文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

美人が老いるとき

このブログには時折、自分の子ども時代の苦しかった出来事を書いている。昨日書いた記事のように、その話にはよく「私をいじめていた担任」が出てくる。私をいじめた祖母といじめた担任、彼女たちが当時の苦しさの原因のツートップだった。

祖母は血縁関係にあるのでその後の人生でもちょこちょこと登場し私を苦しめているのだが、担任のほうは小学校までの話。と思いたいところだが、残念ながら中学3年のとき、そして大人になってからも一度だけ会うことを避けられない場面があった。

その先生は3年間私の担任だった。つまり小学校生活の半分をこの先生と共にする羽目になったのである。そこそこ若く、そして恐ろしく美しい先生であった。あの先生以上に美しい人間を私は見たことがない。透き通った肌、長い髪、大きな目、全てにおいて整った顔。

以後、自薦他薦を問わず美人とされる人を見てきたけれど、すべて可愛らしさが備わった部分的な美人で、美しさにも「ぬるさ」や「油断」があった。あの担任にぬるさや油断はない。ただただ冷たく完璧な美しさであった。私が内面を知っているからそう感じたのだろうか?いや、我が家に家庭訪問に来たときに居合わせた親族や、写真を見た他校の友人たちのリアクションを考えると間違っていないはずだ。

同級生たちはその美人先生を慕っていた。厳しいときもあるけれどあの先生のクラスになりたいとみんなが言っていた。だから私は自分が「あの先生が苦手」という気持ちを持っていることが間違いなのではと思ったりもした。他人を否定するのも良くないことだ、というのは小学生ながら感じていた。

一方で「あの先生はちょっとやり過ぎる」という声も聞いた。実母ですら「あんまり好きではない」と言っていたり、同じように担任にいじめられている子の親がポロリとつぶやいたのも聞いたことがある。まだ「先生の言うことは絶対」という時代だったし、親もそこまで学校教育に踏み込むことはなかった。田舎の純朴な子どもを統率することくらい先生には簡単なことだっただろう。

そんな担任がいるような田舎の学校を離れ他の町の中学に通い、学校の先生と普通に接する日々を送る私のもとに、友人女子たちから連絡が入った。あの担任の先生のところに中学の卒業旅行に行こうというのである。

あの担任はいつの間にか県内の大きな街に転勤となっていた。担任の自宅に泊めさせてもらって2泊3日の旅行をする計画らしい。担任のOKは出ているとのこと。誘われて私は悩んだ。みんなと旅行はしたい、けれどあの担任の家に泊まるなんてなかなか辛いものがある。

もうひとりの「担任にいじめられていた友人」は早々に行かないことを決めていた。私もそうしたい、けれど友人たちと旅がしたい。学校が離れた友人と旅をするなんてもう二度と無いだろう。しかも春休み、祖母のいる家に居なくていいなんて最高じゃないか。私は旅行に参加した。

担任は駅にみんなを迎えに来てくれた。何も変わらない美しさだった。当時30代半ばと思うが、膝上ミニスカートにブーツを合わせ、田舎の人間には無い自信に満ち溢れた姿だった。

家にお邪魔してお茶を飲みながら「おじいさま亡くなったのね」と声をかけられた。どうやら地方紙の死亡欄で気づいたらしい。その頃我が家は同居親族に子どもが生まれており「赤ちゃん生まれたのも新聞で見たわ」と言われた。新聞の”我が家の赤ちゃん自慢”のようなコーナーに写真が載っていたのも、担任はチェック済みだった。名字と住所でバレバレだったのだ。私はすべてを見透かされたような、恥ずかしく悔しい気持ちになっていた。

晩御飯はみんなでハンバーグを作ろうぜとなり、買い出しに行った。支払おうとする担任を私はガードした。ここは払わなくちゃいけないよ、いくらなんでも多数の人間が手土産無しで来ちゃってるし、2泊もするし。そして何より、借りを作りたくなかった。泊まっておいて言うのもなんだけど。

2日めで、担任になにか問題が発生したようだった。冠婚葬祭的なことではないかと当時推測した。ドタバタしあまり詳しく聞けなかった。担任は我々にボウリングをセッティングしてくれて、そのまま深く話すようなことはなく帰途についた。生まれて初めて食べたCoCo壱番屋のクリームコロッケカレーが妙に美味しかったのは覚えている。

それからもう担任と会うことは二度と無いと思っていたのに。私は会社員何年目かで、友人たちは結婚ラッシュの時期を迎えていた。小学校の仲間の一人からも結婚式の招待を受けた。「実は、あの先生も呼ぼうと思っているんだ」と言われた。あの先生とは、あの担任である。え?どうして?と思ったら、彼女は学校教育に近い関係の仕事についており、うっかりあの担任と再会してしまったというのである。従って結婚式に呼ばないといけない雰囲気になってしまったらしい。

卒業旅行から約10年の月日が流れていた。困ったなあ、でも友人の結婚式は祝いたい。席が一緒だったらずっと気を遣ったり話したりしなくてはならないじゃないか。その雰囲気を友人は察知したのか、席次を見ると私といじめられていたもうひとりの子は別のテーブルになっていた。ありがとう友人よ。

披露宴の受付にあの担任がやってきた。少し猫背気味で髪にパサつきがあり、瞼も重たげな様子。確実にそこらの40代よりは美しいのだが、以前ほどの覇気は無くなっていた。受付に立つ私といじめられていた子を見て「もしかして…」と言うので名を名乗ると「ええっ!」と驚かれた。中学生から会社員への変遷は通常の10年とは違うからな。私が担任の変化に気づいたように、相手も変化に気づいたのだろう。

「おばあさまとおかあさまは元気?」と言われて泣きそうになった。もちろん感動ではなく、苦しかった思い出が蘇った。多少老いても、語り口はゆっくりでも、担任の視線は変わらず突き刺さるように感じられた。「今どんな仕事してるの?」と聞かれても、私は自分の話をするのが嫌で「○○関係の会社に勤めてます」とだけ言い、あとはきょうだいの進路を話してごまかした。

披露宴が終わり、担任と同じテーブルだった友人たちとも二次会で話す。「先生どうだった?」と聞いたら「いや、あんまり話してない」とみんな盛り上がっていない様子。みんなあの先生大好きだったじゃん?担任が変わるとき「変えないで」って校長先生に直訴してたじゃん?「いま思ったら、そんなに先生と話すネタないわ…」とみんなテンションが下がっている。

「そういえば先生、私達の学校のあと、どこかの学校で結構生徒にいじめられたらしいよ。なんか揉めたって噂聞いた」と話す友人も居た。それが本当のことかは分からないけど、あの先生のやり方はずっと上手く行っていたわけではない可能性は高いと思った。時代もどんどん変わっていくし、あんなやり方なら反発する人間もいるだろう。私も反発すればよかった。嫌なことは嫌と言う、たったそれだけのことに気づくまで随分時間がかかってしまった。

昨日の記事を書いて、担任の名前を検索するということを思いついた。すると、数年前の異動の記事が引っかかった。あの担任は役職につくことなく、現役教諭でいるようだ。さらに老いているであろう今、彼女はどんな教育をしているのだろう。