文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

ニセ家族の食事会【わたしのネバダイ:本編】

<前回のあらすじ>就職活動に出遅れやる気と目的を見失っていた私は、就職課の先生による就職率98%の手腕と叱咤激励で活動を開始。数学が出来ないことで試験に落ちる経験をしつつも、無名中堅企業の小さな営業所に中途採用されたのだった。

出張の理由

 採用され課長や先輩から業務を教わる一方で、部長が普段居る支店内への挨拶廻りにも出かけた。その夜の歓迎会、お開き近くになって部長が真剣な顔で言う。
「あの部署は社員二人で特殊な環境だから、困ったことがあったらいつでも言ってほしい。課長くんはあんな人だから大丈夫と思うけど、万が一セクハラ等あった場合すぐに言ってね」
 入ったばかりの新人をわざわざ経費で出張させたのは、挨拶のためだけでなくこの話をするためだったのかと私は悟った。さらに人事担当者から「あくまでもあの部署での採用で、万が一部署廃止となった場合、他支店での採用はないと思ってください」という一言も頂戴する。就職活動にしては比較的すんなり入れた分、いつクビになってもおかしくない形で私の会社員生活は始まった。

課長の習性

 部長が「課長くんはあんな人だから」と言っていたように、課長は非常に「大丈夫」な人であった。どう形容していいか分からないが、天然なおじさんという感じ。元々この営業所は数人の営業マンが所属する部署だったのだが、不景気により人員が削減され、営業は課長一人になってしまった。課長自身、数ヶ月前に着任したばかり。
 一方先輩は入社して以降ずっとこの部署で、人員削減の変遷を見てきた人。その先輩から見ても課長は安全なおじさんであると評価されていた。

 仕事をしつつ課長の一日を観察する。始業前にお茶を飲みながらしっかりと新聞数紙を読み、10時になったら珈琲を飲み、外回りに行く日は行く。昼は12時少し前にランチに出かけ、なんなら散髪も済ませ、応接セットでちょっと昼寝。3時にはまた珈琲を飲む、合い間に仕事。
 もちろん一日中取引先を数件回る、という日もたくさんあった。しかし部署にいる日は基本的にそんな調子。一方で先輩は着々と仕事をこなしていた。「ここは自分の好きなように仕事できるのがいいよね」と先輩は話し、それもまた課長がいい意味で適当なおかげだと気づいた。

先輩との最後の晩餐

 先輩が退職され出勤する最後の日。身重の先輩に申し訳ないほど残業してしまった。応接セットで寛いでいた課長が「よし、遅くなったことだし最後にご飯行こうか!」と誘ってくれた。それが、今回”Neverland Diner”として取り上げるお店である。

 そこは課長のランチ・ローテーションの中に最近組み込まれたお店らしい。会社の近くにある定食屋のような小料理屋のようなお店。まだ新しく、入口のドアや店内の木材が明るく艶々と綺麗だ。入るなり、柄物の、お母さんみたいな割烹着を着た女将さんが「課長さんいらっしゃい」と声をかけてくれる。我々事務も女将さんにご挨拶し四人用テーブル席へ。課長は我々をソファ側へと誘導し、一人がけの椅子に座る。壁面の長いソファを利用した四人用テーブルが3セット、反対の壁には二人用テーブルが2セットか3セットだっただろうか。小さなお店だ。
 「遅くなっちゃったけど、最後に送別会出来るのは良かった、乾杯!」といって課長はビールを飲む。私と先輩はお茶で、三人それぞれに定食を頼んだ。生姜焼きから漂う湯気、添えられた千切りキャベツの細かさ、温かいご飯とお味噌汁。素朴な普通の定食なのだけど、深い色の小鉢など、器のセンスが良くてちょっと高級に感じる。ホッとする味ってこういうのかな。残業して疲れた体に染み渡る感覚。
 「またいらっしゃいね、お疲れ様」と女将さんに送り出されて、我々は店を出る。

ニセ家族の食事会

 先輩が退職されてからしばらく経った。私は不出来ながらも徐々に仕事を身につけ、だんだんと客先にも名前を覚えてもらえるようになった。ふと課長が「今度ウチのカミさんと三人で食事しませんか?Xで」と仰る。Xというのは先輩最後の日に行ったお店。課長はすっかり常連になっていた。と同時に、奥様も3人でというところに課長の気遣いを感じた。課長はこの部署に赴任する前はずっと県外の支店におり、奥様を伴ってこの街にやってきた。お子様はいらっしゃらない。
 奥様は穏やかで優しい方だった。マイペースな課長をうまくコントロールされているのが良くわかる。Xにはお二人で来られることもあるようだ。

