文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

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我が子がIQテストを受けたのが去年の夏、もうすぐ1年だ。おかげさまで子どもは元気に学校へ通っている。今年度は「学校で他の子との違いが顕著に現れ先生から苦言を呈される」ということが全く無い。学校でパニックになったりすることはないの?と子どもに訊いても「あぁ、だいじょうぶだよ?」とのんびりした表情をしているのでおそらく本当だろう。参観日でもそのような雰囲気だ。周りとも楽しくやりとりしている。

私に似て運動の嫌いな子なので、案の定ひとりだけ出来なくて悔しい思いをするというシーンもあったようだが、それはIQの高さやギフテッドかどうかとは別問題、ただの運動音痴だ。しかし多少出来たほうが良いだろうと、帰宅後に親子で毎日特訓した。そのおかげか出来るようになり、随分自信がついたようだ。成功体験って大事だもんね。

勉学の方はというと、簡単すぎることには簡単すぎるが(まだ低学年なので多くの子どもがそうだろう)、それなりに楽しんでいるようだ。自宅ではさらにハイレベルな問題に取り組ませるなどして復習と刺激を与えている。小学生といえばその日習ったひらがなや漢字を宿題で必死に書きまくるというイメージがあったが、現代の子もやはりそのような感じだ。我が子は完璧主義者なので、見本通りに美しく書けないとかなり苛立っている。学校では泣くことはないが、家だと泣きながら何度も何度も直している。

そんな頑張りすぎなくてもいいんじゃね?と言いたくなるが、粘り強さを育成するためには良いのかもしれないと思いながら付き合う。ある日、用事もあったので気分転換にスタバへ連れて行きそこで宿題の字を書かせたら捗っている様子だった。小学生にもサードプレイスという考え方は有効なのかもしれない。

というように1年前の苦しみが嘘のように落ち着いてきたのだが、ここでまた別の、小さな小さな悩みも発生した。音楽教室のことである。子どもは1歳の頃からこの教室のグループレッスンに通っている。今年度からそれに加えて個人のピアノレッスンも開始した。この音楽教室ではある程度の年齢に達すると個人レッスンを追加することが出来るのだ。

最初はとりあえず月1回個人レッスンを、と思いそのようにしていたのだが、先生の「この子はもうちょっと増やしてあげたほうが良い、体力的にも全然だいじょうぶだから」という言葉で月2回に増やした。「ほんとうは月3回をすすめたい」とも仰ったが、それはまだちょっと家庭の話し合いが済んでないので、と返事をしたのだった。

通えば通うほど月謝はかかる。それはもちろん必要であれば払うけれど、いったい我が子の音楽にどれだけのお金をかけるべきなのだろうか。ある程度の線引も必要だろう。だってもし湯水のようにお金を使える家だったら、防音の部屋にグランドピアノを置いて、レッスンだけでなくクラシックコンサートなどにも通わせて、あらゆる発表会やコンクールに出場して…‥となるけれど、現実には不可能だもの。

一方で、我が子が夢中になれることにお金をかけてやることも大切だと思う。今なにかひとつのことに熱中する喜び、そして音楽を学ぶことで養われる精神力や感情、仲間との協調・切磋琢磨。決して無駄にはならないはずだ。本当のことを言うと、我が子には最初「個人レッスン月3回やりたい、出来るところまでピアノをしたい」と言われていた。「先々のことを考えるとそこまでお金かけられないから、とりあえず月1回で様子を見ようね」と言いくるめてしまった時のことを反省した。

というわけで私は単発のアルバイトに登録した。在宅のウェブ仕事には限界があるし、週1日くらいは働ける余裕が出てきた。毎週決まった日にちに、となると子どもの学校行事もあるし難しいのだけれど、単発だと気楽である。夏休みにも対応できる。早速一件決まったので今月内に働く予定だ。外で働くなんて何年ぶりだろうか。1日働けばレッスン月2回分くらいになる。音楽のことに限らず、あらゆる可能性を考えてコツコツ私も稼いでいかねば。

「この先行き不透明な世の中で、確実な投資なんて子どもの教育費くらいだよ」と言った人がいた。その言葉を聞いたときは私も若かったので「まあ、そうだよね。でも、そんな子がニートになったらどうすんの」くらいにしか思っていなかったけど、今は前よりもわかる気がする。失敗とか成功とかいうことじゃないのだろう。そして私はおそらく近い内に個人レッスンの回数を月3回に変更するだろう。