文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作り始めました。

音楽を作り、届ける

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子どもの作曲発表会が終わった。

今回、自作曲を弾くという初の挑戦。個人レッスンで先生に見てもらっていたけど、家での弾き様を見る限り怪しい。心がこもっておらず弾くことに終始している。「タメ」も無くてアッサリした感じ。これはレッスンで学んだことを活かせていないのでは?と推測。通常、レッスンの際私は外で待機しているが、発表会直前は見学させてもらった。案の定懸念した部分を先生に指摘されている我が子。

私は弾く技術の視点から教えることはできないから、せめて間の取り方や心持ちを聴衆の立場から教えるしかない。帰宅し「もっとお客さんの心に届くように、ひとつひとつの音を丁寧に、たっぷりと」と説明する。みんなに届くようにと考えると、やはり「心をこめる」しかない。心をこめれば結果的に丁寧になるし、たっぷり弾くべき曲はそのようになる。

そこから集中して練習を積み重ね、当日の出発直前になんとか形になった。そして迎えた発表会。グループレッスン仲間と合流して気が紛れたのか、子どもはリラックスした状態でリハーサルへと向かっていった。あとはもう本人次第。

我が子の演奏は身内の贔屓目もあるが今までで一番の出来であった。多少惜しい部分もあったが本人のレベル以上の弾きっぷりを見せた。なにより、聴衆をちゃんと引き込むことができていた(はずだ)。

録画を見返すと聴衆の中にある一人の男性が確認できた。その人は当初うつむき加減であったが、途中からハッと我にかえりプログラムと我が子を数度見比べたのち、我が子の演奏に聴き入るような仕草をしていた。私はその男性の斜め後ろに座っていたから、その人が眠っていて目が覚め慌てて起きた…という訳ではないと知っている。我が子よ、きっとこの人には伝わったはずだよ。この人が仮に眠っていたとしても、起こすことが出来ている!

我が子がこの曲を作った日のことを私は忘れないだろう。三部形式の曲で、Aメロは出来たがBメロがまだ思いつかずにいたとき。家で寛いでいる休日の午後、突如我が子が「できた!」と言って鍵盤に向かったこと。そのメロディを聴いて私も「これ、いけるかもしれない」と思った。親バカながらそんなメロディだった。聴衆の男性がハッと我にかえったのもそのメロディの瞬間だった。

さらに、思いついたBメロを先生に披露し、前後の微調整や全体のバランスをみてもらって完成した日。レッスン後、出来上がった曲が書かれたノートをカバンにしまわず、このまま手に持って帰りたいと我が子は言う。そのまま先生にお礼を言って楽器店を出る。以前の投稿にも少しこのことを書いたけれど、そこで我が子は涙をぽろっと流しながら「ここで習ってよかった、ピアノやってよかった」とつぶやいた。

自分の頭に流れるメロディをひとつの作品にするということは、こんなにも素晴らしいことなのか。さらにそれを自分のものとし、聴衆に心をこめ届けるということの喜び。発表会をきっかけに更にやる気を出した我が子はいつもより自宅練習時間を増やし、引き続きピアノと共に修行の日々を歩んでいる。

よく「私は音楽が無いと死ぬんです」なんて言う人がいる。おそらく我が子は受け取った音楽を自分のなかで蘇らせたり、新たに音楽を創造していくから、音に飢えても何とかやっていけるだろう。音に飢えた人へもそれを届けてあげれば、なお良いこと。

これから先、人生や弾くことに挫折することがあっても、きっとそれを支えるのは我が子にとって音楽だという予測はついている。私はその環境をできる範囲で整えてやろう。