 残業の時と違い早い時間からお店を訪れたので、定食ではなく一皿料理を都度オーダーして行く。「今日はいいカレイが入ってますよ」などとオススメされたら即注文。ここで食べる魚の煮付けは味も見た目も美しかった。家で作ると煮崩れがちな魚も、ご主人の手にかかれば芸術品のように仕上がっている。調理がひと段落し手が空いている時は、調理場からご主人が出てきてみんなで会話することもあった。

 徐々にXでの会合は定番化した。期末などの折には課長夫妻に呼ばれXに向かう。そのうち私は親族とルームシェアのように一緒に暮らし始めるのだが、その親族も呼びなよと言ってくださり招くこともあった。親族が仕事で来られない日は女将さんに頼んでおにぎりを握ってもらい「これ持って帰ってよ」と課長に言われることも。Xのおにぎりは特別美味しかった。特に私はちりめん山椒のおにぎりを好んでいて、時期になると女将さんが「じゃこのおにぎり出来るよ」と声をかけてくれた。
 女将さんとご主人にはお子さんが一人。食事をしていると制服の女子高校生が何も言わずに入ってきて、調理場の奥へと姿を消すからすぐに分かる。女将さんが静かに「おかえり」というのが聞こえる。
 また、私は自転車通勤途中に大抵Xのご主人と遭遇していた。ご主人も自転車に乗りどこかへ出かけている。休日の早朝、たまたまバスに乗っていると、ご主人が近くの魚屋さんで買い物をしているのが窓から見えた。なるほど、いつもここで仕入れをしていたのか。

 支社の人が出張でこの街を訪れた際の食事会場としてもXは重宝した。課長がトイレなどで席を外した際「課長との忘年会、いつも二人でやってんの?大丈夫なの?」とニヤニヤしながら聞かれることもあったけど「課長の奥様や私の親族も一緒に食事してるんです。ここで!」と言うと、みんな「課長やるじゃん」「いい案だ」と感心する。終業時間が近づいた頃、他支店の親しい人と電話で話し「今日課長夫妻と食事なんで、もう少ししたら部署閉めますね」なんて言うと「おっ、ニセ家族の食事会だね」と言われることも多かった。

ニセ家族が終わるとき

 そんなニセ家族の食事会は、自分がクビにならない限り続くのだろうと思っていた。当初言われていたように、たった二人の弱小部署はいつ他部署に編入されてもおかしくない。この街には同じように少人数の支店を持つ企業も多かったけど、いくつか撤退していった。数年経ち、時代はリーマンショックを迎える。よりによって課長の定年も近づいていた。次の課長を据えずに部署廃止というのは社内でも幾度となく噂されていた。私に直接電話し確認してくる人もいたほどだ。
 ある日、人事部長がやってきて正式に部署を閉めると通達された。同時に支店への転勤を打診されたが私は断った。ちょうど私は結納をしたばかりだったのである。あれだけ「他支店での採用はない」と念押ししたくせに。都合のいい女扱いをされた気分でもあったから、そのとき仮に婚約していなくても転勤しなかったかもしれない。これまで自由にやってきたから、大都会でやっていける自信もない。
 「流石に新婚早々夫を置いて単身赴任できませんので…それか新幹線通勤させていただければ話は別なんですけど」と笑って言ったが、それは到底無理なことであった。

 部署最後の日は課長定年退職月の末日となった。数ヶ月かけてゆっくりと死に向かうかのように準備を進める。最終日に部署の什器やデスク・応接セットを処分して、配線を取り外す。応援に来てくれた社内の人が「今日夕方、お二人のお疲れ会でもしますか?」と声をかけてくれた。課長は「おお、いいね」と答えたが、課長が席を外した隙にその人に伝える。
「実は最後、課長の奥様交えて三人で食事会することになってまして」
 会社員としては社内の人とお食事すべきだったのかもしれないが、社内の人も早く帰宅することができるし、これで良かったと思う。何より、最後の日はいつものXでの食事会にしたかったのだ。

 私と同居していた親族は数ヶ月前に他県に転勤し、私は一人暮らしに戻っていた。一度帰宅し充電が切れたように寝てしまい、夕方に慌てて起きる。もう、私は会社員じゃなくなったんだなあ。9年弱の会社員という重みを取っ払った自由さを噛み締めながらXへ向かう。
 いつものように女将さんに出迎えられる。生ビールを頼んで、オススメの一皿料理がやってくる。裏メニューの厚焼き卵には大根おろしを乗せて。ラストオーダー前に味噌汁とおにぎり。ルーティーンの喜び。
 課長夫妻は出身県に戻られることになっている。私も数ヶ月後には結婚式。Xに来ることはしばらくないだろうという予感があった。それでも何かこの辺りに用事があったら必ず来ますと伝える。女将さんもご主人も労いの言葉をかけてくれた。課長の奥様と女将さんは「またメールするね」と話している。感慨深さはありつつも、いつも通りが心地よかった。

