文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

数学が壊滅的にできない私の就職活動【わたしのネバダイ:序章】

 私は高校卒業後、就職率98%の二年制学校に入学した。だから就職も楽勝、と当初は思っていたけど、それはきちんと就職活動をした人が結果を出しただけ。学内選抜を経た指定校推薦で大手銀行や地元優良企業に内定をもらう友人たち。その横で私は何もしていなかった。残り2%は私のような人間なのだと自覚しつつも、今後どうしたいのか全く分からなくなっていた。
 「やっぱり教育実習に行きたい」という理由で途中から教職コースを選択した関係で、卒業が人より半年遅れることになったのも大きい。かといって教員採用試験の勉強をするわけでもない。完全にモラトリアム人間となっていた。同級生の卒業から半年後の9月、たった一人だけの卒業式が学長室で行われた際、初めて就職課の先生と会話したほどである。式が終わるとそのまま就職準備室へと連れて行かれた。もはや連行に近かった。

 「島根に新しく出来るT美術館と、〇〇保険広島支社の事務どっちがいい?」まるで引き出物のカタログギフトを選ぶときのような口調で先生は言った。ちょうど学校に中途採用の募集が来ていたのだという。そのまま広島に居たかったのと、保険営業ではなく事務での採用と聞き保険会社を選択。後日入社試験を受けた。数学などの筆記試験の後に面接。面接が非常に好感触で話も盛り上がり、受かるだろうと呑気に構えていたら落ちた。
 「『いい方だったんですけどねえ。数学の点数がちょっと……』って電話で言われたわ……」と就職課の先生はため息をつく。学校も先生も悪くない、圧倒的に私の力不足で落ちる羽目になった。一般教養的な筆記試験で数学問題が出ることすら知らなかったのだ。ようやく私は試験用の問題集を買った。

 次のチャンスは数日後、意外とすぐやってきた。電話を受け学校へ赴く。
 「今日、ある会社から連絡が来たわ。大きな会社じゃないけど、堅実で取引先も事業内容もしっかりしてる。今度出産で退職する事務の代わりを募集してるんですって。だから既卒の人居ませんか?ですって。営業も事務も一人ずつの小さな事務所みたいだけど」
 ひとり!最高だ、ひとりぼっち大好きな私にピッタリの仕事じゃないか。既に学生生活にも就職活動の波にも乗れずひとり浮遊中の私である。先生もそれをよくわかっていたのか、私にもう後が無いというのもあってか、話をどんどん進めていく。「今すぐ履歴書書いて、印鑑押して速達で出しなさい。こういうのは早いほうがいい」
 学校所定の履歴書用紙を貰い、部屋にある長机の隅でこれ以上なく丁寧な字で用紙を埋めた。帰宅して押印、また外に出る。祈る気持ちでポストに出す。

 試験には私を含め5人の女性がやってきた。みんな周辺にある二年制学校の既卒者だとわかった。試験会場である某公共施設の集合場所にみんな余裕を持って到着したため、会社の人が現れるまで少し話す。「どこの学校出身なの?」と聞かれ学校名を言うと「〇〇ちゃん、前の会社で同期だったよ」と言う子がいた。あ、同じクラスだった〇〇さんだ。確か彼女は……と思い巡らせていると「〇〇証券に勤めていたけど、私は合わなくて辞めたんだ」とのこと。人と違う経験をしているのは私だけではなかったことを知る。
 やがて会社の人らしきスーツのおじさんが三名やってきた。部長と課長、それから採用を取り仕切る総務経理担当者である。面接前に会社を見せたいと言われた。小さい職場なので、イメージと違ってはいけませんのでと仰る。イメージ相違による辞退、なんて可能性を考慮したようだ。会社は近くなので全員で徒歩移動となる。

 会社の入っているビルは本当に小さかった。お世辞にも綺麗とは言えず、壁の色やドアが公民館のよう。冬には底冷えが来そうだ。エントランスはほとんど明かりも入らず暗い。廊下を歩くと同じフロアの別会社の中がちらりと見えた。段ボールが積み重なり倉庫のような煩雑さがあった。
 肝心の会社事務所内は意外と綺麗だった。窓も大きく、応接セットもあり、人数より多いデスクが置かれ勤務スペースもゆったりと取られている。会社の所々にポトスなどの鉢がありみずみずしい。何より座っている女性が上品で静かな華やかさがあった。この人こそ採用者に仕事を引き継いで退職予定の先輩だった。我々に向かって「ようこそ!」とニッコリ笑う姿に、試験だけれど安堵してしまった。私もああなりたいな、と純粋に思った。
 そして試験会場に戻り筆記試験と面接を受ける。数日後、私は無事採用の連絡を受けたのだった。

「応募者5人いて、最初からあなたがいいと我々二人は主張していたんですよ」
 入社した私に、課長は種明かしのように語りかける。先輩女性もまたうなずく。
「履歴書、綺麗な字だったし。一番に届いたし」
「そうそう、会社からお家近いみたいだし、部長と同じでスキー出来るっていうのもよかったよねえ」
 面接は集団面接の形式だった。履歴書の情報を念頭に置きながら部長が「確か、お家すごく近い人いましたよね?」「スキー出来る人いましたよね?」と言うたびに私が手をあげ返事をしたのだった。そういう意味でもラッキーだった。

 部長は普段他県の大きな支社にいて、広島の部署は課長が営業、先輩が営業事務を任されている。営業事務といえども、総務経理の仕事や営業の補佐的な仕事まで幅広い。課長の資料作りを手伝ったりなど、何でも屋である。
「でも数学が苦手みたいだって経理側は心配していたんだよねえ」
「最終的にあなたともう一人に絞られたんだけど、そこでもう一人から辞退の連絡があったの。だからあっさり決まったんだよ」
 数学が最後まで足を引っ張ったが、それでも採用された。これも運であり縁だと思う。結果的に、結婚を機に退職するまでずっとここで働いた。

 というわけで、次回はこの会社のメンバーと通ったお店の思い出とそれにまつわる再会を書く予定。これはずっと大切にしたい思い出で、いつか書くぞと温めていたところだった。今日、都築響一さん編『Neverland Diner』・広島蔦屋書店の河賀さんの作品に触れ、私のネバダイ書きたいという欲が湧き起こったのだ。
 そんなふうに自分語りをさせてしまう本って、すごいよなあといつも思う。実際、ここのところブログを放置しがちな私にこの文章を書きたい欲を与えたのだから。

河賀さんver. はこちらから↓ 私、Twitterで河賀さんの文章を「切なく辛く、あたたかい思い出」と表現したけど、もう少し思い出のヒリヒリ感を伝えた方が良かったかな?と思ってみたり。
閉店という言葉はどうしても辛い事情が絡みやすいよなあ。金銭もだし、人生を大きく左右するようなタイプの事情が……。

store.tsite.jp

恐れ多くも、何だけど、私の最新作『敢えてここでいただきます』も、ネバダイとコンセプトがちょっぴり、ほんの少し近いと思うんだ……(ホント恐れ多すぎ・恐縮しきりなんですけれども)!!

 

【おまけ】島根のT美術館はその数年後に閉館した。〇〇保険は合併を経て別会社となっている。私の入社した会社は相変わらず一般市民の知名度ゼロだが、元気に頑張っている様子だ。