文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

プロフィールに出身大学名を晒す

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経歴を記す上での大学名の有無・必要性についてこれまでずっと考えてきた。メディアに出る人に限らず、例えばSNS上で一般人の情報に触れた場合でも同様である。東京大学と書かれていると素直に「おっ、すごい」と思う。一方で、その人を出身校のランクや肩書きで見ることは違うと思うのだ。「学校名が大事なのではなく、学校で何を学んだかが大事だ」なんてよく言うように。学校名を記すことでその人のイメージを学校の型にはめてしまうような気もする。

だが、人の経歴を見るのは楽しい。この人はどんな人生を歩んできたのか純粋に興味もある。本を読んで「果たしてこの面白い本を書いた人はどんな経歴なのか」という気持ちが沸き起こり巻末やカバーの経歴を読むことも多い。本を読む前の決め手になることもあるだろう。

私はこのブログのプロフィール欄に通信制大学編入し卒業した旨記載している。ブログを開始してすぐに書いた記事にもそのことを書いた。

そこにも書いてあるとおり、調べれば該当する「ネットだけで卒業できる大学」は数校しかなく、芸術系となればすぐに判ったはず。それでも敢えて学校名を明かさなかったのは私含む家族三人のプライバシーを守りたかったからだ。あの通信を卒業したことは親族や周囲にも話していた。まだ夫や子どもにもこのブログの存在を知られておらず、文学フリマ出店や本作りのことなんて全く思いつきもしない頃のことである。

一つ前のエントリーにも軽く記載した通り、私は京都造形芸術大学 芸術学部 芸術教養学科の出身である。

直近では「京都芸術大学(通称:瓜芸)」に改称すると話題になってしまった大学の通信教育部だ。瓜芸って……。

在学中は本作りの活動をするなんて思ってもいなかった。ネットだけで卒業できるし、比較的自分の好きなジャンルだから良いだろうと選んだ大学である。結果的に、この大学での学びが自分の過去や現在とリンクし本を作るに至ったのだから面白い。新刊『ゴミ処理場の静と動』にも記しているように、何かを比較研究したり対象物を観察する目線を知ったのはこの大学のおかげである。

もしかしたら大学に入ろうか悩んでいる人が検索でこのブログに辿り着くことがあるかもしれない。先ほど書いた「人の経歴を見る楽しさ」に加え、そんな「通信制大学志望者・在学生のちょっとした後押し」になることも考えて出身校名を晒すことにした。

とはいえ、本名晒しまくりの大学内で「私、わたのはらさゆという名前で文芸活動をしておりまして」と堂々と宣言するのは危ない。卒業してからの大学事情は Facebookの在学生と卒業生向けグループぐらいでしか入手していないが、卒業してもう数年、知らない人の方が圧倒的に多い。その中に親族の関係者が知らぬ間に存在し……なんてことがあったら大変だ。というわけで学内で私の活動を知っている人はごく限られた人である。本を読んでくれたり、自身のSNSで触れてくれたり、応援してくれたり、感謝に堪えない。

2016年秋の卒業式、学長の式辞がPDF化されWWW上にアップされていた。この文にあるように、芸術教養学科の卒業研究は本人の了承を得たもののみウェブ上に掲載される。私の研究は載せていない。なぜなら私の出身県、それも育った家の近所で開催される祭を研究したからである。本来はアップすることを前提に研究すべきだったのかもしれないが、何にしても本名も晒さねばならないし回避して良かったと思っている。

再び学長の式辞の話に戻るが、「職場に極秘で通信の勉強をしている割合」など、周囲に勉強していることを伝えないケースの多さが指摘されている。現在もその割合は大きく変化していないはずだ。孤独に学ぶ苦しみの解消を考えると、オープンにできるような環境整備や理解の心が必要だと私も思う。一方でプライベートを守りながらひっそりと学びたい人の気持ちも尊重したい。私もそうだったから。

そして大学名は明かしつつも、これからも極力プライベートを守りながら本作りをしようと思う。都合の良いところだけ隠すなんてわがままなのかもしれないが、結局のところ勝手にやっている文芸活動なんだから、(常識の範囲内で)個々の自由を尊重して当たり前なのである。これからも都度考えをアップデート・微調整しつつ、無理なく自由にやっていきたい。

最後に私の卒業研究が載っていないことでおなじみの「WEB卒業研究展」へのリンクを貼っておきます。読み物として、結構楽しいですよ。

その中には、少し前にブログ内で私のことに触れてくださったnakoさんの卒業研究もあります。バンメン食べたくなっちゃいますねw