消えたX

 それから私はバタバタと結婚式の準備と本番を迎え、その1年後に妊娠した。つわりで外食どころか食事もままならない。産んだら余計に忙しい。気付いたら数年は経っていただろうか。子どもの用事でXのあたりに出かけることになり、だったら久々にXに行こうと夫に声をかける。夫はXに行ったことがなかったが「ニセ家族の食事会」会場であることはよく知っていた。
 夫に教えるためGoogleマップで店を表示しようとするも、ない。店の名、住所を入れても存在しない。地図を凝視すると、知らない店が入っている。私はようやくXが閉店したことに気付いた。あんなに美味しかったし、人もいっぱい来ていたのに。常連の新聞記者さんが紹介記事を書いていたこともあったはず。
 しかしネットには何も手がかりがなく、茫然とするだけだった。課長夫妻と毎年年賀状のやりとりはしていたが、Xのことは何も書かれていなかった。

再会は新型コロナのせい

 そこからさらに数年、2020年に事態は動いた。ちょうど新型コロナによる自粛が始まった頃。私は我が子のグランドピアノ練習室を探していた。家には電子ピアノしかなく、定期的にグランドピアノに触れ感覚を忘れないようにする必要があった。自粛により音楽教室でのグランドピアノレンタルは中止になっている。ネットでピアノを時間借りできる場所を一軒一軒当たっていった。
 人から情報ももらってたどり着いた一軒のレストランにグランドピアノがあるという。ダメ元で問い合わせると、快く受け入れてくれた。感染を防ぐためにも極力交通機関を使わず、補助ペダルをキャリーに乗せ子どもの手を引いて店に向かう。お店の開店前に1時間お借りするということで話はまとまっていた。

 レストランに足を踏み入れると、スラッと良い姿勢の、品の良い御婦人が微笑んでいた。スタッフらしきユニフォームを着ている。我々を見るなり、ピアノを借りる人だというのはわかってくれたようだ。「オーナーから話は聞いてますよ、どうぞ。ゆっくり弾いていいからね」というその声に、私は一時停止してしまった。間違いなくXの女将さんだった。女将さんはマスクをしていなかったし*1、見た目もお変わりないし、声もそのままだから絶対に別人ではない。
 女将さんは説明を続けたが、私はその返事ではなく別の言葉をかけていた。

「Xで働いていた方…ですよね…」

 女将さんもハッとする。その表情に「声をかけるべきではなかったのだろうか、複雑な事情があったのではないか」と一瞬焦ったがもう後戻りは出来なかった。

「私、いつも課長夫妻と一緒に…」

 そう私が言い終わらない位のタイミングで、遮るように女将さんが言った。「どうして…どうしてこんなところで!」

 そして店のカウンターを飛び越えるように駆け寄って、私をギュッと抱きしめる。言葉にならない声で女将さんが泣いている。私も泣かないようにしていたけど限界だった。マスクの不織布に涙がボタボタと当たっていくのが分かる。
 落ち着いたところで女将さんは教えてくれた。ご主人が数年前に亡くなり、店を畳まざるを得なかったこと。そして今はここで時々手伝いをしていることを。

 「コロナなのにハグしてごめんね」と女将さんが慌てて言う。私も落ち着きを取り戻し、振り返る。我が子が「一体何が起こったんだ」と茫然と眺めている。女将さんが我が子に向かって「びっくりしたじゃろ。お母さんとおばちゃん、知り合いなんよ!」と笑った。

カレイの味がする

 ひと段落し女将さんは店の準備に、我々はピアノに向かう。子は久しぶりのグランドピアノに喜んでいる。やっぱり電子とは違うね、と話す。店舗だから防音室の演奏とは聴こえ方が全く違うけれど、おそらくランチのサラダを準備しているであろうまな板の音を聴きながら弾くのもまた楽しい時間だった。
 頃合いを見て女将さんがおしぼりと水を持ってきてくれた。上手ね、と子に話しかけてくれる。女将さんがふと「うちの孫が」という話を始めた。あのXの客席を通り抜けて帰宅していたお嬢さんのお子さんだろう。

 ピアノ練習を終え使用料をお支払いし一度退店、開店時間になったところで今度はお客さんとして再度訪問した。ご好意に感謝し元々そうしようと思っていたが、女将さんのいる店なら尚更だ。女将さんの「いらっしゃい」の声に、胸がいっぱいになる。
 私は日替わりランチのカレーを選択。「量が多いから、お子さんにはどうかしら?」など、店が違っても女将さんはいつものように気遣ってくださる。じゃあ単品のこれをつけてシェア、など工夫しオーダーを済ませる。
 やがて他のお客さんがやってくる。ビジネスマンらしきスーツの男性を迎える女将さん。「いつもありがとうございます」と出迎えている。その丁寧な接客の声を聴きながらカレーを食べる。カレーなのに、口の中がXの味でいっぱいになってしまう。カレーなのにカレイの煮付け。駄洒落みたいだけど事実。泣きながらご飯を食べる怪しい人になってしまった。そんな私を見た我が子は「ママが泣くの珍しいねえ」と静かに感想を口にした。

