文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

教える、を忘れないように

「とある指導員」というだけあって、新しい仕事は「誰かに何かを教える」仕事だ。いくつか実践し、「指導員を指導する人」に改善点など教わっている。

今回私は「ほとんど方向性はOK、だけどちょっと言い方がキツいかも。この箇所がダメだとか、こうすべきだとか、まるで講評のようになっている。指導なので相手に考えるヒントを与えてあげてほしい」と言われた。

確かに私は「これは不正解だ、ふさわしくない」などと、そのものズバリの言い方をしてしまっていた。ある意味、大学時代にレポートの講評を読んでいたイメージが抜けていないのかもしれない。しかし、私は指導をしているのだから、相手に「ここは間違っているからこう考えると答えに行き着くかもよ」と、希望を与える誘導をせねばならない。

また、答えを提示してしまうのも「教える」ことにはならない。それではただの答え合わせで、指導員が居なくても出来ること。先程書いたように、ヒントを与える必要があるのだ。そして本人自身にそれを考えさせなければ意味がない。

それは育児にも似ていることだ。小学生の母親ですよというツラを下げて日々過ごしているが、「子ども自身に考えさせる」という状況を常に作っているかと言われたら……やはり時折忙しさに負けて「はい違います、答えはコレ。早くして」などと言ってしまうこともある。

教えるということに大人も子どもも無いのだ。さらに言うならば、教育においても相手の立場や心境を考えるということは大切なのだ。「こんなとき相手にどんなことを言えば相手がどういう風に感じるか」意識することが物事をスムーズに動かす。

時に人は想像することを忘れてしまうから、いろんな意思疎通の不具合が起こる。さらには諍いにも発展することだってある。想像することで私たちはそれを回避できる。教えることにおいてもそれを忘れないようにしよう、教えるという行為の目的を、忘れないようにしよう。