文化的生活の記録

「旅文学」の小さな本を作っています。

ニセ家族の食事会【わたしのネバダイ:本編】

<前回のあらすじ>就職活動に出遅れやる気と目的を見失っていた私は、就職課の先生による就職率98%の手腕と叱咤激励で活動を開始。数学が出来ないことで試験に落ちる経験をしつつも、無名中堅企業の小さな営業所に中途採用されたのだった。

出張の理由

 採用され課長や先輩から業務を教わる一方で、部長が普段居る支店内への挨拶廻りにも出かけた。その夜の歓迎会、お開き近くになって部長が真剣な顔で言う。
「あの部署は社員二人で特殊な環境だから、困ったことがあったらいつでも言ってほしい。課長くんはあんな人だから大丈夫と思うけど、万が一セクハラ等あった場合すぐに言ってね」
 入ったばかりの新人をわざわざ経費で出張させたのは、挨拶のためだけでなくこの話をするためだったのかと私は悟った。さらに人事担当者から「あくまでもあの部署での採用で、万が一部署廃止となった場合、他支店での採用はないと思ってください」という一言も頂戴する。就職活動にしては比較的すんなり入れた分、いつクビになってもおかしくない形で私の会社員生活は始まった。

課長の習性

 部長が「課長くんはあんな人だから」と言っていたように、課長は非常に「大丈夫」な人であった。どう形容していいか分からないが、天然なおじさんという感じ。元々この営業所は数人の営業マンが所属する部署だったのだが、不景気により人員が削減され、営業は課長一人になってしまった。課長自身、数ヶ月前に着任したばかり。
 一方先輩は入社して以降ずっとこの部署で、人員削減の変遷を見てきた人。その先輩から見ても課長は安全なおじさんであると評価されていた。

 仕事をしつつ課長の一日を観察する。始業前にお茶を飲みながらしっかりと新聞数紙を読み、10時になったら珈琲を飲み、外回りに行く日は行く。昼は12時少し前にランチに出かけ、なんなら散髪も済ませ、応接セットでちょっと昼寝。3時にはまた珈琲を飲む、合い間に仕事。
 もちろん一日中取引先を数件回る、という日もたくさんあった。しかし部署にいる日は基本的にそんな調子。一方で先輩は着々と仕事をこなしていた。「ここは自分の好きなように仕事できるのがいいよね」と先輩は話し、それもまた課長がいい意味で適当なおかげだと気づいた。

先輩との最後の晩餐

 先輩が退職され出勤する最後の日。身重の先輩に申し訳ないほど残業してしまった。応接セットで寛いでいた課長が「よし、遅くなったことだし最後にご飯行こうか!」と誘ってくれた。それが、今回”Neverland Diner”として取り上げるお店である。

 そこは課長のランチ・ローテーションの中に最近組み込まれたお店らしい。会社の近くにある定食屋のような小料理屋のようなお店。まだ新しく、入口のドアや店内の木材が明るく艶々と綺麗だ。入るなり、柄物の、お母さんみたいな割烹着を着た女将さんが「課長さんいらっしゃい」と声をかけてくれる。我々事務も女将さんにご挨拶し四人用テーブル席へ。課長は我々をソファ側へと誘導し、一人がけの椅子に座る。壁面の長いソファを利用した四人用テーブルが3セット、反対の壁には二人用テーブルが2セットか3セットだっただろうか。小さなお店だ。
 「遅くなっちゃったけど、最後に送別会出来るのは良かった、乾杯!」といって課長はビールを飲む。私と先輩はお茶で、三人それぞれに定食を頼んだ。生姜焼きから漂う湯気、添えられた千切りキャベツの細かさ、温かいご飯とお味噌汁。素朴な普通の定食なのだけど、深い色の小鉢など、器のセンスが良くてちょっと高級に感じる。ホッとする味ってこういうのかな。残業して疲れた体に染み渡る感覚。
 「またいらっしゃいね、お疲れ様」と女将さんに送り出されて、我々は店を出る。

ニセ家族の食事会

 先輩が退職されてからしばらく経った。私は不出来ながらも徐々に仕事を身につけ、だんだんと客先にも名前を覚えてもらえるようになった。ふと課長が「今度ウチのカミさんと三人で食事しませんか?Xで」と仰る。Xというのは先輩最後の日に行ったお店。課長はすっかり常連になっていた。と同時に、奥様も3人でというところに課長の気遣いを感じた。課長はこの部署に赴任する前はずっと県外の支店におり、奥様を伴ってこの街にやってきた。お子様はいらっしゃらない。
 奥様は穏やかで優しい方だった。マイペースな課長をうまくコントロールされているのが良くわかる。Xにはお二人で来られることもあるようだ。

 残業の時と違い早い時間からお店を訪れたので、定食ではなく一皿料理を都度オーダーして行く。「今日はいいカレイが入ってますよ」などとオススメされたら即注文。ここで食べる魚の煮付けは味も見た目も美しかった。家で作ると煮崩れがちな魚も、ご主人の手にかかれば芸術品のように仕上がっている。調理がひと段落し手が空いている時は、調理場からご主人が出てきてみんなで会話することもあった。