 新型コロナは困ったことだけど、もしそれがなければ女将さんと再会することもなかった。子どもがピアノをやっていなければこの店を訪れることはなかった。人生には様々な苦難もあるが、たまにこんなギフトがもらえることもある。テレビドラマのようなことが現実に起こることもある。モラトリアムな日々からここに至るまでの全てを肯定するような一瞬が、Xにもグランドピアノのレストランにもあった。
 それを見届けてくれた女将さん。店の形はなくても残っているものを教わった気持ち。また行きます。次も泣くかもしれないけど。

*1:自粛による休校は始まっていたが、マスクをしない人も多い時期

数学が壊滅的にできない私の就職活動【わたしのネバダイ:序章】

 私は高校卒業後、就職率98%の二年制学校に入学した。だから就職も楽勝、と当初は思っていたけど、それはきちんと就職活動をした人が結果を出しただけ。学内選抜を経た指定校推薦で大手銀行や地元優良企業に内定をもらう友人たち。その横で私は何もしていなかった。残り2%は私のような人間なのだと自覚しつつも、今後どうしたいのか全く分からなくなっていた。
 「やっぱり教育実習に行きたい」という理由で途中から教職コースを選択した関係で、卒業が人より半年遅れることになったのも大きい。かといって教員採用試験の勉強をするわけでもない。完全にモラトリアム人間となっていた。同級生の卒業から半年後の9月、たった一人だけの卒業式が学長室で行われた際、初めて就職課の先生と会話したほどである。式が終わるとそのまま就職準備室へと連れて行かれた。もはや連行に近かった。

 「島根に新しく出来るT美術館と、〇〇保険広島支社の事務どっちがいい?」まるで引き出物のカタログギフトを選ぶときのような口調で先生は言った。ちょうど学校に中途採用の募集が来ていたのだという。そのまま広島に居たかったのと、保険営業ではなく事務での採用と聞き保険会社を選択。後日入社試験を受けた。数学などの筆記試験の後に面接。面接が非常に好感触で話も盛り上がり、受かるだろうと呑気に構えていたら落ちた。
 「『いい方だったんですけどねえ。数学の点数がちょっと……』って電話で言われたわ……」と就職課の先生はため息をつく。学校も先生も悪くない、圧倒的に私の力不足で落ちる羽目になった。一般教養的な筆記試験で数学問題が出ることすら知らなかったのだ。ようやく私は試験用の問題集を買った。

 次のチャンスは数日後、意外とすぐやってきた。電話を受け学校へ赴く。
 「今日、ある会社から連絡が来たわ。大きな会社じゃないけど、堅実で取引先も事業内容もしっかりしてる。今度出産で退職する事務の代わりを募集してるんですって。だから既卒の人居ませんか?ですって。営業も事務も一人ずつの小さな事務所みたいだけど」
 ひとり!最高だ、ひとりぼっち大好きな私にピッタリの仕事じゃないか。既に学生生活にも就職活動の波にも乗れずひとり浮遊中の私である。先生もそれをよくわかっていたのか、私にもう後が無いというのもあってか、話をどんどん進めていく。「今すぐ履歴書書いて、印鑑押して速達で出しなさい。こういうのは早いほうがいい」
 学校所定の履歴書用紙を貰い、部屋にある長机の隅でこれ以上なく丁寧な字で用紙を埋めた。帰宅して押印、また外に出る。祈る気持ちでポストに出す。

 試験には私を含め5人の女性がやってきた。みんな周辺にある二年制学校の既卒者だとわかった。試験会場である某公共施設の集合場所にみんな余裕を持って到着したため、会社の人が現れるまで少し話す。「どこの学校出身なの?」と聞かれ学校名を言うと「〇〇ちゃん、前の会社で同期だったよ」と言う子がいた。あ、同じクラスだった〇〇さんだ。確か彼女は……と思い巡らせていると「〇〇証券に勤めていたけど、私は合わなくて辞めたんだ」とのこと。人と違う経験をしているのは私だけではなかったことを知る。
 やがて会社の人らしきスーツのおじさんが三名やってきた。部長と課長、それから採用を取り仕切る総務経理担当者である。面接前に会社を見せたいと言われた。小さい職場なので、イメージと違ってはいけませんのでと仰る。イメージ相違による辞退、なんて可能性を考慮したようだ。会社は近くなので全員で徒歩移動となる。

