文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

何のために弾くのか

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私に起こったことの全てをそのままインターネット上に晒すわけにはいかないので、ここに書くときはいつも多少のフェイクを入れている。もちろん書きたいことの本筋はブレない程度に。そんなわけでタイミングを見計らっていたが、そろそろ子どものピアノコンクールの話を書こうと思う。

コンクールの直前はとにかく行き詰まっていた。なかなか曲も仕上がらず、先生からもOKという言葉は一度も出なかった。素人の私が聴いてもそれは良くわかった。もちろん一番わかっていたのは本人であり、それゆえに葛藤を繰り返していた。「ここはこう弾けば良いのはわかる、でもいざ弾いているうちに忘れてしまう」とグッタリしている。長い曲の間で気をつける箇所はたくさんある。だからもうとにかく弾きまくって、出来るだけこの曲を自分のものにするしかない。

レッスン最後の日も涙を浮かべ、弾きながら悔しそうな顔をしている。この曲は楽しい曲なんだから。「できない」って思ってたら「できない」って曲になっちゃうよ。楽しんで。先生も私も最後は励ますしかなかった。負けず嫌いの我が子はとにかく「勝ちたい」という気持ちが先行している。だから余計に焦るのだ。「この曲の主人公になってこの世界を楽しんで、それをお客さんに届けるために弾いているんだよ、勝ち負けじゃないよ」コンクール前日はもう、自宅でほとんど弾くことはせずメンタルの話だけをしていたような気がする。

当日までに我が子はそれを理解してくれたようだった。コンクール会場で顔見知りのお姉さんにも出会え安心が生まれた。衣装素敵だよ、と言われ満更でもない様子である。そのまま子どもをリハーサルへ送り出し、私はロビーの人々を眺める。普通の発表会と違い殺伐とした受験会場のような雰囲気なのかと思いきや、意外とほのぼのとしている。インフルエンザや風邪の蔓延するこの時期、自分も含め多くの人がマスクを装着しているから表情が見えにくく、ウイルスだけでなく悪い気配もシャットアウトできているのかもしれない。

我が子の演奏は今までで一番の出来だった。途中音が消え入りそうになる瞬間があったが途切れることなく立て直した。そこから子どもが意識して笑顔を作っているのが見えた。乗り越えようとしている、楽しもうとしている姿勢に「このためにこれまで練習してきたのだ」と実感できた。以後腕や脇の動きも滑らかになり楽しさが湧き上がってくる様子がみえた。これだけ弾けたらもう、十分である。

コンクールというだけあって他の子も非常に上手く、そういう子はやはり賞を獲っていた。そして我が子も、まさかの受賞となった。判明した瞬間は天を仰ぎ、見間違いではないかと何度も確認したがやはり我が子であった。「賞のために弾くのではない」と言って賞を獲ってしまったら本人は調子に乗らないだろうか、人生勉強としてどうなんだろうか、と思いつつも嬉しいものだ。努力はちゃんと結果となり、評価されるということは証明できた。我が子は涙をこぼし声にならない声を出している。良かったね、本当に君は頑張ったよ。

そんな歓喜の時間もありながら、現在はというと既に切り替えて次のコンクールの準備をしている。またコンクールか!短いスパンだな!とも思うが、成り行き上やむを得ないしチャンスをもらったからには生かさねばならない。この経験を乗り越えた我が子は次にどんな演奏をするんだろう、という楽しみもある。本人は「はー、またか」と言いつつも嬉しそうだ。新しい楽譜に向かうときはいつもそうである。根っからの音楽好きってこういう感じなんだろうな、と、譜読みする横顔を眺める。