文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

魔物の出現と退散

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ずっと書きそびれていた子どものピアノコンクールの話。次なるコンクールは惨敗であった。せっかく勝ち進んだけれどそのチャンスをものに出来なかった。練習如何の問題ではなく、手がピタリと止まってしまったのだ。

その瞬間「あれ、この曲どんな曲だっけ、どこまで弾いたんだっけ」と頭の中が真っ白になった様子を後に本人が語っていた。私もそれを客席で見ながら、心臓が止まる思いだった。

何とか続きを弾き始めるが、同じことをトータル3回やってしまった。いつもだったらこんなことは絶対にない。せいぜい間違えて隣の音を弾くとかその程度。これが甲子園に棲む魔物なのか。ピアノの舞台にも甲子園と同じ魔物が。舞台では何が起こるか誰にも分からない。

それでも我が子は弾き終えた。前日のレッスンで完璧にならなかったところが全て出来ていた。ああ、あのストップさえなかったら。悔やまれるがそれもまた人生だ。元々実力以上の舞台に立てているのだから、分相応な終わり方とも言えるのだ。

弾き終えた本人が数番後に客席に帰ってきた。まだみんなの本番は続くから、何も話さず抱きしめるしかできない。が、それで良かった。本人はズドンと落ち込む音が聞こえてきそうな顔をしていた。

あれから数ヶ月経ち、我々は再び同じ会場に出かけた。音楽教室の社員さんがプライベートで舞台に立たれるからであった。当たり前といえば当たり前だが、音楽教室で働く人はやはり音楽をやる人たちばかりなのだった。

最寄駅から会場へと向かう道で子どもが「ここ前も通ったね、あー、やだやだ」と呟く。ホールのソファに自動販売機、数ヶ月前と変わらない。しかし別の演奏を聴くことで良い思い出に変わってほしいなという期待があった。

私の目論見通り社員さんの演奏は素晴らしいもので、我が子は身を乗り出し聴き入っていた。知っている人が演奏しているから、より感動が増したのかもしれない。自分のいまの音楽生活があんな未来につながるといいな、なんて思い描いたりしたのだろうか。演目もクラシックというよりは現代寄りで、音楽や芸術の多様性を感じた。

同じ道でも違う気持ちで往路と同じ道のりを歩く。「もう嫌な思い出忘れたでしょ?」と子どもに訊ねると、「あー忘れた忘れた」と軽く答えが返ってきた。