 会社の入っているビルは本当に小さかった。お世辞にも綺麗とは言えず、壁の色やドアが公民館のよう。冬には底冷えが来そうだ。エントランスはほとんど明かりも入らず暗い。廊下を歩くと同じフロアの別会社の中がちらりと見えた。段ボールが積み重なり倉庫のような煩雑さがあった。
 肝心の会社事務所内は意外と綺麗だった。窓も大きく、応接セットもあり、人数より多いデスクが置かれ勤務スペースもゆったりと取られている。会社の所々にポトスなどの鉢がありみずみずしい。何より座っている女性が上品で静かな華やかさがあった。この人こそ採用者に仕事を引き継いで退職予定の先輩だった。我々に向かって「ようこそ!」とニッコリ笑う姿に、試験だけれど安堵してしまった。私もああなりたいな、と純粋に思った。
 そして試験会場に戻り筆記試験と面接を受ける。数日後、私は無事採用の連絡を受けたのだった。

「応募者5人いて、最初からあなたがいいと我々二人は主張していたんですよ」
 入社した私に、課長は種明かしのように語りかける。先輩女性もまたうなずく。
「履歴書、綺麗な字だったし。一番に届いたし」
「そうそう、会社からお家近いみたいだし、部長と同じでスキー出来るっていうのもよかったよねえ」
 面接は集団面接の形式だった。履歴書の情報を念頭に置きながら部長が「確か、お家すごく近い人いましたよね?」「スキー出来る人いましたよね?」と言うたびに私が手をあげ返事をしたのだった。そういう意味でもラッキーだった。

 部長は普段他県の大きな支社にいて、広島の部署は課長が営業、先輩が営業事務を任されている。営業事務といえども、総務経理の仕事や営業の補佐的な仕事まで幅広い。課長の資料作りを手伝ったりなど、何でも屋である。
「でも数学が苦手みたいだって経理側は心配していたんだよねえ」
「最終的にあなたともう一人に絞られたんだけど、そこでもう一人から辞退の連絡があったの。だからあっさり決まったんだよ」
 数学が最後まで足を引っ張ったが、それでも採用された。これも運であり縁だと思う。結果的に、結婚を機に退職するまでずっとここで働いた。

 というわけで、次回はこの会社のメンバーと通ったお店の思い出とそれにまつわる再会を書く予定。これはずっと大切にしたい思い出で、いつか書くぞと温めていたところだった。今日、都築響一さん編『Neverland Diner』・広島蔦屋書店の河賀さんの作品に触れ、私のネバダイ書きたいという欲が湧き起こったのだ。
 そんなふうに自分語りをさせてしまう本って、すごいよなあといつも思う。実際、ここのところブログを放置しがちな私にこの文章を書きたい欲を与えたのだから。

河賀さんver. はこちらから↓ 私、Twitterで河賀さんの文章を「切なく辛く、あたたかい思い出」と表現したけど、もう少し思い出のヒリヒリ感を伝えた方が良かったかな?と思ってみたり。
閉店という言葉はどうしても辛い事情が絡みやすいよなあ。金銭もだし、人生を大きく左右するようなタイプの事情が……。

store.tsite.jp

恐れ多くも、何だけど、私の最新作『敢えてここでいただきます』も、ネバダイとコンセプトがちょっぴり、ほんの少し近いと思うんだ……(ホント恐れ多すぎ・恐縮しきりなんですけれども)!!

 

【おまけ】島根のT美術館はその数年後に閉館した。〇〇保険は合併を経て別会社となっている。私の入社した会社は相変わらず一般市民の知名度ゼロだが、元気に頑張っている様子だ。

出身大学の学内限定イベントに動画出演(補足的読み物)

 12月26日、私の出身である京都芸術大学 芸術教養学科の学内限定オンラインイベントにて、私「わたのはらさゆ」が卒業生としてインタビューを受けた動画が流れました。
 収録・編集と、フルにご尽力いただいた卒業生コーチのYさん、そしてアドバイスくださった同じく卒業生コーチのMさん、本当にありがとうございました。在学当時もこんなふうにオンライン学生企画(レポート見せ合い・通称レポ見せ)について打ち合わせたり悩みを言い合ったりしたことありましたね。
 また、私のインタビューを受け入れてくださった先生方はじめ大学関係の皆様、ご参加の在学生の皆様にも感謝申し上げます。

 お伝えすべきことは動画内でちゃんと言えたはずですが、せっかくですので補足のような読み物をお送りします。

本名は他言無用でお願いします

 おっと、その前に。私の本名は他言無用でお願いします!学内では勿論いいですけれども、WWW上にタトゥーのように残ってしまいますと、何のためにペンネームを付けたか分かりませんので。これは我が子のプライバシー保護のためです。我が子に関してはネット上で性別も記載していません。どうかご容赦ください。
 ……って、私の個人情報なんかわざわざ書く人居ないとは思いますけれどもw


