文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

交換日記

着信音とともにスマホの画面に一人暮らしの祖母の名が現れたとき、先日祖母に贈り物をしたお礼の電話であることは察しがついた。電話に出ると案の定その件を二度繰り返し「気を遣わなくていいのに」などと言われた。元々は祖母のたっぷりとした贈り物が申し訳なく、その一部をお返ししたようなかたち。「いやいや、せっかくだから貰ってよ」なんて言っていると、祖母が思い出したように次の話題に繋げた。

「今ね、○○ちゃんがウチに住み始めたのよ」

急な展開に私は戸惑ったが、祖母の話を聞きながら状況を整理する。どうやら私もよく知る親戚の子(20代)が祖母宅付近に一定期間勤務することになり、家が決まるまでしばらくの間共に暮らすというのである。早速親戚の子は仕事で帰りが遅く、祖母は待つのにくたびれ私への電話となったのだろう。

私が祖母の家に泊まったのは高校時代が最後。それからは日帰りばかり。他の親族が泊まったことはあったけれどそれも最高で1週間といったところだろうか。祖母の口ぶりでは少なくとも1ヶ月は居る雰囲気だった。祖母は「お隣さんは『この集落からあそこ(勤務先)ぐらいまで通勤する人なんかいっぱいいるよ。もう住んだら良いじゃないか』とまで言うんだよ」と言って笑っているが、果たして……。

そこへ張本人である親戚が帰ってきた。電話をかわろう、と言われ親戚と話す。これもまた親族の冠婚葬祭以来のことであった。ひと通り「お疲れ様」などとねぎらう。「おばあちゃんと一緒だと大変なこともあると思うけど頑張ってね」と言うと、親戚は「うん、もう既に大変。おばあちゃん、言ったこと全然覚えてないんだもん」と溜息をついている。方言に染まっていない話しぶりを耳にしながら、親族が都会っ子であることも思い出した。果たしてこの子に老人の相手が務まるだろうか。日中は仕事に行くとはいえ、なかなかハードである。

「紙に書いておいたほうがいいよ。絶対忘れるから」と答えながら、ふと「それ専用のノートを作ったら良いんじゃないか」「老人と若者の交換日記」「世代間のギャップを埋める何か」みたいな構想がモワモワと頭に浮かんだ。だれか小説化してください、と思いながらも、これって既に瀬戸内寂聴さんと秘書のまなほさんがやってるわ(彼女たちは本当の気持を伝えたいときなどに手紙を書きあうと言っていた)。

そしてきっと、若者は祖母の字が読めないだろう。実際、我が子も祖母から貰った手紙を読んで「『く』って何?」と聞くほどだ。く、それは同じ言葉を繰り返すときに用いる、いわゆる「くの字点」のこと。親族はどこまで祖母と向き合うのか。ここに書くのはプライバシーのこともあるので控えることになろうが、ゆっくり見守りたい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/踊り字#〱(くの字点)

↓祖母宅におしかけた、高校時代の夏休みの話↓

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