アカウントの人格

「leftright/わたのはらさゆ」名義で文学フリマ東京の進捗・宣伝を書いていたけど、先日自分がひっそりと続けているTwitterの鍵付きアカウントで「これ私です」と今回の告知を引用リツイートした。旧知の人々に自分の筆名を晒すのは本当に恥ずかしいけど、これを乗り越えないといけない。

Twitterを始めたのはベータ版として日本で公開されたころ、たしか2007年春のことだ。古参ぶって申し訳ないけれど、それだけ長くやっているので愛着がある。独身の頃で、まだ「@」で会話する概念も無かった。私の最初の友達は「酢鶏」だった。一人旅をするときも、結婚したときも、出産のときもTwitterは近くにあった。育児に疲労困憊したとき、タイムラインに流れる何気ない笑いに助けられた。いつもというわけではなく時折、人々とやりとりする。その程よく傍に・程よく離れた交流に、心が暖かくなる日々。

leftright名義でTwitterをやったほうがいいな、と思って始めたけれど、ずっと書いていたアカウントを消すことは考えられなかった。かといって鍵付きアカウントの鍵を開きleftright名義に変更することも違うと思った。「鍵付きアカウントの自分」と「leftright/わたのはらさゆの自分」はべつべつに存在して、どれも自分自身なのだった。それぞれのアカウントがそれぞれの人格を持っている感じ。そしてそれらを持つ私。だったら二重人格なのか?いや、決してそういうわけではない。この感覚はデジタルでしか味わえないことかもしれない。