リアルイベントに行けない気持ち

 当日の卒業生インタビューは、学内のリアルなイベントに参加機会の多かった都内在住の方と、リアルイベントに参加が容易ではない育児中の主婦で地方在住の私、その2パターンが流れたと聞いております。在学生の皆様も、そのように「リアルイベント可 or 不可」のどちらかに当てはまるはずです。

 私は、そのリアルイベント不可の方の気持ちがよく分かります。動画でも申し上げたように、たまたま在学中に在住県であったイベントには一度参加しましたが、そこに至るまで、特に最初の頃は「は?リアルイベント?フライングカフェ[※学内イベント名]?何それ?」という状態でした。それはイベント開催を知らないという意味ではなく、イベントに参加できるわけがない、という意味です。在住地だけでなく、置かれている環境や健康状態なども大きく関わることでしょう。周囲に内緒で在学しているパターンなんかも多いですものね。

 学内SNSを見ると、リアルイベントに参加できる人がどうしても目立ちます。それはしょうがないことです。リアルでは先生や学友との距離も縮まるでしょうし。そんなイベント当日の楽しそうな画像なんか見ると「どうせ私はそういうの行けないし。はい孤独孤独」と、悔しく悲しい気持ちになりがちです。ん?私だけか?いや、そんなことはないはず。

イベントに行けないからこそSNS

 そういうリアルが不可な方にこそ、学内SNSを情報収集ツールとしてうまく活用して欲しいと思います。日記やイベントのコメント欄などにある情報をうまく拾い集めて、自分に使えそうなものをメモしておく。いま履修していなくても、いつか役立つかもしれません。それこそ卒業後に役立つこともあるかもしれませんよ?

 「はい孤独孤独」とひねくれたまま終わるより、せっかく学費払っているのだし、使えるものは使ったほうが良いです。使えねえなと判断されたらそれまでですが、同時進行で学ぶ仲間の状況を知るだけでもやる気アップにつながります。ログインすることが継続につながる、みたいな。

学びは終わらない

 動画内で少し触れたのですが、卒業して学びが終わるというわけではなく、常にアップデートが必要です。在学中の皆様ならご存知の方も多かろう「最新学習歴の更新」に近いですね。

 だからといってずっと大学や大学院に行く必要もないのですが(勿論行くのもOK)、要は凝り固まった頭になるなよ、ということです。これは自分への言い聞かせでもあります。

 芸術教養学科に行けばリトルプレスが作れるとか、大学のレポートがそのまま本になるという確証ではありません。自分がそのように動けば、本になることにはなりますが。私も日々模索し考え方・やり方を更新し続けています。失敗も多々あります。

挫折を感じた後こそ

 結局のところ私は、在学生で孤独や挫折、苦しみを感じている人の役に立つような言葉を言いたかったのかもしれない、といま気付きました。簡単に行くわけない、成績に落ち込むこともあるかもしれない。でもそこからどう動くかが、各々の腕(?)の見せ所のように思います。

 きっと一度芸術大学に入ったということは、1%でも希望と芸術への興味があるはずです。そしてわざわざ芸術大学を選ぶなんてなかなかのひねくれ者。そんなひねくれ者が全国・全世界から集まる場所があの芸術教養学科です。自分の予想を上回る物事や人との出会いがあるはず!

 これからも、お互いに学びの道を進んでいきましょう。

 

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※このブログに以前書いた、大学関係のエントリーのリンクを貼っておきます。

通信制大学で得たもの
http://leftright.hatenablog.com/entry/2017/04/13/094046

●プロフィールに出身大学名を晒す
http://leftright.hatenablog.com/entry/2019/12/12/113518

他にも、時折大学生活について言及しています。ブログ内の検索窓で「大学」と入れて検索していただくと良いかと。

手から手に渡る喜び

三ヶ月。あれこれ言い訳しようがないくらい時間が経っているので、逆にしれっとブログを更新できる。

ご無沙汰しておりました。お変わりありませんか。

Twitter等で日々更新のとおり、新刊は完成したものの文学フリマ東京へ行くことは叶わなかった。毎回ここで開催数日前に「文学フリマ出店のお知らせ」と共に新刊のサンプルを紹介していたというのに。今回何も更新しなかったのは「お知らせしたくせに行けなかった」というパターンを極度に恐れていたからだ。そして恐れていたとおり上京叶わず。

よりによって文学フリマ東京の開催された日曜を含む週末は「我慢の三連休」と名付けられた。途中からは私だけでも日帰りで上京をと目論んでいたが、開催直前の金曜には子どもの学校より「外出は極力控えてほしい」旨連絡が入った。これが決定打となった。

文フリ出店は決して不要不急ではないはず、だけどゴロゴロ大荷物を引きずり移動する姿を学校関係者や保護者に見られたら…と怯えもしたのだ。私は結構世間の目を気にするタイプなのかもしれない。

