文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

表現活動は限られた人のものではない

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文学フリマ広島から数日が経った。過去2回の文学フリマ東京では「非日常の世界を楽しめて良かったな」という気分だったのだが、馴染みの場所での開催だったことから「日常と非日常が入り混じる面白さ」を感じた。

地元の友達や通信制大学の友達が来てくれたこと、そして今回初めて夫が創作活動の現場にやってきたことが大きい。 Twitterにも少し書いたけれど、彼の創作意欲にも火を点けたようだ。もっと早く創作活動をカミングアウトしておけばよかったかな、しかしこのタイミングだったから夫にも気軽に見てもらえたのだとも思う。全て、なるようになっている。

また「創作は限られた人のものではない」というのも今回再認識した。本を作って売るという行為は選ばれし作家と出版社の行うことだ……世間ではそういう認識の人が多いと思うが、文学フリマに出ると決めるまでは私もそう思ってきた。一般人は二次創作でコミケなどの同人誌販売をする程度だと。

しかし周囲を見回せば、短歌会のベテランさんの姿も目に入る。公民館でよく「俳句の会」「短歌の会」なんて見かけるけれど、そういえばその手の創作活動って昔からあったな。私が気づいていなかっただけだった。自分よりずっと若い人から年配の人まで、ファンタジーも恋愛も旅も趣味も何もかも、小説や詩や短歌などのジャンルを問わず、みんな「表現」している。その雰囲気に刺激を受けた。

思えば文学などの創作に限らずバンドだって何だって「表現」の一種だ。もっと言えば趣味と同じで、誰でも表現への欲求は備わっていていいんだ。何も特別なことではない。もしかしたら表現活動に特別偏見を持っていたのは自分自身だったかもしれない。自分が表現をすることにより、文学フリマなどのイベントに出ることにより、それが徐々に変わっていっている。

当日のアナウンスで広島代表さんも仰っていたけど、広島には前述のコミケ寄りフリマぐらいしかなくて、こんな文芸寄りのフリマは存在していなかった。今回広島で初めて文学フリマが開催されて、みんなの表現したい気持ちが形になったこと、良かったなあと思う。

自分には実力もないしプロでもないから(そして前述の「表現活動への偏見」も少しあるかも)文学や表現活動に興味のなさそうな旧知の友人知人には、私の活動は伏せてきた。しかし今回を機にようやく、比較的仲の良い人とだけ繋がっているインスタグラム(もちろん「わたのはらさゆ」名義ではなくプライベート名義の鍵付きアカウント)で活動の報告ができた。やっぱり少し恥ずかしさもあって、本の内容やペンネームは明かしていない。調べられたらバレちゃうけど気づかないふりをしてくれる人たちだと思う。

それでもこうやって自分の活動が徐々に繋がっていく喜びを、昔から知っている人たちに伝えたかった。中学時代、担任の先生に提出する生活ノートに「私は今日からここにエッセイを書きます」と勝手に宣言して何ページも書き綴っていたのを知る人たち。育児をしながら通信制大学のレポートや小規模な主婦ライターをやっていたのを見てきた人たちに、ここまで来ましたよと報告したかった。

表現活動は限られた人のものではないし、不可侵なものであると実感する。だから私はこれからも活動を続けていく。そんなことを考えていると「自分も本を作って文学フリマで売りたいな。お誕生日プレゼントはカメラをリクエストしようかな」と言う小学生が私のそばに。しまった、母の要らん背中を見せてしまったか。でも、君はこれから何にでもなれる。宇宙飛行士になってもピアニストになってもカフェの店員さんになっても、何でも自分の好きなことを表現していいんだよ。