文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

映画『新聞記者』

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本当は映画『ニューヨーク公共図書館』を観たいなと思っていたのだが何せ3時間の長尺、昼からの上映だと子どもの帰宅時間に間に合わない。まずは関連書籍を…と読み進めているうちに徐々に興味が薄れてしまった。もしかしたら、関連書籍を読むより先に映画を観るほうが良かったのかもしれない。

そこに飛び込んできた映画『新聞記者』の情報。主演は松坂桃李くんだという。私はプライベートTwitterアカウントで松坂桃李くんをフォローしているのだが、最近の彼のツイートは連ドラや他の映画の告知、たまに遊戯王関連しか見ていない印象だった。

不思議に思い松坂桃李くんの投稿を確認しに行くと、わずかに映画『新聞記者』のことに触れられていた。私はいつも自分のタイムラインをくまなくチェックしているわけではないから、わずか過ぎるその投稿を見逃していたのだ。

彼に加えて韓国の女優さんとのW主演であること、どうやら選挙や政治に関連していて大っぴらに告知していないということ位の情報で私は観に行くことを決めた。なんかそういうアングラなの気になるじゃないか。上映館も少なく広島市では2館のみ。ウェブで座席予約をし、交通機関を乗り継いで山奥のアウトレット内にある映画館を目指した。

小さなシアタールームだったが、座席は意外と埋まっていた。平日昼間ゆえ高齢の方も目立つ。上映後、二人連れのご婦人が「社会派だったわね…」と重く呟いていた。私はというと、あまりの怖さに「わーもう帰りたい、もうやだ、見たくない」と心の中で大騒ぎしながらの鑑賞だった。でも自宅での視聴だと簡単に一時停止して終わりにしてしまうところを映画館で強制的に見せられるからこそ、映画を最後まで見通すことができた。

ラストの松坂桃李の演技たるや。すごいものを見てしまったよ。

以下、ややネタバレ寄りな感想ですので未見の方はご注意ください。

事実を想起させる挑戦的な内容

あの大学新設と首相のお友達関係の問題だとか、詩織さんの事件など、実際の出来事にそっくりな内容が出てくる。このような映画を作る関係者の勇気に敬意しかない。

それゆえどうしても政治、そして間近に迫る選挙との兼ね合いからテレビ等で紹介しづらいのも致し方ない。現政権に賛成だろうが反対だろうが不明だろうが。しかしこれまでの政治を振り返る意味でも選挙前に観るのは有効かと。

情報を判断する力

映画を見ても見なくても、SNSに関わる上で情報の取捨選択や判断する力を養う必要性は多くの人が感じているだろう。この映画も「メディアの報道が真実とは限らない」「メディアに介入する力がある可能性」をとりあげている。先ほどの大学新設問題や詩織さん事件などの報道を経て我々がどう考えるのか、情報を鵜呑みにするかしないか、改めて考えさせられた。映画に出てきたような陳腐なメディア操作が本当にあるならば随分馬鹿げている。馬鹿げたことが本当にある可能性が高いから世の中は恐ろしい。どう判断するかは各々に委ねられている。それを学ぶ映画だ。

映画としての完成度

まずキャスティングが良い。イモトアヤコさん似の韓国の女優さんもいい演技だった。日本の女優さんではない理由は、松坂桃李くんとの恋愛映画だと勘違いされないためという情報を目にした。これもまた本当かはわからない情報であるが、何人であるかなど超越した魂の演技であった。

また、最近『日本ボロ宿紀行』などで名演が光りすぎているあの男闘呼組高橋和也さんも出演、重要な役を演じていた。高橋和也さんは先日までドラマ『集団左遷!!!』にも出ており、同じドラマに出ていた西田尚美さんが高橋和也さんの奥さん役。田中哲司さんは心から怖い役で、あの鋭い目がグリコ・森永事件のモンタージュ写真に見えてきたほど。

怖い怖いと散々述べたシーンは、ある意味あらすじを見れば想像がつくと思うのだが、それでも実際に映画を観ると恐ろしいものであった。俳優の演技力や引き込まれるような演出、照明(内調のあかりが既に怖い)、音楽。映画としての完成度の高さを感じさせた。

その中でも多少疑問に思ったのは「いくら悪阻が軽く自覚薄だったとはいえ、妊婦が、破水の時点でそれと気付かず、ただ不安がるLINEを夫に送ることがあるだろうか?」ということである。ちょっと細かいだろうか。。しかしこれは映画の本質とは何も関係がないから気にしなくてもいいかもしれない。

忖度について

メディア側の忖度も映画では描かれていた。政治がどんなであろうとメディアがそれを正しく報道してくれれば我々も判断しやすいのだが…。政治にかかわらず、偏りのある報道はチラホラ見受けられる。

最後に。私はインターネットに政治宗教野球の話は書かない方が良い、の流れを支持しているため、ギリギリのラインでこれを記述している。正直なところ、どの政党・候補者も胡散臭さを感じてしまい、投票したくないのが本音である。自他問わず、政治そのものへの言及をするのも見るのもあまり好きではないのだ。しかし、白票こそ意味のない行為。どうにかこうにか比較的マシと判断できる政党や候補者に投票するしかない。判断もなかなか大変だ。