文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

いつもと違う電車に乗って、少し遠い駅の脱毛サロンに行ってきた。だつもう。なんてプライバシー満載の響きだろう。脱毛のことを他人、いや親しい友人と話したことなど皆無だ。

人類なのだから毛ぐらい生える。割り切って生きてるけどやはり多少は見た目を気にしなければ見苦しいから無駄な毛は極力目立たぬようにしたい(個人の感想です)。

女性は脱毛やエステのサロンで莫大な金額を請求されるなどの被害に遭う話を少なからず耳にされたことがあるのではと思う。なのでますます人とこの話題を話すことは少なくなるのだろう。

今回私はネットで入念なる検索・下調べをし、近隣にも同じ店舗があるというのに敢えて遠くの駅で申し込みをすることにした。チェーン店なので、勝手が判れば近隣の店舗に切り替えればいいだけのこと。

そうやって怯えながら入店したが、あまりにも普通のサロンで衝撃を受けた。もちろんカウンセリングや施術は個室だが、待合の雰囲気などは美容院やマッサージサロンと同じ。朝から盛況で、次々と客がやってくる。

スタッフも感じがよく、無理な契約を迫られることもなく、こちらの予定通りの金額で契約完了。私がスタッフよりも年齢がはるかに上だから?わからないけれど、あまりの明朗ぶりに拍子抜けしたほどだった。

もしや私が無駄な毛を気にし始めた少女時代から現代の約25年の間に、脱毛はフランクで明るいものに変わってしまったのだろうか。店舗によりけりかもしれないが、人類の毛の質自体は大昔から大幅に変わってはいないだろうに、なんだか少し笑ってしまいそうになる。

人類は猿からの進化の過程で毛が減っていったけれど、ここまで来ると毛自体ではなく技術やサービスになってくるのだな。次回は私が他者に身を預けて体毛をどうにかしてもらうと思うと、ますます滑稽で愉快な気持ちだ。