「行って新型コロナにかかるかもしれない、逆に既に知らぬ間に罹患してて、行って誰かにうつすかもしれない。帰ってきてからも…」と頭をぐるぐるさせた数日間だったが、行かないと決めたことで悩みから解放されたのは良かった。

しかし当日は、えも言われぬ喪失感でいっぱいになる。せめて文フリ出店者さんで通販されている方の本を買ったりTweetしたりしよう、それで明るく過ごそうと思った。から騒ぎだったかもしれないけど気は紛れた。

今週に入り、その文フリ当日に種まきのように注文した本が、花を咲かせるかのように続々と届き始めた。楽しい。どの本を読んでも「やはり間違いなかった、買ってよかった」と思った。今日以降もまだ届く予定。しばらくときめきは続く。

また、新刊を置いてくださる広島蔦屋書店さん、ホリデイ書店さんにも納品にお邪魔した。実際に本が店内にある、その感動はいつ訪問しても変わらないが、今回は格別だった。手から手に渡る喜びとでも言おうか。

手から手にといえば。文フリ東京に持っていけなかったがBOOTHの通販でもオープンから続けてご注文いただいた。見つけていただきありがとうございました。私の手からあなたのポストへ。嬉しいです。

苦戦した新刊の表紙も、それはそれで「敢えて」の意味を持つようになったと思いたい。

というわけで、悔しさもあったけれど収穫も大きかった今回。まだ私の本作りの旅は終わったわけではない。12月26日から1月11日はテキレボEX2というWEB上の即売会に参加。そして2月14日には文学フリマ広島に参加予定だ。地元こそ絶対に参加したい。

↓新刊の詳細・サンプルはこちらから。購入先のリンクなども。

敢えてここでいただきます【7th BOOK】 | わたのはらさゆ

「させていただく」/自サイト作り

疲れると心が狭くなり他者の欠点が目につく……という自分の欠点は自覚している。ついついテレビに向かって「何それ」「無いじゃろ」などと言ってしまうのをやめたい。育った家でかつて見た老人と同じことをしている自分に腹が立ちつつ、結局やってしまうのをやめたい。山に囲まれた、人間よりも猪の方が多いような町で、自分の政治論や「昔は良かった」を主張する老人を見て心を冷たくしてきたというのに。

でも、思っていたものと違う日本語に出くわすと私は首を傾げざるを得ない。それが過剰な「させていただく」という言葉遣いだ。この言い回し、私も全く使わないわけではない。けれど過剰に、使う必要がない場面や何度もしつこく登場した際、私は激しく拒絶してしまう。

特に散見されるのが有名人による入籍の「ご報告」である。ブログのタイトルを決まって「ご報告」としているのも何なんだろう。敢えて何でもないご報告を期待したくなる。そこで登場する「結婚させていただきます/ました」という言葉遣いが私の納得いかないところである。
結婚というものは、そこまで他者にへりくだる必要性があるのだろうか。そういうわけでストレートに「結婚致しました」「入籍しました」などと書いている有名人には途端に好印象を持ってしまう。

結婚は両者(敢えて両性とは書くまい)の合意のもと、ある程度の覚悟はありつつも基本的に自由であって欲しいという私の思想がそう思わせているのかもしれないけど。

文法的に考えると「動詞」+「する」+「謙譲の表現」をクドく感じているのかもしれない。関西芸人さんがテレビで喋っているとき等に散見される「今度行かさしてもらいますわ」みたいな表現だ。「伺います」ではダメなのか?「行く」に「する」をなぜ足す?もしやどこかの方言が伝播したのだろうか。

そんなブログを書いて、載せていいのかな、傲慢かな、と思っているうちに8月も終わろうとしている。

秋の文学フリマ東京が開催されてもされなくても情勢を鑑みて辞退することになっても、そろそろ次の本作りを本格的に始めなければ。なのに、またしても表紙から手をつけてしまった。『ゴミ処理場の静と動』を作った時、表紙から作ったせいもある。あの時と違って明確に「こんな表紙にしたいのよ!」というのがないので、さっさと本文を書いたほうがいいのに。でも表紙作りは楽しい。

一方で「わたのはらさゆ」としての、ちゃんとしたサイトを作りたいと思って試行錯誤している。「インターネットでホームページを作る」という行為の懐かしさよ。”ジオシティーズ”なあの頃と違って無料サイトでもテンプレが充実しているが、より見た目を美しく…と思うと欲が出る。でもその見た目の美しさが文章作りにやる気を与える気がする。表紙作り然り。

マイラーはどこへ/ブックカバーチャレンジまとめ

気軽に旅に出られなくなった2020年、いわゆるマイラーの皆様におけるマイルの貯め方はどうなっているのだろう。

このブログやリトルプレス本でこれまで触れたように、私もホテル系ポイントが貯まる某クレジットカードを所有している。旅の際にはそのポイントや無料宿泊ポイントを使ってきた。また、ポイントは航空会社のマイルにも交換可能である。

