文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

何も無かった!

子どもが学校に行っている時間、友人と会って来た。友人が「〇〇(私)のお子様にも会いたいけど、子どもにはちょっと聞かせられない大人の打ち明け話がある」と言っていたからだ。

友人は私たちの出会った学校のことを「腰掛けOL養成所」と呼んだ。「どうせ卒業して働いて2、3年で寿退社する人ばっかりだもんね!」ちなみに友人はその通りの経歴を辿り、私はかなり長く腰掛け続けたのだが。

卒業して20年近くが経つと、連絡を取り続けている人など僅か。彼女とも1年に1〜2回連絡する程度。それでも、そのくらいの間隔がお互い無理なく良いのかもしれない。

彼女の打ち明け話はだいたい想像通りだった。ここに詳しく書くのは控える。だが、彼女はそのような人生の困難にぶち当たり、いったん全てを一時停止してアジアに旅に出たらしい。で?何か見つかったの?例えば〇〇川の流域で悟りを開くとか?

すると彼女は「それが!何にもないの!誰とも出会わなかった!インスピレーションすら無かった!商材と出会って商売の道がひらけるということもなくて!粗悪品見ただけよ!ただ数週間そこに居ただけよ!」と笑っていた。

私がかつてアジアで面白く充実した時間を過ごしたようなことが、みんなに起こるとは限らない。もしかしたら今の私がかつて訪れた山岳地帯の村に行っても、彼女の滞在した国に行っても、何も得るものは無いかもしれない。だけど「何も無かった」と笑えるなんて、なんかそれに意味がありそうじゃないか。実際ほんとうに、本当に何も無かったとしても。

彼女の打ち明け話自体は、旅のこととは何も関係がないという。打ち明け話も私の生き方と相反するものだった。しかし、私はそうやって試行錯誤して生きてる彼女を讃えたいなと思う。