文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

ハッピーエンドでないと

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遠縁の親族が亡くなったという知らせがあった。随分と年配のおじさんではあったが、メールや年賀状のやり取りのある方だったので、ほんのりと寂しい気持ちになる。

そのおじさんとは幼い頃に親族の葬儀などでしかお目にかからなかった。おじさんは首都圏在住ゆえ実家は空き家状態。そのため私が少し住まわせてもらったこともある。「あの方は、あの家でみかん箱を机に勉強し出世した人だ。それに比べてお前はだめだ」と祖母によく攻撃されたものだった。

みかん箱ではなく学習机で勉強した私は大人になり結婚し母となって、インターネットの片隅でおじさんの名前を見つけることとなった。文学関係の調べ物をしていると同姓同名の名前に行き当たったのだ。あまり無い名前だったので間違いなく本人だろう。おじさんが文学に精通しているとは意外だった。理系寄りの経歴の持ち主だったというのもある。

おじさんの名前を検索すると、思いっきりおじさん本人が作成したホームページがあった。そしてそこには文学的な情報が網羅されている。私には難しいものが多かったが、一部自分が二年制学校で学んだ本に関連したものも登場した。何かのついでにそれを実母に伝えたところ、おじさんは喜び、関係資料をわざわざ冊子にして送ってくださった。

今回、久しぶりに当時やり取りしたメールを読んでみる。すると自分の送ったこんな文章が出てきた。ある文学作品の結末に関してである。

通常、ハッピーエンドだと「フィクションはそういうものだからなあ…」と思ってしまうのですが、アンハッピーな結末も、それはそれで悲しいものがありますので、ハッピーエンドで救われた気がします。

 対しておじさんは、

僕もハッピーエンドでないと駄目なのです。せつかく作るのですからね。ハッピーエンドにしてくれないと。(と、****が『〇〇〇〇〇〇』に書いてゐましたね?たしか。****自身の作品には悲しい結末がある癖に。****つて面白いです。)

と返事をくださった。****の作品『〇〇〇〇〇〇』は私が学生時代に課題で読み、直前のメールで話題に挙げていたのだった。おじさんの旧仮名遣いのメールを久々に見て、懐かしさと可笑しさでふっと笑ってしまった。葬儀会社のCMでもないのに。

私はこのブログで「創作の物語もいつか書きたい」と書いたことがある。そう書いた割には進んでいないのだが、「ハッピーエンドでないとだめ」という気持ちはおじさんと同様にずっと持ち続けている。救いのある結末とでも言ったら良いのだろうか。せめて創作の世界でぐらいは楽しくありたいのだ。

さらにネット検索から発見した新聞記事で、おじさんの経歴を詳しく知ることができた。おじさんはみかん箱で勉強し最高学府に入学、そこから順風満帆な生活を送っていたのだと思っていたが、社会に出てそこそこの実績を積んだのち再び理系学部に進み直したという。

大人になって通信制大学編入したものとしては(レベルが圧倒的に違うのは自覚しているが)仲間を得たような気持ちになった。社会に出てからの勉強の必要性をわかってくれる人がここにも居たんだ!と。そういえばメールのやり取りの中、大学に編入することを決めた私はこんな文章を書いている。

動画授業を視聴したりレポートを作成していますが、通信教育は挫折しやすいので、とにかく毎日少しずつでもこつこつやっていきたいと思います。
 この入学は様々な動機があるのですが、おじ様の資料を拝読したことも影響の一つです。きっかけをいただき、ありがとうございます。
それに対して、おじさんはメールの途中であっさりと

大学編入も、よく決心しましたね。すごいです。

という風に返事をくださっている。そのあっさりの中に実はおじさんの苦労の重みがあることを、私はようやく知ったのだった。

おじさんの死により、自分のやるべきことをまたひとつ思い出させてもらった気がする。いつかハッピーエンドにたどり着かなければ。あと何年、何十年かかるか分からないけれど。そしてもう一つやるべきこと、それはおじさんのホームページの情報をローカルに移しておくことである。おじさんの死によりサーバーとの契約がいつか切れてしまう前に。