文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

一時停止ボタンを押すとき

お盆が近づいて婚家の行事をドタバタとこなす日々である。大雨関連での流通困難を警戒し出しそびれていたお中元も手配し、各所に届いているところ。

山岳地帯に連れて行ってくれた親族からもお礼の電話があった。私の実母は彼らと同じ敷地に暮らしている。私が母としばらく距離を置いていることを母から聞き及んでいるようだ。私をいじめた祖母が老人介護施設に完全入所し、母屋に母が一人でいると伝えてきた。「だから、また涼しくなったら、こっちにもいらっしゃいよ」と言ってくれる。ありがとうとは言ったけど行くことはないだろう。彼らは私が厳しく躾けられたことを知ってはいるが、虐待まがいの行為を受けていたことは知らない。

お中元は父方の祖母にも届いたようだ。「最近さらに耳が聞こえづらくなったので、うまく電話できないから手紙を送るよ。一方的な電話でごめんね、じゃあね」と言って電話は切れた。さらに同内容の電話が二回かかった。「帰るならウチにも寄ってね」とも言われたけど、帰らなくてごめん。でもきっとそのことを祖母は忘れるだろう。我が子の写真を入れた手紙を送ろう、と私は思った。

実母にも手紙だけは送った。それは温情でもなんでもなく、仕方のないことだった。最終的にLINEもブロックし、メールも迷惑フォルダに振り分けたから、向こうが手紙をよこして来た。二週間封を開けずに放置していたが、夫に促されやむなく読んだ。

中には私宛及び我が子宛の便箋と、一万円札が入っていた。私宛は、大雨の時に電話があった際、私の夫から聞いたことが確認のように書かれていた。我が子宛には「自分がいかに夏の暑さに苦しんでいるか」という愚痴のような手紙で、孫(=我が子)を思いやる様子は全くない自分勝手なものだ。

私は一万円札を送り返すことにした。全く連絡を取らない状況が非常に楽であること、しばらくそれを続けたいこと、そして一万円札は受け取りたくないことを記載して。あらゆる感情をも含めたく無かったから、真っ白な便箋と封筒で。これを機に調子に乗って一万円札がまた送られて来たらどうしよう。そのときは内容証明郵便を使って拒否の姿勢を訴えるしかない。

私を苦しめた祖母がやっとあの家からいなくなった。顔色を伺って生きてきたところから生まれて初めて自由になれた。もう過去に関する負の感情やおどろおどろしい気持ちを心の中に発生させたくない。共依存してきた祖母がそばにいなくなった母は、さらに私やきょうだいに依存するだろう。だから私は一時停止ボタンをしばらく押したままにしたい。嫌なことから逃げると思われるだろうか。40年近く我慢したんだからもういいだろう。逃げるは恥でも何でもない、生き延びる手段だよ。