文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

聞いてもらって構わない

日本で起こった災害のことを、たまに忘れることがある。

私が独身の頃に親族とルームシェアしていた家があった場所も、数年前災害に見舞われた。朝テレビをつけて「ああ、私の家があったところもう終わってしまったわ」と呆然としたこと、いまは時々忘れてしまってる。

幸い私の家があったところは早々に復興したけど、被害が大きかった他の場所は今も完全に復旧したとは言い難い。だけど時々忘れてしまう。日々の生活にかまけて忘れてしまう。

関西人の友達と話をしているとき、流れで地震の話になって、「こういう話、するの嫌?」と聞いたことがある。いや全然構わんで、と返ってきた。この感じ、どこかで経験あるなと思ったら、私が父親のことを聞かれたときと同じだと気づいた。「お父さんどんな人なの?」「ああ、早くに死んだから覚えてないのよね」「ご、ごめん!」「いや、別に大丈夫だから!」というやり取り。

別に聞いてもらって構わない、謝る必要など何もない。私はきっと言うだろう、「保護者の名前を書く欄にどっちの親の名前書いたらいいか悩んだことがない」「記憶になくても夜中にふと鏡を見たら、写真で見る父親そっくりの顔があらわれてショックだったわ」などのネタの数々を。

まだ復旧しない場所があるという点でも、災害などがこれからもいろんな場所で起こり得るという点でも、やはり時々思い出すほうがいい。災害も辛い出来事も、その人を構成するもののひとつだから、触れていい。

躊躇する人は「もし相手の傷がまだ癒えてなかったら?」と怯える気持ちもあるのだろう。まだ現在進行形の人はたくさんいる。もし相手のそんな様子に気づいたら、黙って側にいたり、して欲しいことを尋ねたり、状況に応じて相手の話を聞いてあげたらいいだけのことさ。