 徐々にXでの会合は定番化した。期末などの折には課長夫妻に呼ばれXに向かう。そのうち私は親族とルームシェアのように一緒に暮らし始めるのだが、その親族も呼びなよと言ってくださり招くこともあった。親族が仕事で来られない日は女将さんに頼んでおにぎりを握ってもらい「これ持って帰ってよ」と課長に言われることも。Xのおにぎりは特別美味しかった。特に私はちりめん山椒のおにぎりを好んでいて、時期になると女将さんが「じゃこのおにぎり出来るよ」と声をかけてくれた。
 女将さんとご主人にはお子さんが一人。食事をしていると制服の女子高校生が何も言わずに入ってきて、調理場の奥へと姿を消すからすぐに分かる。女将さんが静かに「おかえり」というのが聞こえる。
 また、私は自転車通勤途中に大抵Xのご主人と遭遇していた。ご主人も自転車に乗りどこかへ出かけている。休日の早朝、たまたまバスに乗っていると、ご主人が近くの魚屋さんで買い物をしているのが窓から見えた。なるほど、いつもここで仕入れをしていたのか。

 支社の人が出張でこの街を訪れた際の食事会場としてもXは重宝した。課長がトイレなどで席を外した際「課長との忘年会、いつも二人でやってんの?大丈夫なの?」とニヤニヤしながら聞かれることもあったけど「課長の奥様や私の親族も一緒に食事してるんです。ここで!」と言うと、みんな「課長やるじゃん」「いい案だ」と感心する。終業時間が近づいた頃、他支店の親しい人と電話で話し「今日課長夫妻と食事なんで、もう少ししたら部署閉めますね」なんて言うと「おっ、ニセ家族の食事会だね」と言われることも多かった。

ニセ家族が終わるとき

 そんなニセ家族の食事会は、自分がクビにならない限り続くのだろうと思っていた。当初言われていたように、たった二人の弱小部署はいつ他部署に編入されてもおかしくない。この街には同じように少人数の支店を持つ企業も多かったけど、いくつか撤退していった。数年経ち、時代はリーマンショックを迎える。よりによって課長の定年も近づいていた。次の課長を据えずに部署廃止というのは社内でも幾度となく噂されていた。私に直接電話し確認してくる人もいたほどだ。
 ある日、人事部長がやってきて正式に部署を閉めると通達された。同時に支店への転勤を打診されたが私は断った。ちょうど私は結納をしたばかりだったのである。あれだけ「他支店での採用はない」と念押ししたくせに。都合のいい女扱いをされた気分でもあったから、そのとき仮に婚約していなくても転勤しなかったかもしれない。これまで自由にやってきたから、大都会でやっていける自信もない。
 「流石に新婚早々夫を置いて単身赴任できませんので…それか新幹線通勤させていただければ話は別なんですけど」と笑って言ったが、それは到底無理なことであった。

 部署最後の日は課長定年退職月の末日となった。数ヶ月かけてゆっくりと死に向かうかのように準備を進める。最終日に部署の什器やデスク・応接セットを処分して、配線を取り外す。応援に来てくれた社内の人が「今日夕方、お二人のお疲れ会でもしますか?」と声をかけてくれた。課長は「おお、いいね」と答えたが、課長が席を外した隙にその人に伝える。
「実は最後、課長の奥様交えて三人で食事会することになってまして」
 会社員としては社内の人とお食事すべきだったのかもしれないが、社内の人も早く帰宅することができるし、これで良かったと思う。何より、最後の日はいつものXでの食事会にしたかったのだ。

 私と同居していた親族は数ヶ月前に他県に転勤し、私は一人暮らしに戻っていた。一度帰宅し充電が切れたように寝てしまい、夕方に慌てて起きる。もう、私は会社員じゃなくなったんだなあ。9年弱の会社員という重みを取っ払った自由さを噛み締めながらXへ向かう。
 いつものように女将さんに出迎えられる。生ビールを頼んで、オススメの一皿料理がやってくる。裏メニューの厚焼き卵には大根おろしを乗せて。ラストオーダー前に味噌汁とおにぎり。ルーティーンの喜び。
 課長夫妻は出身県に戻られることになっている。私も数ヶ月後には結婚式。Xに来ることはしばらくないだろうという予感があった。それでも何かこの辺りに用事があったら必ず来ますと伝える。女将さんもご主人も労いの言葉をかけてくれた。課長の奥様と女将さんは「またメールするね」と話している。感慨深さはありつつも、いつも通りが心地よかった。

消えたX

 それから私はバタバタと結婚式の準備と本番を迎え、その1年後に妊娠した。つわりで外食どころか食事もままならない。産んだら余計に忙しい。気付いたら数年は経っていただろうか。子どもの用事でXのあたりに出かけることになり、だったら久々にXに行こうと夫に声をかける。夫はXに行ったことがなかったが「ニセ家族の食事会」会場であることはよく知っていた。
 夫に教えるためGoogleマップで店を表示しようとするも、ない。店の名、住所を入れても存在しない。地図を凝視すると、知らない店が入っている。私はようやくXが閉店したことに気付いた。あんなに美味しかったし、人もいっぱい来ていたのに。常連の新聞記者さんが紹介記事を書いていたこともあったはず。
 しかしネットには何も手がかりがなく、茫然とするだけだった。課長夫妻と毎年年賀状のやりとりはしていたが、Xのことは何も書かれていなかった。