でも今は気軽に旅に出られなくなってしまった。コンスタントに使い続ければポイントに有効期限は無いという点では安心だが(マイルに交換すると有効期限は発生する)、毎年一回発行される無料宿泊ポイントをこれからも使い続けることができるだろうか?今回の新型コロナの件で無料宿泊ポイントの有効期限は延長されるようだが、若干不安である。無料宿泊ポイントを使わないとなると、年会費との釣り合いが取れなくなるのだ。

「新しい生活様式」なんていうけれど、クレジットカードにも関係してくるとは。自分はどこかで「旅行という文化はなくならない」と思い込んでいた。たとえ貧しくてもそれなりに工夫すれば旅はできる。しかしそんな発想は新型コロナで全て打ち砕かれた。提携カードではなくプロパーカードも視野に入れたカード選択をしなければなと思い始めたところだ。

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このコロナ禍においてSNSで流行っていた「〇〇チャレンジ」、mixi全盛期時代のバトン文化を思い出しつつニヤニヤとウォッチングしていた陰湿な私だが、自分のプライベートアカウントにも「7日間ブックカバーチャレンジ」が回ってきた。本となれば話は別である。1日で7冊を紹介するという自分勝手なチャレンジを行った。

さらに6月末には「わたのはらさゆ」名義のインスタでもご指名いただいた。本作りアカウント冥利に尽きる。というわけでここは1日1冊紹介していった。ただし「ジャンルごとに紹介する」というマイルールを勝手に課し、1冊どころか背景に何冊か並べるという展開。自由気ままに楽しませていただいた。

その代わりといってはなんだが、私のチャレンジは誰にもバトンを渡していない。もし「いま敢えてやりたい!」という人がいらしたら、こちらのコメント欄で構いませんのでご連絡くださいませ。バトンお渡しします。

ここんとこ「ブログに書こうかどうしようか」悩んでいたけど次回書くことにしよう、次のブログのお題は「結婚は『させていただく』ものなのか」について。

動くお金とお気持ち

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ゆるゆると自粛が明けていくのかと思いきや、一気に社会が通常モードに戻った。そんなに早く大丈夫なのか、すぐに第二波が来てしまうぞと怯える気持ちとホッとする気持ちが入り混じる。家族も職場や学校が通常に戻り、6月14日には約3ヶ月ぶりに外食に出かけた。

6月とはいえ新学期みたいなものなので、子どもは学校生活の疲れで学業面でも精神面でもお疲れ気味。そちらのケアに重点を置いた数週間であった。

同時にやたらと事故や怪我の話を耳にするようにもなった。これも自粛明けの影響なのだろうか。家族もちょっと被害(とまでは行かない軽いものだけど少しでもズレてたら大事故だった)を受け、関連し検査のため病院に同行したりなどドタバタとした日々を送る。幸い無傷で検査も異常がなかった。

というわけでその後神社へ出向いた。非科学的なものを信じ込んでいるわけではないけれど、区切りというか儀式的な意味を込めて。家族分のお守りも購入した。時期的にも夏越大祓の人形の配布が始まっており受け取る。各々人形に記入し、来週また持参する予定。

参拝を終えると、心なしか晴れやかな気持ちになった。日差しは暑いが風が心地よい。

新型コロナの話に並行して、広島の河井議員夫妻が金の問題で逮捕され連日ニュースになっている。ちょうど検査のため病院に向かう少し前に彼らが逮捕され、乗ったタクシーの運転手さんがその話題を持ちかけてきた。

「あの人たちは悪くない、みんなやってる、田中角栄だって。あれで日本はよくなったんだ」……持論を展開し演説するタイプの運転手さんであった。面倒なので「表面化してないだけで多くの議員がそういうことやってるんでしょうね」と運転手さんに言い、すぐに家族との会話を始めることで遮った。

神社へのお金と買収のお金、全く違うものだけど、どちらも「お気持ち」で動くタイプのお金だなとぼんやり考える。

断ることで悪い扱いを受けたら困る、その気持ちを利用してお金を押し付け、自分の良い方向に動くことを望む政治家。受け取らず告発することだって出来たはず、でも結局受け取ってしまった人の気持ちは100%クリーンとはいえない。

神社へのお金はそんなダークなものではないけれど、一歩間違うと怪しい新興宗教の如く依存的なものとなるだろう。神様仏様にお金を差し出しても直接事態を好転させることはできない。その人はきっかけや気持ちの整理にお金を払う。

同じお気持ちでも、買収に関わったお金は相手の心を不正な道へと操作し、神社へのお金は自分の心を操作する。人の心をお金で悪い方へ動かさない、悪い方へと動かされない人間で居たいなと思う。ま、専業主婦を買収してくる人なんて居ないと思うけど。