文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

『さよなら遊園地』

形あるものがいつか壊れるように、閉店や閉校はいつか訪れるものだ。現に私の経歴のなかで学校が一つなくなっている。勤めた会社の支店も閉じられてしまった。会社自体は存続しているけど、大々的なお知らせは無くひっそりと「事業所案内」のページからその名前だけが消されていた。

今朝Twitterを眺めていると「本のタイトル募集!」の広告ツイートを見つけた。以前もここに取り上げたことがあるし、最近このような読者参加型の企画が増えてきた。Twitterが宣伝で大きな役目を果たしているのもあるだろう。

さっそく今回も試し読みをしてみようと思ったところ、目次の欄に思いっきり『さよなら遊園地』と書かれていた。仮タイトルだろうか。それにしてもそのまますぎる。先日も『さよなら、田中さん』が話題になっていたし、同じようなタイトルは避けたのだろうか。

『さよなら遊園地』といえば、北九州のスペースワールド閉園が記憶に新しい。西日本に住む人は遊びに行ったことがある人も居るのではないだろうか。私も一度だけ行ったことがある。

閉園間際の盛り上がりが想像できないほど、私の行ったスペースワールドは荒廃しきっていた。もう18年以上前の話だ。その頃を思うと、よくぞこの18年閉園せずに済んだな、と思う。ところどころにひび割れやサビのあるアトラクション。人が少なくすぐに入れるのはある意味ラッキーだった。直角に落下するようなジェットコースターに乗る羽目になり恐ろしさに顔が変形する思いだった。

夜になると、暗くなったおかげでそのような施設の荒れっぷりが気にならない。夜景にうっとりする気持ちや工場萌えに似た感覚。私の置かれていた状況や悩みや日常もそのときだけは見えなくなった。遊園地は夜に行くべきものだ。味をしめた私は、岡山県倉敷市チボリ公園という遊園地にも行った。こちらは比較的新しかったが、人はやはり少なかった。観覧車に乗って夜景を眺め、閉園時間が来て名残惜しい気持ちいっぱいに帰る。その悲しさもまた特別な時間の演出なのだった。

そういえば「おでかけ」に関して遊園地の話を聞くことが殆ど無い。ディズニーやユニバーサルスタジオは別格、ずっと変わらず人気だけれど、いわゆる「遊園地」の存在が薄い。百貨店の屋上遊園地は閉鎖の話題が圧倒的に多い。ショッピングモール全盛の昨今、日本は遊園地自体に「さよなら」するしかないのだろうか。実際、スペースワールドだけでなくチボリ公園ももうこの世の中には存在していない。チボリ公園はアウトレットパークになってしまった。

 

追記
その後はてなキーワードを眺めていると、チボリ公園についてずっと細かく論じられた文章を発見いたしました。「地方」を語るときに外せないのは、山内マリコさんのこの世界。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)