再会は新型コロナのせい

 そこからさらに数年、2020年に事態は動いた。ちょうど新型コロナによる自粛が始まった頃。私は我が子のグランドピアノ練習室を探していた。家には電子ピアノしかなく、定期的にグランドピアノに触れ感覚を忘れないようにする必要があった。自粛により音楽教室でのグランドピアノレンタルは中止になっている。ネットでピアノを時間借りできる場所を一軒一軒当たっていった。
 人から情報ももらってたどり着いた一軒のレストランにグランドピアノがあるという。ダメ元で問い合わせると、快く受け入れてくれた。感染を防ぐためにも極力交通機関を使わず、補助ペダルをキャリーに乗せ子どもの手を引いて店に向かう。お店の開店前に1時間お借りするということで話はまとまっていた。

 レストランに足を踏み入れると、スラッと良い姿勢の、品の良い御婦人が微笑んでいた。スタッフらしきユニフォームを着ている。我々を見るなり、ピアノを借りる人だというのはわかってくれたようだ。「オーナーから話は聞いてますよ、どうぞ。ゆっくり弾いていいからね」というその声に、私は一時停止してしまった。間違いなくXの女将さんだった。女将さんはマスクをしていなかったし*1、見た目もお変わりないし、声もそのままだから絶対に別人ではない。
 女将さんは説明を続けたが、私はその返事ではなく別の言葉をかけていた。

「Xで働いていた方…ですよね…」

 女将さんもハッとする。その表情に「声をかけるべきではなかったのだろうか、複雑な事情があったのではないか」と一瞬焦ったがもう後戻りは出来なかった。

「私、いつも課長夫妻と一緒に…」

 そう私が言い終わらない位のタイミングで、遮るように女将さんが言った。「どうして…どうしてこんなところで!」

 そして店のカウンターを飛び越えるように駆け寄って、私をギュッと抱きしめる。言葉にならない声で女将さんが泣いている。私も泣かないようにしていたけど限界だった。マスクの不織布に涙がボタボタと当たっていくのが分かる。
 落ち着いたところで女将さんは教えてくれた。ご主人が数年前に亡くなり、店を畳まざるを得なかったこと。そして今はここで時々手伝いをしていることを。

 「コロナなのにハグしてごめんね」と女将さんが慌てて言う。私も落ち着きを取り戻し、振り返る。我が子が「一体何が起こったんだ」と茫然と眺めている。女将さんが我が子に向かって「びっくりしたじゃろ。お母さんとおばちゃん、知り合いなんよ!」と笑った。

カレイの味がする

 ひと段落し女将さんは店の準備に、我々はピアノに向かう。子は久しぶりのグランドピアノに喜んでいる。やっぱり電子とは違うね、と話す。店舗だから防音室の演奏とは聴こえ方が全く違うけれど、おそらくランチのサラダを準備しているであろうまな板の音を聴きながら弾くのもまた楽しい時間だった。
 頃合いを見て女将さんがおしぼりと水を持ってきてくれた。上手ね、と子に話しかけてくれる。女将さんがふと「うちの孫が」という話を始めた。あのXの客席を通り抜けて帰宅していたお嬢さんのお子さんだろう。

 ピアノ練習を終え使用料をお支払いし一度退店、開店時間になったところで今度はお客さんとして再度訪問した。ご好意に感謝し元々そうしようと思っていたが、女将さんのいる店なら尚更だ。女将さんの「いらっしゃい」の声に、胸がいっぱいになる。
 私は日替わりランチのカレーを選択。「量が多いから、お子さんにはどうかしら?」など、店が違っても女将さんはいつものように気遣ってくださる。じゃあ単品のこれをつけてシェア、など工夫しオーダーを済ませる。
 やがて他のお客さんがやってくる。ビジネスマンらしきスーツの男性を迎える女将さん。「いつもありがとうございます」と出迎えている。その丁寧な接客の声を聴きながらカレーを食べる。カレーなのに、口の中がXの味でいっぱいになってしまう。カレーなのにカレイの煮付け。駄洒落みたいだけど事実。泣きながらご飯を食べる怪しい人になってしまった。そんな私を見た我が子は「ママが泣くの珍しいねえ」と静かに感想を口にした。

 新型コロナは困ったことだけど、もしそれがなければ女将さんと再会することもなかった。子どもがピアノをやっていなければこの店を訪れることはなかった。人生には様々な苦難もあるが、たまにこんなギフトがもらえることもある。テレビドラマのようなことが現実に起こることもある。モラトリアムな日々からここに至るまでの全てを肯定するような一瞬が、Xにもグランドピアノのレストランにもあった。
 それを見届けてくれた女将さん。店の形はなくても残っているものを教わった気持ち。また行きます。次も泣くかもしれないけど。

*1:自粛による休校は始まっていたが、マスクをしない人も多い時期