏せながら言った。「テレビ買うわ…」

私はその直前の夏休み、幼い頃に住み始めた親族の家を出た。祖母との折り合いの悪さは決定的だった。長年の疲労が溜まっていたのが、自分も覚えていないようないつもの口論で崩れた。私はとっさに隣室の台所に行きナイフを持った。死ねばこの苦しみから解放される、目の前で死ぬのを見せつけてやろうと私は思った。思いの外悩むことはなかった。私はナイフを勢い良く……

やめて、と母親に言われ、振り上げたナイフは簡単に奪われてしまった。勢い良いつもりが手は震えていたのかもしれない、今はもうその記憶もないけれど。ただ、その瞬間に私は我に返った。やばい、ここまで私は追い詰められている。早くここから逃げよう。ちょうど祖母が威勢良く「出て行け」と言う声が聞こえた。やった!「そうします」と返事をし、行動に移した。

高校には奨学金で通っていた。それを引き出さず幾らか溜まっていたので、それを利用して一人暮らしします、と母親に言った。通っている高校も程よく田舎で不動産屋が判らず、役場に電話をすると「〇〇商会」というような仲介業者を紹介された。そこでさらに紹介を受けたのは、高校の女子下宿に程近いアパートだった。ここなら高校への通学も便利だ。

女子下宿に入らなかったのは、あと数ヶ月しかないので今さらその輪の中に入りづらいと思ったからだ。費用もそこまで変わらないし、どちらにしても高校を出たら一人暮らしすることになる。早めに家財道具を揃えるだけだ。

必要最低限のものを揃えたため、テレビは買わなかった。新聞もない。ラジオはあったが、ハマっていた中学時代に比べ聴く機会は減っていた。なにも情報が入らない生活はシンプルだった。ご飯を適当につくり、風呂に入り、洗濯をして寝る。困ることはなにもないと思っていたところにダイアナ元妃の死去。情報はそこそこ手に入れた方が良いと自覚した。

週末、様子を見に来た母親に「ダイアナさんが死んだのを知らなくて。申し訳ないんだけどテレビ買ってもらえませんか」とお願いした。まだネットが一般的でない時代の話だ。今だったらテレビが無くても生きていけるのかもしれない。二十年経ったいま、追悼のニュースを家族とテレビで見た。